富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿七日(火)遠くどころか近辺にまで黄渾色の靄だか霧がかかり無風に粉塵少なからず晴れ間に小雨と不快極まりなき天気なり。歯茎痛止まず灣仔の歯科医C医師の治療請ふ。痛処かなり奥深く而も古い差し歯の軸針もあれば差し歯(しかも橋架)抜いて軸針除去して更に奥の治療は即断できず或は口唇内からの切開も検討要すべきところ須臾経過観察をと歯科治療用の鎮痛剤と抗生物質供される。歯痛ゆへか腰痛もひどく歯科医に近きY君に教えられし泰式按摩。技巧見事。ジム。Z嬢のトレイル靴の購入及びリュック下見で二晩続けて灣仔のPtotrek訪る。Lockhart道のマレー料理Sabahに食す。海鮮のラクサ秀逸。ミンゴレン、鶏肉煮、温野菜など食すが塩辛さあり。早寝。
▼先日片岡我童のこと日剰に綴れば久が原のT君より老女形について便りあり。迢空折口信夫が「老け役になるまで生きし佐野川のごとくならむとわれは思はず」と詠んだ我童、(老け役化粧に缺かせざる茶色顏料の)砥粉を塗らざりし天晴の生涯、とT君。我童丈の最期について余も老女形の死が死後しばらく判明せずといふこと記憶にあるもののT君より日比谷だかの花屋で昏倒しそのまゝ息絶え遺體は警察に預けられ身元不明者として數日過てその老人が十三代目片岡我童と判明のその経緯をば聞き故人の譽れがためT君より聞きたる仔細これ以上綴らぬがT君の語るも我童に対する畏敬の愛しみいつもにもまして筆致極まり一読し余も感涙に噎ぶ。「封印切のおゑん、河庄のお庄、野崎村のお染母、對面の大磯虎、西郷と豚姫の藝妓など、虎を除けば片々たるものなれども我童ほどの演技絶えて久しくその後なき役々にも勝る」我童にT君は南座顏見世にてT君楽屋口に「黒い薄外套を纒ひたる我童丈ひつそりと獨りで退出せらる」を見て思わずT君が写真の合撮請へば「流石は古風なる女形の辞儀、「これがないとあかんのや」とおつむり(=鬘)を指され」手を握る。T君ほどの芝居達者ここまでされたは六代目歌右衛門、十三代目仁左衞門にこの我童の三人のみと。T君余の日記に突然我童についての記載あり思い出されるは、我童最期の舞台となった當代鴈治郎襲名講演での河庄のお庄の役。ここで遊女・小春の役が我童とは戦前からの朋友・歌右衛門。我童のお庄が歌右衞門の小春の手を引きて上手屋臺に消えたる光景はT君が「雙方ともに絶後の名演」「これまさに藝道の極北、正真の女形の落日の景なりき」といふ程で、舞台のさま想像しただけで余もからだ震える。
▼我童のその話に確か日比谷だかの花屋、とT君。日比谷で花屋といわれると容易に想像するは日比谷花壇。なにげに気になり調べるとこれもまた興味深し。明治五年に菖蒲園に有名な葛飾区堀切に庭園業を営むが最初。帝国ホテルの庭仕事担当せし縁で帝国ホテルに出店が昭和十九年。戦禍ひどきこの時代に生花販売といふのも何かあり。で昭和廿五年に日比谷公園に出店が戦後の日比谷花壇の発展の契機。社史には「当時の都知事より市民の憩いの場である公園に海外の例を習ってフラワーショップをと要請されたのが始まり」とあり。社長宮島浩彰氏が別で語るは「終戦して間もない頃、マッカーサー元帥の「平和の象徴たる花屋を入れたい」との発案で日比谷公園の一角に花屋を開いた」と。今では日本でも最大大手の花屋にて香港にも「日比谷花壇」との提携の看板掲げる花屋ある程の認知度。堀切の菖蒲園界隈の造園師が帝国ホテルに出入りするようになり、日比谷公園といふ東都の都市社会史では検討重要な公園、今でこそ「整備」されたが何か妖しき雰囲気もある空間に占領下の何らかの意図にて花屋出店とはかなり興味深いところ。
▼築地のH君と十二代目團十郎丈について。続く。十二代目とは「なんか、いろいろわかってる人だ」とH君。御意。その「なんか、」が大切。具体的に「なにか」「なにを」は誰も指摘できず。だが「なにか、」なのだ。NHKで海老蔵のドキュメンタリー見ても十二代目の存在の大きさ。「役者としての技量では俺は爺ちゃんの直系だ」という矜持すらある海老蔵も父・十二代目に対して、(関女史の本をH君からの引用によると)自らが生れる十二年前に他界している祖父十一代目は自分と似ていて考えていたことまでよくわかるのに父十二代目については「あの人はいまだによくわからないところがある」としつつ、だが「爺ちゃんにも俺にもない何かをもってる」というようなことを言ったそうな。又聞きで恐縮だが紀尾井町のかなりひどい「いびり」受けた團十郎紀尾井町の死に際に看護婦に髭を剃らせる剃らせないとかで困らせていたのを見かねた成田屋「私がやりましょう」と丁寧に髭を剃り松緑は黙っておとなしく剃らせポツリと「ありがとうよ」と言ったのが「和解」とは。だがその成田屋松緑の孫の嵐(現・辰之助)の親代わり、何のわだかまりもなく芝居教えるといふのは、まさに團十郎の人格。これも涙。まだまだこれからの期待に疾病で舞台にも立てずとは無念極まりなし。
▼昨日の首相動静見ておれば半蔵門のグランドアーク半蔵門なるホテルに衆参両院議長に最高裁判所長官三権の長集まりホテル内の「御休所」で天皇皇后両陛下に拝謁し、何の行事かと思えばこのホテルにて現行警察法施行五十周年記念式典。戦後の「民主」改革にて戦前の公安組織解体し自治警察制度など取り入れたが、国家権力側からすればこれに大きな問題点あり(こちら)「警察を含む自治が民衆の手から再び国家権力に奪われたのがこの1954年の警察法の改悪である!」……と余が高校の頃に社会科教師はそう生徒に語ったのだが今ではこれも「偏向教育」の烙印であろう。で、これほどの「国家」行事がなぜこの名も知れぬ小さなホテルで?と思えばこのホテルは帝国ホテル系。場所もFM東京と国立劇場の間にあり半蔵門出てすぐの場所。桜田門からも近し。こういった小さいホテルでなら式場ばかりか宿泊も地方の警察からの代表者などで全館貸切で関係者以外立入り禁止でテロ対策など容易といふわけで納得。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/