富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

湾仔碼頭

農暦十一月晦日小寒。曇。土曜日。官邸にて周末の残務処理。晩に湾仔碼頭。

f:id:fookpaktsuen:20190107134329j:plain

家人と待合せ。波止場が場所かはり新しくなつてから初めて。碼頭の建物内にある築地山貴水産で日本のお正月。香港の邦人社会にと神輿寄贈された日本橋N氏が神職の籍もお持ちで神輿の前で新年の祝詞上げられる。

f:id:fookpaktsuen:20190107134544j:plain
f:id:fookpaktsuen:20190107134549j:plain

マグロの解体ショーあり。

f:id:fookpaktsuen:20190105191149j:plain

きちんと見るのは私は初めてか。切り落とされた大トロや中トロが、その場で3切れHK$100(1400円)で次々と買はれてゆく。香港のこの消費力にたゞ口wをあんぐり。日本では豊洲の初競りでマグロ1匹が3億3360万円だつた由。此処はフードコートになつてゐるが如何せん私には何もかも高い。金目鯛が一匹2万5千円だ。

f:id:fookpaktsuen:20190107134426j:plain

一旦スターフェリー乗り場に降りて売店で缶ビール買つて屋上へ。ビクトリアハーバー一望の庭園になつてゐるが土曜晩だといふのに閑散。超高層ビルのネオンはかつては日系企業ばかりだつたが今ではPanasonicだけ辛うじて残り他は中国企業ばかり。それも漢字で中国人以外には何の企業か不明。いつのまにか無くなってた最大級だつたHITACHIのネオン看板を書いてあげる。

f:id:fookpaktsuen:20190107134510j:plain
f:id:fookpaktsuen:20190107134514j:plain

路線バスで太古に戻り岡田屋Aeonで板長寿司に入らうと思つたら待ち客多し。岡田屋でテイクアウトの寿司贖ひ帰宅。ぴったんこかんかんなるテレビ番組で波乃久里子の自宅拝見。かなり几帳面に整理整頓が見事。父が勘三郎XVIIで母方の祖父が菊五郎VIだ。片倉佳史『台湾に生きている「日本」』(祥伝社新書)読む。

台湾に生きている「日本」 (祥伝社新書149)

台湾に生きている「日本」 (祥伝社新書149)

 

蘋果日報で連載される陶傑氏のコラムについて最近ほとんど引用もしてゐなかつたが『カメラを止めるな』屍殺的起義 - 陶傑 https://t.co/A9Ib9lFKRv は面白い。

映画が冒頭からつまらないB級ホラー映画の秀作を延々と見せ、これで今の若い観衆なら「つまらない」と席を立ちそうだが、そこからの、あの展開。

「屍殺片場」計算厲害之處,是向一切看似「不可能」的方向出發。學院電影課程教你,二十分鐘內須有轉捩點,不可能用這樣的敘事結構。電影市場的商業統計也告訴你,一部戲不能這樣天一半地一半攔腰劈開,而且兩處接縫處中,有十五分鐘要觀眾一面看、一面慢慢將下半部的人物角色,與方才那截爛戲中的人,一一辨認應對。
但「屍殺」卻做到了,見前人不能見、為先人不敢為。當年的「羅生門」一出,也是這般顛覆、拆卸、重建,遂石破天驚。

と評論は辛口の陶傑が絶賛。

日本人生活,一切拘謹守規。電影史上的規則,日本人卻最擅長打破。創意的第一步,在於敢超越成規、打破制度。但在一個思想囚牢籠、動一動四周的老人就破口大罵你是不是想顛覆國家搞分裂的社會,人人爭相違法瞞稅、違章僭建,「創意」只發揮在「上有政策、下有對策」的鑽空子貪小便宜,這樣的國度必與創意絕緣,最後也沒有電影。
「屍殺片場」是電影工業的霸權邊緣、一場住在劏房但敢於衝殺出來的電影起義。有這樣一個自稱三千年文化的鄰國,完全放棄與日本電影競爭,上帝對日本人真不薄。

日本も映画で見れば、だが想像力はまだまだ捨てたものではない、と。少なくとも香港映画の衰退に比べれば、である。

台湾鉄路

農暦十一月廿九日。曇。昨晩は飲みすぎで未明に喉が渇いたといふより酒の糖度のせいか、無性に塩分がほしくお湯を沸かし昆布茶を飲み二度寝。日本の正月三が日も終はり香港の日系社会も急に平日モードで慌だし。晩はパスタ茹でる。日本で三が日明けの外食産業で最も注文が多いのはカレーライスなんださうな、と家人から聞く。年暮から正月にかけかなり硬い内容の本ばかり読んでゐたので片倉佳史『台湾に残る日本鉄道遺産』交通新聞社新書を読む。

