富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月廿日(木)曇。多忙なだけで敢えて綴るほどの何事もなし。風邪気味。ブッシュの米国総統就任を見る。悲劇か喜劇か。翌日の朝日に米国での進化論否定の記事あり。国民の半数以上が神による人類の創造信じ更に人類創誕生への神の介入を信じる者も多く進化論信じるは国民の二割弱といふ米国。なかでもブッシュの支持基盤である福音派の原理派は聖書での人類創造を六千年前として、恐竜の誕生から何から何までこの地球の歴史をば六千年に押し込めた歴史博物館まで開館準備中とか。言っておくが、このキリスト教の思想が最後に誰に利があるか、といへば中国(笑)。わずか六千年の歴史にて、つまり地球誕生のその頃にはすでに中国に古代国家あり。世界の言葉乱れたバベルの塔の時代には漢字用いてたんだぜ(笑)。やはり中華文明が偉大である、といふことになりかねず。閑話休題。でブッシュもその聖書の言葉一言一句信じるわけで、あたしゃブッシュと同じ祖先をもつよりかサルが祖先のほうがまだマシ。
趙紫陽の逝去に関する論評いくつも読んだなかで記憶に残るは、まず崔偉恒といふ人が紹介した呉国光による改革派と保守派の永久的な相対性について、で、人は登β小平を毛沢東に対してリベラルな改革派と見做し84年当時は政治的復活し経済改革進める登β小平は「小平ニーハオ!」だったが天安門事件の89年の登β小平は「小瓶」と揶揄され、92年の江沢民李鵬に比べまだリベラルと評価されたが97年に胡錦涛と比べられた江沢民は保守派であり強行派。その胡錦涛は今年の正月には江沢民伴って京劇鑑賞、その同じ頃に数十人規模で工員の死亡した炭鉱訪れ工員と炭坑内にて弁当を喰い語り合った温家寶に比べれば胡錦涛も宮廷人で強行派と写る。中国の指導者のなかに本当の改革派がいるのかどうか。改革か保守かはパワーモデルによって分析される、というもの。興味深し。これを、結局、権力というものは何も変わらぬ、と理解するか、こうして考えれば毛沢東から温家寶までそれなりにリベラルになってきている、と楽天的にとるべきか。そこは意見も分かれようが、少なくとも悪くだけはなっていない、といふ事は確か。で、これを日本の政局に当てはめてみれば如何なものか。例えば中曽根大勲位の御時、戦後日本の総決算叫ばれ戦後最大の改悪の時代迎えたかと思われたが当時はまだ自民党内部にすらリベラルなる対抗勢力あり種は蒔いても実際の総決算は行われず。幾人かの首相経て小渕君の際に「これは史上最低か」と一瞬思ったが鮫の脳味噌が首相となり鮫に比べれば小渕君も真っ当と思われ、森君こそ史上最低か、と覚悟したが小泉三世現れ、少なくとも実行力伴わず判断力のなさで消えてゆくだけ森君もまだ問題なし、と思われ、国民の八割の支持!で自民党ぶっ壊すと颯爽と現れた小泉三世こそが戦後日本で最悪であり而も自民党に自浄作用なく長期政権化する事実。ここで戦後日本が作り上げてきたものが一切合切総決算される悲劇。こうして見ると、日本の場合はこのパワーモデルが中国とは逆で、前任者のほうがまだマシ、つまりどんどんひどくなる事実でなかろうか。悲劇。
▼そしてやはり秀逸なるは信報編集長兼論説主幹・林行止の本日の論説。題からして「権来権去党欽定、党性人性怎包容」と、これを日本語訳すると「権力が現れその権力が去り、その全ては党の欽定であり、党の性格も党人の性格もすべて……」と訳してもこの「権来権去党欽定、党性人性怎包容」の核心も伝えなければ、何よりも、まずこの「ちゅえんらいちゅえんちゅーたんちんでぃん……」のこの音の素晴らしさも伝わらず。漢語の極意。林氏曰く、今回の趙紫陽の逝去について中共外交部のスポークスマンは党政府としての告別をただ「党の道理」と表現したが、正確には、ぶっちゃけた話、六四制圧の時の首相李鵬がまだ健在であり、その子飼い幾らでも権力に存在し、江沢民とて実際には李鵬などよかよっぽど趙紫陽を尊敬しているであろうが天安門事件によって青天の霹靂、棚からボタ餅で国家主席にまで成り上がり。どうしたって胡錦涛と温家寶がこの状況で趙紫陽の再評価、名誉回復は難しきこと。で、目を香港に転じれば(以下、立法会主席范徐麗泰の趙紫陽は八四年の中英合意時の中国首相であるが具体的な香港への貢献なし、という考え方への明らかな林氏の反論だと思えるが)確かに中国で「要吃糧找紫陽」やおちーりゃん、じゃおしーやん(ちゃんと韻を踏む)「飯を喰いたければ趙紫陽を探せ」は直接、香港に影響ないが、林氏が最も印象深いのは中国返還の前途憂ふ香港に対して趙紫陽が「何をそんなに怯えてる?」と言い放った一言。これには二つの意味があり、一つは明らかに素直になぜ香港市民が中国返還をそんなに怯えるのか判らない、という正直な気持ちであり、もう一つは当時の中共が本当に香港の自由について何か弾圧や制限を加える意志のなかったこと(これは天安門事件以降かなり状況変わるが)。少なくとも、当時、こうした明朗な中共政府の印象をば香港市民に与え将来への不安抹消しただけでも趙紫陽の功績あり。林氏は香港にて趙紫陽に哀悼の意を表することがなぜ反国家的行為と解釈されるのか、と指摘。中共が国家統治の威信を保ちたいならば党の質の高さを維持し人の温情だの調和、尊重を重視すべきであり、党においてそれを体現したのが趙紫陽であり、この人の実績と栄誉は今後とも払拭されるものに非ず、と。御意。

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