富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月一日(火)薄曇。拙宅の壁塗装に使った油性塗料は昨年の引っ越し前の改修の際の大工が残ったのを置いていってくれたものでもう1年もたっては密封していても劣化間近で残りも少なく「ついで」で玄関の扉とその外のかなり老朽化していた鉄扉の塗装を朝からなす。薄いクリーム色ながら白に近く内壁は更に白いのでちょうど扉を開けて塗装していたら隣の麻雀キチガイの家のキーキーと叫ぶのが五月蝿い子どもが出てきて拙家を覗きこみ祖父に「この家、色がすごく白い」と述べられ確かにこの白さはパナウェーブに近いものと納得。結局この作業は昼に至りさて何しようかと思い久々に山を走るかジムで鍛錬か他の選択は本日午後予定されている23条立法反対の抗議デモにて昼すぎ微睡んだ結果、デモ。武蔵野に住む市民運動に熱心なD君は頻繁に市民デモに参加するが集団行動嫌いの余にとって初めてのこと。午後2時すぎ地下鉄の駅に向かうと心なしか黒色の服着た市民多し。ホームに立って家族連れなどで黒色にシャツばかりで明らかにデモ参加者と判る。列車着て乗り込めば黒シャツが半数近く北角のホームに入ろうとすると乗客から「華〜wah!」という歓声あがり何事かと思えば将軍澳線からの乗換え客がホームに溢れており黒、黒、黒。日曜日の午後2時すぎに超満員の電車で天后。エスカレータは客運びきれず階段で上がるが階段も渋滞。改札抜けるまでに10分。地上は人、人、人。集合地点のビクトリア公園には入れず。公園はこのデモの集合場所であると同時に親中系の政党や御用組合などが香港回帰記念祝賀行事などのため公園の広場と祝賀サッカー大会(笑)のため運動場も占拠、そのためデモ参加者が公園に入るのに迂回を強いられ多少の混乱。快晴。余は電車通りより香港中央図書館へ。かなり紆余曲折を経て図書館に入る。この図書館、全く利用価値のないバブルの塔にて開館当時に一度参観して呆れてそれ以降全く訪れてもいなかったが内部はデモ参加者が行進までの避暑でかなりの混雜。公園の全貌眺めるが同じ目的の入館者多く窓際で勉強する学生らの迷惑になっており退散。電車通りに出るとデモ始まるが(写真)殆ど先に進まずデモの縦列を抜けて横道を銅羅湾に進むとそごうの前では普段でも人通りがひどいのに工事で道幅狭くなっておりデモ参加者があふれ(写真)専用線路面電車こそ動いているが反対方向へのバスまで完全に動けず。親中団体の祝賀行事に参加した老人が「デモ参加じゃないっ!」と怒って人ごみを当たり散らしながら歩いてゆく。思った以上に23條反対ばかりか董建華に辞任要求多し。この祝賀行事に参加した老人たち、各地からバスで来場したが帰路のバスもデモに囲まれて出発できず。祝賀行事のあとの祝賀宴会は当然無料でそれに誘われたそうな。鳥瞰写真撮らせてもらおうと上がったとまと書店。夢野久作の『ドグラマグナ』の下巻のみあって購買。デモを眺めていた子どもに「何をしてるの?」と尋ねられた広東語と日本語がちゃんぽんの母親、大声で「みんなバカ」と宣い余も思わず母親の顔見たら「余計なことを大声で言った」と思ったのかこの母子は早々に退散。余に睨まれて身の危険を感じたか。Nokiaに携帯の修理受取りに行くと普段は混雜する修理服務中心はほとんど客もおらず開店休業はデモの余波。湾仔のジムに行こうかと思ったが路上の交通機関は麻痺、地下鉄も乗るまでが大変でデモに加わる。それまで片側3車線であったデモは電車線路も電車動いておらぬためデモが歩き、ついに反対車線も渋滞していたバスを海岸のほうに警察が逃がした段階でデモ参加者が入りこみ、ついにHennessy Rdは車両通行不能。とくに湾仔の北京政府御用紙『大公報』新聞社前ではデモ隊の歓声大きくなる。湾仔でデモを抜けジムに行くとジムもいつもの日曜日の午後よか閑散。鍛錬済ませ18時前に電車通りに出るとまだデモ行進中。すでにデモ始まり3時間、デモは寧ろ参加者が増えている(写真)。主催者団体のボランティアが「反対23條、還政於民」のスローガンを叫ぶとデモに参加した市民がそれをくり返す。「午後4時の段階で香港電台がデモ参加者40万人と報道!」という声にまた「うぉーっ!」と共鳴。当初10万人と言われていたデモは余は見ておらぬが89年の天安門事件での100万人デモに次ぐ規模になっているのは確か。デモが大河のように広い通りを流れてゆく。がこのデモで最も称賛されれるべきは香港市民の民度の高さと自由欲す希望だが、それに次いで評価されるべきは警察の警官諸君の対応。これだけの規模のデモが平和裡に続いているのは奇跡に近し。デモというもの官憲側が威圧的に対応すると参加者との小競り合いなど生ずるのは日本だの韓国でのあまりに制限多き措置ゆえ。それに比べ香港警察はデモを流すためにバスを逃して大通りを全面開放するなど緩急措置をとり機動隊など出動させず警官が立っているだけ。しかもバスなど渋滞に巻き込まれた車両なくなったあとは街頭の市民と雜談しながらデモを眺めている。大したもの。ここでまたデモに参加すると目的地である中環の政府庁舎から帰路の交通手段の混雜が深刻。Thomson Rdの潮州麺家・順發にてこの店の有名な牛什(牛の内臓のあっさりとした煮込み)を晩餐にと購う。ちょうど六時半のニュースでデモの報道あり見ていたがテイクアウトできて去ろうとすると店の者が「ニュースなら坐って見ていってよ」と茶を出せれ、そういえば渋滞するバスの乗客もデモに手をふり大通りに面したビルの窓からも手をふる従業員ら多く、もはや市街がこのデモ支持のコミューン状態。これが赤葡萄酒といい相性。テレビのニュースはデモがまだ銅羅湾が最終尾と伝える。デモがこの終尾が政府本庁に着いたのは午後9時すぎ。じつに6時間余。今日の午前中に香港を去った温家寶は香港を称賛し、この23條立法は国家の保安が目的であり市民の自由を拘束することなど絶対にない、と言い残す。董建華が晩に声明発表する。多くの市民がデモ参加したこととその要求を真摯に受け止める。しかし国家安全条例の立法化は香港政府にとって香港基本法での憲政上の責任であると。つまり50万人がデモに参加してもこの立法化は行われる、というもの。確かに基本法で定められているが、今回の問題は政府のこの立法化での民意無視した姿勢であり、このデモは23條立法反対とともに董建華に退場を求めるもので、それについてこの無能無策の行政長官はどの厚い顔の面で受答えするつもりだろうか。呆れるばかり。常識的な頭脳と感性であれば50万人の抗議デモ受けても行政長官職に留まれることが異常。それにしてもこの香港市民の民度の高さにはあらためて頭下がる思い。日本でならデモ参加など「一部の思想的な市民」という偏見すらあり、東京の銀座で石原慎太郎により防災訓練の名の下に派手な自衛隊だのの活躍ぶりをぼさーっと見ていても反感や抗議の念すら起きぬ都民にとって東京都でいえば100万人デモに相当するこのデモ活動は理解難しいかもしれず。