昔からの話は半分くらゐは既知のことだつたが台湾鉄路全線地図を潰していつたら桃園〜海湖の林口線(15.6km)は乗る機会逸したまゝ廃線になつた自覚があつたが西部幹線はいつも山線利用で海線(竹南〜大甲〜彰化)の93.6kmは通つてなかつたことに今更ながら驚いた。蘇澳も東部幹線で新蘇澳を抜けるので新蘇澳から蘇澳は訪れてゐない。次回の訪台で是非この2路線は踏破しないといけない。

f:id:fookpaktsuen:20190106082504j:image

▼【一地兩檢】內地人員再度西九站內地口岸區執法 帶走內地漢 《南方都市報》稱「一地兩檢」方便旅客,但「對於被執行人而言,以上的『便利』是不存在的」。 https://t.co/6Bdkie5r3p

予期されてはゐたことだが高速鉄道で香港に来た内地旅客が経済事件の容疑者で西九龍站に到着し中共側出境のところ公安に逮捕された由。本人は「此処は香港だ」と言つたところで一地両検で司法的には中共なのが現実。

 

正月三日目

農暦十一月廿八日。霧雨。寒さ幾分弱まる。気管支炎の咳は抗生物質が効いたやうでだいぶ体調は良くなる。香港は一月一日除けば平日でお仕事。早晩に湾仔のバーMに家人と落ち合ひ一盞。

f:id:fookpaktsuen:20190104162944j:plain

今年初めてのドライマティーニHennessy Rdの何かと怪しいご商売も入居の國華大樓にある菜雍坊新派粵菜(King's Choice Restaurant)といふプライベートキッチンでK女史夫妻らと五人で新年の食事会。

f:id:fookpaktsuen:20190104163058j:plain
f:id:fookpaktsuen:20190104163001j:plain

食前酒に八海山の大吟醸持参。H女史持参のVaulorent Chablis 1er Cru 2015年が美味。6人のうち5人が酒飲みで上述の八海山とChablisの他、白とロゼ各1、赤は阿根廷のChacra Barda Pinot Noir 2016年と飲みすぎ。

f:id:fookpaktsuen:20190104162954j:plain
f:id:fookpaktsuen:20190104162958j:plain

朝日新聞で元旦の昭和天皇御製推敲の手書き草稿(詠草)見つかるといふトップ記事に続き今日は昭和さんの心情綴るメモもありと。昭和50〜60年代にかけての8枚で、その内一枚には東京での大雪に「一月寒中寒期きびしく、立春なれど寒さきびしく雪をみて二二六事けんを思ふ」といふ記述が大きく取り上げられてゐる。天皇の直筆といふ点では珍しいものが出てきたが二二六事件の当時を知る人は小さん師匠からうちの祖母まで当時、東京に暮らしてゐた人は冬の大雪によく二二六事件の日は、と話したもので先帝もその一人なのは当然、と久ヶ原T君と話す。記事はそこまで、だが元旦と今日の連発が敢へて平成最後の正月のスクープに当てられたことが確かなだけ。それにしても、とT君の指摘は先帝の克明な回想癖・記録癖は「排泄欲」とでも呼べるもの。

f:id:fookpaktsuen:20190104145122j:plain

この正月で初笑ひは、このHuawei関係者がTwitterで従業員に送った新年のメッセージ。iPhoneから送つてゐたとは。それにしても中共が米国でのHuawei規制に対抗した中国内での蘋果製品不買で蘋果は売り上げ大幅下方修正だといふのだから中共の力は偉大。

白井聡『国体論 菊と星条旗』

農暦十一月廿七日。薄曇り。大晦日から咳き込み悪寒と身体の怠さひどく先月中旬の風邪は通院服薬なしで乗り切つたが夜になると咳がひどくロクに眠れず「こりゃいかん」と太古の診療所に赴く。医者の診断はBronchilitisつまり細気管支炎。抗生物質処方される。

f:id:fookpaktsuen:20190102092013j:plain

在宅。読書。晩に歌舞伎の初芝居をテレビで見る。歌舞伎座より松竹梅湯島掛額。一つも面白くない。澤瀉屋の新喜劇!のあと七之助八百屋お七文楽の人形舞ひで見せる、あそこまで動きを機械的にする必要はあるのかしら。大阪松竹座では藤十郎鴈治郎扇雀、孫を従へての米寿!の舞。白井聡『国体論 菊と星条旗』読了。
白井聡『国体論 菊と星条旗』(集英社新書

