富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月三十日(土)的士にて上環、フェリー波止場。依頼せし切符代理店にて受取り上環街市横の場外にて馬券 購入。11時のフェリーにてマカオ。雨本降り。マカオ到着し波止場前のPizzeria Toscanaにて昼食。ワインはCasal Garcia。蟹肉とトマトのペンネがお気に入り。プティングは秀逸。Hyatt Regency Macauに投宿。が代理店より予約入っておらず、と。ホテルは満室のようで代理店に連絡し交渉を依頼するが予断を許さず。いずれにせよすぐに解決する様 子もなく澳門運動場にて明日のレースの登録済ませホテルに戻りようやく部屋確保され部屋に入る。明日のレースに出場する客多く昼すぎまでの滞在を要望する が明日も満室と断られる中HyattのGold Passportあったが故に明日14時のlate check out叶う。香港の競馬中継見るとすでにR5(芝1200m)終わっており電話にて確認するとDashing Winner陥没の模様。夕方Z嬢と市街に遊びRua Do Campoの坤記にて茶を一服。Rua Pedro Nolasco Da Silvaの坂にかつて見たことなき立派な洋館あり何かと思えば旧宗主国ポルトガル総領事館、納得。石畳の坂の裏道を歩く。雨もまた好し。 Avenida Da Praia GrandeのPavilionsにて食材、マカオ地麦酒など購いホテルに戻る。晩はランニングクラブの面々と路環市区に赴き華記にて炭水化物多めに晩 餐。この華記、カラオケあり。露店のカラオケなるものも珍し。Lord Stow's Bakeryにてエッグタルト購いホテルに戻る。風邪ひどく湯治。橋本治三島由紀夫とはなにものだたのか』ようやく読了。三島先生が何故に松本清張を拒 絶したかといふ論考において三島の『禁色』の作家檜俊輔のモデルを橋本治は15歳にてこれを読んだ時に川端康成と思ったそうな。実は余は17だかで今は草 間彌生女史の制作に携わるT君の影響にて三島由紀夫のこの本を読んだ時にその老作家で川上宗薫を想像……今となってその下世話な想像を恥じ入るものなり。 この檜先生のモデルが川端康成であるのはほぼ間違いなく川端先生は愛弟子の市ケ谷での自衛隊蜂起失敗と割腹自殺のあと政治に目覚め突然に都知事選の応援演 説なる「愚行」演じそれを恥じるかのように自殺。この本の最後が「恋すべき処女−六世中村歌右衛門」で終わっていることの意味。この本の第一章「豊饒の 海」論もいいが実はこの歌右衛門論はこの本が三島論の本であるにもかかわらず立派に歌右衛門論として自立してしまうほどの価値あり。前近代のものを克服し ようとした点は三島も成駒屋も同じだが三島にとっては近代は自己といっしょに消えてしまふのに対して成駒屋の場合は前近代の気に入らぬものを「私は納得が ゆきませんのでこのように演じますがこれで如何ご覧遊ばしました?」と克服した点。なるほど。ところで読後ふと「橋本治とはなにものだったのか」は橋本治 の死後に誰が書くのか、と思う。Hyattの客室にてこの日記記し網上す。