富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月二十三日(土)薄曇。愚猫尿道結石の手術より一月経ち朝イチ獣医に尿sample届け検尿。経過佳しと尿道疾患猫用の餌から成猫用に切り替える。DFSにてTumiの手提げバックあがなふ。店頭展示品で7掛。昼に尖沙咀は唯一麺家にて初めて坦々麺食すがいわゆる坦々麺とはかなり異色にて蝦子や牛肉の佃煮のやうなものがフリカケられる。午後百年ぶりに泳ぐ。新春とはよくいったもので日本で太陽暦であの寒い朝に新春といわれてもピンと来ぬが農歴で旧正月過ぎれば途端に春めき今日もTシャツ一枚にて寒くなし。ジムにて明日のために鍛練。海南省は海口より香港マラソンに参加のA氏と夫人(90年の冬に偶然BaliのGrand Hyattにて出会った夫妻)とZ嬢で天后は利休にて炭水化物摂取を題目にうどんすき。不景気に相変わらず繁盛、店内は子ども連れ多く日本人倶楽部かファミレスのやう。帰宅して明日の競馬予想。R9のClass-1/1200mに二枠132磅で出走するDashing Winnerは2.4倍にて一番人気。このレースで勝てば3月25日のダービー参戦となる。▼朝日新聞音楽展望にて吉田秀和君さすがに碩学、音楽を悠長に述べていることできず「二つの退場」という題にて朝日奈隆の逝去に掛けて田中外相の更迭を述べる。朝日奈君はプライド高き指揮者にて本人があの世にてこれを読めば失礼千萬と憤慨するだろうが吉田君曰く「私は氏とは別に個人的なお付合いもなく」と意味深(笑)に語り始め「その指揮の熱心な聴き手でもなかったが、氏がブルックナーベートーヴェンの指揮者として、献身的といっていいほどの忠実な聴き手を大勢持っていたことはよく知っている」と「持っていた」で断定せずそれを「知っていた」とこの距離の置きやう、朝日奈君は「歌舞伎の立ち役として通用するような立派な偉丈夫として指揮台に立ち、小回りはきかないが、ブルックナーベートーヴェンの大交響曲を鳴らし」「音の入りが不揃いだったり、リズムが不鮮明だったりすることもなくはなかったが、それは瑕瑾というものである」と、そうこの朝日奈君の姿こそ実は田中真紀子そのもの。「近年の日本の政治家でその言動が自分でもどうにもならないくらい根元から噴き上げてくるような内発性を持つ人のなんと少ないことか!」と。小泉君にはそれと似たようなものは感じつつも真紀子嬢が姑息と撥ねた靖国での日にちずらし参拝や危なげな外交など評価できず。「この国の政治風土とメディアの体質は外務省を巡る喧嘩口論の現象面ばかりに拘泥し大切な外交議論は埋没してしまって」おり「せっかく少しずつ戻りつつあった私たちの国政への感心は急激に冷却してゆく」のであり「政治はどんどん遠くなる」と吉田君。もうお終ひ。