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

 

 『永続敗戦論』の著者が天皇制と米国から戦後に及ぶ國體について。第1章「お言葉」は何を語ったのか は秀逸。一昨年八月の聖上の天皇退位についてのお言葉につきこゝまで踏み込んだ分析。あの発言が天皇の政治行為と見られるリスクもあるなか何故に無理を犯してまで発言しなければいけなかつたのか。時の権力と対峙しつゝもNHKでの国民への呼びかけは八一五の玉音放送のやう。それは戦後民主主義象徴天皇制の危機、切迫感による最後の手段。「戦後レジームからの脱脚」宣ふ政権により改憲ばかりか戦後の國體が国民の統合実現するどころか破壊されようとするなか國體の中心にゐると観念されてきた存在=天皇が、その流れに「待った」をかける行為に出た、と。天皇による天皇制批判。この流れでいゝのですか、国民が政府も含め今まで蔑ろにした問題の提起。〈戦後〉をわからないまゝそれは終はつてゐないのに一体何処に行かうとするのか。それの考察のため著者はまず大澤真幸の明治から敗戦までの時代区分
(明治)天皇の国民 → (大正)天皇なき国民 → (戦前)国民の天皇


といふ区分を提示する。これは解り易いが戦前の「国民の天皇」は大川周明から昭和維新三島由紀夫までの試みで成功せぬまゝに終はる。
これを戦後に当てはめると
終戦〜高度経済成長・ニクソンショック)米国の日本 → (低成長と冷戦終結)米国なき日本 → (ポスト冷戦・平成)日本の米国
といふ図式になる。 米国支配受入れ=天皇制維持で始まつた戦後は戦前までの國體が崩壊したやうで戦前とは異なる戦後の國體があつたわけだが、冷戦構造もアジアの政経的地図も激変したなかで米国から独立するどころか今もつて米国従属を強めつ「戦後レジームからの脱脚」を唱へる政権与党。他にどうすれば良いかわからぬから晋三に消極的支持を続ける国民。この大いなる思考停止に聖上は「これから、どうしますか、これでいゝのですか」と疑問を投げかけた。だが陋巷の民草は、その深刻性もわからぬまゝ天皇の交代で元号が変はることで無自覚に何か新しい時代が訪れるのではないかといふナイーヴな期待。伊勢神宮遷宮や家のお清めと一緒か……気持ちの入れ替へは大切だけど、その先は不明で。この本でも触れられてゐたが竹内好はあらためてきちんと読まねば。
中共で1979年の「告台湾同胞書」発表40周年で習近平が改めて台湾に統一に向けての声明を送る。この40年で香港澳門に実施の「一国両制」の負の側面多く台湾が民進党ばかりか国民党とて、これを容易に受け入れられないなか。中共にとつての一党独裁による国家安定はもはや國體。その國體にどう台湾が靡けようか。香港も一国両制への信奉あつても中共がそれを國體にするかぎり逆らえようはずもない。

タイでマリファナ解禁。といつてもあくまで医療用途とするが実質的に近い将来の解禁は含みとしてあるもの。これを含め現行の軍事政権で良いでせう、と。ケシの栽培など黄金の三角地帯をもつタイ。マリファナ解禁となれば観光業まで含め、どれほどの経済効果があらうか。台湾も同性婚合法化に加へ大麻容認とかアジアの中で最も欧米スタンダードに近い姿勢をとれるのではないかしら。

