富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月廿一日(金)夜中に一度目が覚めて上野千鶴子らの鼎談『男流文学論』の最終章・三島由紀夫読了。これを読めば日頃、男により語られた女流文学論を女が読む時の不快感がわかるでしょうと上野が言うが、文学論にかかわらず男による言説がそこまで女性に不快感与えているのか。この鼎談読んだ時の余りの弁舌暴論は不快以外の何ものでもなし。オヤジの鼎談よか品に欠けること甚だし。三島についての鼎談のなかで「ホモというのは、自分の肉体に対して、なんか間違って生れちゃったみたいな感覚」「自分の意識に対して肉体が間違って生れちゃった」「性的倒錯という言葉がありますね」「それは、性愛の対象は誰であるかとういう、自分の意識に対してその対象を受け入れる肉体に自分がなってない、そういう、自分の意識と肉体との倒錯のこと」と医者でもある小倉千加子が語るのを読めば(世の男といふのはすべてホモなのだそうだが)この極論、偏見に怖さまで感じる。曇天の朝。僅かに降雨あり。風邪気味。疲労感かなりあり。今日ぢゅうにどうしても済ませねばならぬ仕事だけ済ませる。今晩はビクトリア公園にて趙紫陽氏の追悼会開催。夕方ビクトリア公園立ち寄る。祭壇に白菊捧げる人多し。ジャーナリストの和仁廉夫氏も来港と報せあり。晩に蘇州亡命するI君の今夜こそ最後のはずの送別で恰度バンコクに戻る途中で立ち寄りのY氏も交え晩餐の予定もあり。風邪で参加せず帰宅。雑煮。臥床に『世界』1月号の「戦後60年」特集で柄谷行人の「1945年と2005年」といふ特集巻頭インタビュー読む。柄谷のこの護憲、憲法第9条への自信は何なのだろう。国民投票行えば絶対に護憲派が勝つ、といふが。この特集ぢたい何故今もってして戦後60年なんて特集をする必要があるのか?と思ふのは小泉先生含めその意味も理由もわからぬ者が多いはず。
▼首相小泉三世の所信表明演説。代議士河野太郎君の国会日記にも「与党側からも拍手が少ない」とあり。小泉といへば勝谷誠彦日記の十九日で読んで驚いたが天皇皇后の神戸の震災での追悼式と翌日の国連防災世界会議への参列に対して首相小泉三世は自民党党大会出席のため陛下に遅れて参加。不敬罪。ところでNHKの番組「改竄」「報道」問題は安倍二世(岸三世)と中川二世の朝日攻撃に相まってNHKと朝日の泥仕合と化しているが予想以上に朝日の腰が退けておらず朝日社内でも驚きの声とともにひやひや、とか。NHKとの泥試合は安倍二世(岸三世)「北朝鮮の問題で厳しい局面にある私への意図的な攻撃だ」とか殊更に「政治的謀略」窺はせるが如き発言続くが目立たぬところで前首相の森君が「北朝鮮への経済制裁は慎重であるべきだ。追いつめて暴発させるようなことがあってはならない」と発言。鮫の脳味噌だのと揶揄していたが森君にも知性や理性や判断能力というものが備わっていたのだという事実にわが国国民は初めて直面、と築地のH君より。更に森君は「ポスト小泉に安倍幹事長代理の名をあげる動きもあるが、まだ時期尚早ではないか」自派閥のプリンス擁護どころか後ろから撃つような発言。森派会長として安倍を総裁候補として認知しないという表明。しかもそれが単に時期尚早とかいうレベルでなく「北朝鮮政策が支持できないから」というきちんとした政策的根拠ありか。安倍二世のいふ謀略とは、実はこの国交回復推進派の森や小泉が自分を陥れようとしていると感じてるのではないか?とH君。さもありなむ。なにせ次の総理が安倍晋三であれば余の昨日綴った「総理の質はどんどん悪くなる」法則は更に真実味を増す笑えぬ事実。
▼ブッシュの米国総統就任演説。ブッシュは自由、自由と自由の大切さを殊更強調。だが米国の自由が生き残れるかどうかは他国に自由を広げられるかどうか、であり、その自由の拡大が米国の安全にとって切迫した要請であり神からの召命だ、とブッシュ宣ふ。これこそ自民党の好きな戦後日本社会の「自由のはき違え」そのもの。自ら火をつけ消してみせてのマッチポンプの国際戦略。自由が本来の自由とは全く異質の安全保障と国家戦略上の武器となり得る。而もこの自由とは誰も否定できぬファッショに近きもの。その自由の国の総統就任でなぜワシントンの沿道にブッシュ不支持に群衆があそこまで集まるのか、ブッシュ不支持をいふ言論の自由が米国にある、といふが、なぜブッシュの車行列は金属フェンスに囲まれその不支持の市民の姿すら見えぬのか、この就任式に警察ばかりか軍隊まで一万三千人を動員。あの国の何処が他国に誇れる自由あるのか疑ふばかり。

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