富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月二日(水)快晴。新聞には50万人デモと大きな活字と写真が並ぶ壮観。いつも新聞買うスタンドにて北京御用紙の『大公報』と『文匸報』眺めると笑顔の温家寶首相の写真あり新聞スタンドの主人も呆れた表情。朝日新聞は1面の写真に「50万人デモ 香港大荒れ」って(唖)、やっぱりこの新聞は偏向している。思想的に、じゃなくてどこかヘン(笑)。朝日にしてみれば民意と政府との対立状況が「大荒れ」ということだろうか、それにしても大荒れというのは暴動が起きているとか軍が鎮圧に乗り出した、という状況であって50万人の規模は大きいが平和裡にデモがあったことは「大荒れ」ではない。これが東スポなら「香港で100万人デモ 大荒れで人民解放軍出動か?」とか冗談で笑って見ていられるが、朝日の場合、マジで書いている(香港の特派員じゃなくてデスクなのだが)と思うと怖いのだ。50万人デモから一夜明けた今日の政府関係者(“要”人とはとても呼べず)の表情などテレビニュースで眺める。結局、いまのこの時代というのは民意は民意であり、国策というのは民意から乖離した別物となってしまっていること。米国のイラク攻撃然り、米国民に米国政府の覇権主義を嫌う者少なくからずとも政府は中東介入を続け覇権を得ようとする。香港は民意は民意で理解するが23条立法は国家の要請でありそれを民意を事由に廃案とすることはできぬ、という。国家の治安維持のための法律はどこの国にもあり香港が特別行政区である以上は香港の自治を維持するために国家(中国)とは別にこの国家安全のための法律の制定が必要である、という。確かにその通りかも知れぬ。だが問題は、その守る対象が政権移譲も政体の変容もある包括的な意味での国家であればいいのだが、中国の場合の問題はその国家=共産党であり、この一党独裁を維持することと国家安全が実質的に同義であること。温家寶がいくら誠実であり彼が「この立法で香港の自由は損なわれない」と言ったところで、共産党に異見申して行動起こせば「はい、有罪」で誰が何を信じようか。そもそも法の遵守など言われても、その中共ぢたいが憲法に「無産階級の連合を基礎にした人民民主専制社会主義国家」と謳いながら、人民民主専制もなければ社会主義どころか資本主義専制を専ら実行しているのが自分たちであり、つまり中国共産党ぢたいがすでに憲法すら蔑ろに存在している事実。そしてこれまで億という数字の人々が建国以降に共産党政府の意向により反革命ということで断罪されてきた事実。それらを考慮すれば、結局、唯一の“国体”が中国共産党であり、ただただそれを畏れ多く汚さずに維持することが大切というだけの陳腐な発想。23条はそういった「たかだか一政党の独裁」を維持するためだけに立法化されると思うと、これは法が本来の万民の公共の福利(Common Wealth)のためにあるべき原則からすら逸脱している。唯一それを庇う修辞は「確かに中国共産党の独裁は正常な事態ではないが中国という国家の維持と存続のためには現状ではこの体制が専ら有効であり、つまり共産党独裁の維持は即ち国家安寧の礎となっている」という、かなり無理矢理だが(だが小泉三世の「大量破壊兵器がなかったからと言ってフセイン大統領がいなかったと言えるんですか」という粗忽なレトリックよかよっぽど説得力あり)この理屈は、おそらく共産党の偉い方たちは自分たちが実は一番よく理解していることだろう。であるから香港も繁栄を維持したければ現状の共産党が主導する中国の国家安全を危なくしないこと、と、ここが23条立法の核心だとしたら、下手に23条立法反対を唱えることは実は全く何もわかってないのではないか、と。これに反論はかなり難しい。だが国家の維持よか残念ながら人権擁護を優先させていただく、という前提で思想信条から表現の自由に介入するこの法律には反対、というのが結論となる。少なくともこの日剰とて思想信条、表現の自由あるからこそこうして書けているのであるし。下弦の月が美しき晩