陽暦新年

農暦十一月廿六日。夜中に何度も咳こもり目が醒め睡眠不足のまゝ陽暦新年。晴。陽暦で元旦祝ふ感覚もないが家人の拵へた雑煮だけは毎年この時期だけの好物で何度でもありがたい。
皇后さんの御歌
<晩夏> 赤つめくさの名ごり花咲くみ濠を儀装車一台役終へてゆく
<移居> 去れる後もいかに思はむこの苑に光満ち君の若くませし日
前者(晩夏)も明らかに平成の終はりの感慨。早朝にEテレで放映された舞楽〈納曽利〉をストリーミングで見る。私たちの識る室町以降の〈日本〉とは明らかに違ふ、また中国や朝鮮とも異なる異界。これがどこから来たのか。それにしても録画はカメラ多く使ひ多方向から、また面のアップなど頻繁すぎて落ち着いて全体を見てをれず。体調芳しからず近所に昼餉を兼ね食材買ひに出ただけで陋宅に休養。

f:id:fookpaktsuen:20190101134831j:plain
f:id:fookpaktsuen:20190101132140j:plain
鰂魚涌の路上市場上の建物と金腩河粉

Aeonで買つて来た刺身を美味い日本米で飰す。刺身は白飯と一緒に限る。刺身だけ食べても一つも美味しいと思へず。維納フィルの新年演奏会中継を見る。クリスティアンティーレマン指揮。維納の楽友協会前の広場にガラス張りの特設中継スタジオまで拵へるNHKで会場も地元観衆のなかに毎年のやうに綺麗に着飾つた日本人紳士淑女多し。中国人富裕層にはまだこの正月恒例はない様子。NHK-FM坂本龍一の新年特番を聴くうちに寝入る。
▼本日元旦も恒例の市民デモ行進。反政府は当然のなかDQ-Disqualificateによる独立派とされる選挙候補者の非認定、司法長官・鄭某女による前行政長官・CY梁の豪州企業UGL収賄疑惑の不起訴、司法長官・鄭某女自身の自宅不法建築、ランタオ島埋め立て等。主催者(民陣)発表で55百人参加で警察発表は32百人。警察発表でも昨年より30百人低減。2013年が13万人(警察発表2.6万人)だつたと思ふと2015年からの減少著しく、これも雨傘後の反政府運動からの市民の乖離あることは明らか。

f:id:fookpaktsuen:20190103181204j:plain

文明の進歩、発展みたいなものともっと違うベクトルでものを考える時期が来たのかなというのはすごく感じた。百八十度変化しろってことではなくて、向かっていく先みたいなものをもう一回軌道修正したり、目標を変化させていったり、そういうことが求められているんじゃないかってことは考えましたね。

特に今の若い人たちが何を幸福と思っているかっていうのが、非常に狭くなっている気がしてならないですよね。たとえばVR(仮想現実)もそうだし、インターネットの世界もそうだし、SNSの世界もそうだし。幸福感みたいなところに割と今、ゴールが近づきすぎてしまっている気がして。もっと穏やかで豊かで何げない幸せが本当はもっと実感として得られるべきなのに、イメージの中だけで痛みも苦しみも喜びもないままに日常が繰り返されているような。

中共:コンサート会場の顔認証で一網打尽22人逮捕 - 毎日新聞 https://t.co/JLg87Jml6N 中国ではテロ対策などを目的に監視カメラ約1.7億台!を全国に設置。究極の警察国家。これで顔認証できるのだから勝手なことは一切許されない。

▼PTAが給食費集め、未納ゼロでも…「まるで江戸時代」:朝日新聞 https://t.co/rjNAH4Bp9r 中国だったら、とっくに学校のQRコードで、だよな

2018年 年の瀬

農暦十一月廿五日。厳寒続く。香港では普通に十二月末の平日。ほんの少しだけ掃除。毎年、この陽暦大晦りにするのは線香の灰振るひ。


f:id:fookpaktsuen:20190101132231j:image

f:id:fookpaktsuen:20190101131959j:image

f:id:fookpaktsuen:20190101131952j:image

浴室の換気扇の掃除。浴室の巴水の年暦(銀座渡邊版画店製)掛けかへ。午後やつと巫鴻(Wu Hung)の大著『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』読了。夕方、ジムに行き北角まで歩き洪記食品店でウオツカ一瓶購入して帰宅。北風が厳しい。自宅のウオツカ切らすとBloody Maryが飲めない。日本のテレビではテレ東では懐かしのメロディー、日テレなどお笑ひSP、格闘技物そしてNHKの紅白。いずれもどーでもいゝがEテレでは年末だから貝多芬第9なのかと思つたら片山杜秀先生ゲストに宮本亜門司会で今年の、そして無理やりだが平成のクラシック音楽振り返る番組。今年4月のブロムシュテット指でN響のピレシュさまで貝多芬のP4番(第4楽章)等流してゐて、この番組だけ見る。杜秀先生の言葉の過剰と亜門の薄っぺらな感動。京都B氏からお土産に頂いた南座は松葉のにしん蕎麦があつたので、これを年越し蕎麦に啜る。常陸は山形宿・根本酒造の戌年の祝ひ酒もあつて、さすがに今日が賞味期限で終ひ酒。


f:id:fookpaktsuen:20190101132351j:image

f:id:fookpaktsuen:20190101132355j:image

紅白がサザンの勝手にシンドバッドで終わるころ、香港はまだ午後11時だが新年迎へる前に寝てしまふ。半夜三更にヴィクトリア湾の船が一斉に汽笛鳴らしたのも半ば白川夜船。
▼ 巫鴻(Wu Hung)著『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』について。読書感綴るにも何とも名著。北京で知識人家庭に生まれた著者が文化大革命を経て北京の中央美術院で美術評論学び北京の中枢で育つた彼が天安門広場を中心とする北京の都市構造を歴史的に、政治的に見事に分析してみせる。それも「視覚によつて得られる直感」が加はり、それを言葉によつて分析し見事に理論的に組み立て〈北京〉といふ都市の〈政治装置〉としての在り方を見せつけられる。客観的に分析された都市と、そこに生まれ育つた著者の回顧を重奏的に織り込むことで更にこの〈北京〉が現実の物語となる。我々は天安門広場を知つてゐるが、ここは中共による〈解放〉前までは紫禁城前の狭い門前であつた。此処から前門までは当時は賑はひ、孫文袁世凱も、そして日本軍による入城もこゝを舞台にしたわけだが我々の知る天安門前広場は中共入城により天安門前の数多の建物を取り壊し巨大な人工の広場を設け今の姿となる。この広場あつてこそ人民をそこに集めることで1949.10.1の、あの毛澤東による天安門楼上からの「中華人民站起来了」の宣言。*この実際の建国宣言の様子が「開国大典」の革命絵画では見事に楼上の幹部らの位置が変はつてゐる上に天安門天安門広場の位置も現実にはありえない、楼上の毛澤東と広場の人民を一映しにするため無理に高さが同じような無理がなされてゐる。


f:id:fookpaktsuen:20190101132806j:image

f:id:fookpaktsuen:20190101132834j:image

そして広場の周囲に西に現政権の人民大会堂、東に同じく現政権の歴史博物館の巨大な権威的な建物を配し広場は、かつて帝国が紫禁城の内にあつたものを毛澤東の肖像が掲げられた天安門に象徴される、この広場に移した(但し実際の政治は故宮の西に位置する〈中南海〉の中で捗られてゐる)。それだけでも完成してゐる広場だが、その中央に人民英雄記念碑を誰も否定できない象徴として据へた。すべてを南から眺めるのなら、この記念碑の正面も南に向くところだが記念碑の正面は北で、この人民英雄たちは天安門の毛澤東と向かひ合ふ。更に毛澤東が亡くなると毛澤東の遺体据へた毛澤東記念堂が広場の西側に設けられ記念堂の中の毛澤東は南から人民英雄記念碑と天安門を見守ることになる。この記念堂の完成で天安門広場は閉じた空間となる(完成)。

f:id:fookpaktsuen:20190101133956j:image

……と書いたところで、かういふ見立てはこの大著で語られる内容のほんの一部。この著作はさらに北京や中国の政治などに関心がなくても抽象的な物事をどう言語化するか、どう意味づけするかといふ、とくに記号論に関心があれば見事なテクスト。そこにさういふ理論とは真逆の著者自身による半生記のやうな物語が織り込まれてゐる。その中でも第5章「広場のアートーー主題から広場へ」にある中央美術学院を襲つた文革についての記述が生々しい。著者自身も高名な経済学者の父、シェイクスピア文学研究の母をもち文革では知識人階級として批判されるのだが中央美術学院では毛澤東の天安門に掲げられた肖像画描いた周令釗、中共建国の「開国大典」描いた董希文、そして人民英雄記念碑上のレリーフ彫刻デザインした劉開渠の三人、つまり中共建国で最も功績ある美術家がどのような仕打ちを受けたか、が伝聞ではなく間近にやはり幽閉されてゐた巫鴻自身の言葉として綴られてゐる(これは圧巻)。この著作で、これらの革命絵画はテクストとして見事に分析されるが、もう一枚「天安門前」といふ社会主義リアリズムの現代絵画として秀逸なる作品描いた孫滋渓は出自背景が革命階級といふことで紅衛兵の攻撃に遭うことがなかつたといふ。

f:id:fookpaktsuen:20190101134342j:image

書くと長くなるが空間の支配とならんで〈時間の支配〉も権力にとつては重要で北京の故宮の北に位置する鼓楼と鐘楼の意義から北京の時間支配を分析してみせた第4章「時のモニュメント性」で北京の話から天安門広場に据へられた香港時計(1977.7.1の香港回帰までの秒刻みのカウント時計)に著者が着目し、そこから見事な香港論を展開してゐることも白眉。香港返還は1984年の中英合意から考へるところだが、この時計が天安門前広場に現れ時を数え出したのは1994年の6月30日。中英合意から10年、返還まで3年の、なぜこの日に時計が公開されたのか。この時期は香港で末代総督となるパッテンにより香港の急激な政治改革、民主化が進んだ時期で民主派が多数占める香港立法局が可決したパッテン提案の発効がこの日。このパッテン改革を全面的に非難した北京中央は、まさにこの発効日に合わせ、この時計をスタートさせ香港は中国に否応なく従属することを明らかにした、と。最後に、この著作につき原著“Remaking Beijing”は未読だが訳者によれば和訳に当たり本著が参考、引用にする多くの文献について本著に比べ大幅に注釈を加へ、さらに原著では膨大な挿図がサイズや形式で上手く配置できてゐなかつたものを和訳本ではかなり文章に的確にレイアウトできてゐるといふ。さういふ意味で名著が和訳で原著を超えるテクストとなつてゐるこことも出版史に残る一冊といつても過言ではなからう。

北京をつくりなおす: 政治空間としての天安門広場
 

▼ところで「五更」について。あたしは荷風先生に倣ひ日剩でも二更、半夜三更、痛飲深更に至る……なんて書き方をするが、これは

一夜を初更(甲夜)・二更(乙夜 (いつや) )・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜 (ぼや) )に五等分した称。

に基づくもので午後7時起点とすると半夜三更が深夜零時に当たる。これについて上述の著作で巫鴻先生が違ふ刻み方を書いてゐるのが興味深い。

f:id:fookpaktsuen:20190101134552j:image

 

十二月京都南座顔見世

農暦十一月廿四日。未明に起きると今日は寒い。新界では摂氏8度の由。建物に断熱材などないので室内の体感気温では10度低い。

f:id:fookpaktsuen:20181231114259j:image

快晴。朝一つ用事あり官邸に出向き、それ済まして銅鑼湾に出る。冬でも冷房のきいてゐる路線バスが今日は珍しく弱めだが温風にしてゐる摂氏10度。ジムで少し走る。麥奀雲呑麺世家で雲呑麺啜る。

f:id:fookpaktsuen:20181231114216j:image

あたしの感覚では物価高でも雲呑麺の価格上限は、せめてHK$30(420円)なのだが、この麥奀でもHK$41もする。普段は足も遠退くが寒いから暖かい雲呑麺を啜る。相席になつた日本人の女子二人、一人は海老の雲呑麺でもう一人は海老より牛肉の雲呑麺がいゝといふ。食譜で「海老」の漢字探すが海老の文字はなく「蝦」だが生蝦雲呑麺と記す食肆もあるが此処は「馳名雲呑麺」そのものが蝦。また香港で雲呑といへば蝦で、餃子屋なら牛肉もあるかも知れないが日本でも美味しくもない雲呑は豚肉を耳掻きで掬つた程度入れるが雲呑で牛肉といふのは私は知らない。相席の対面で余程「海老はですね」と声かけてもいゝのだがタイミングを外した、それに最初に「えー、相席なんだ」と云はれてしまつてゐるので。帰宅して午後は寛ぐ。本当なら年末の大掃除でもすればいゝのだが。

f:id:fookpaktsuen:20181231114523j:image

珈琲だつて星巴でエスプレッソでもHK$18だかするので高くて飲めない。家でBaccaratのショットグラスにNespressoでもHK$8ほど。読んで途中になつてゐた巫鴻(Wu Hung)の大著『北京をつくりなおす 政治空間としての天安門広場』を和訳(国書刊行会中野美代子・監訳と解説、大谷通順訳)で続けて読む。

晩にテレビつけるとNHKEテレで今月の京都南座顔見世から松嶋屋三代出た義経千本桜の舞台録画流してをり「小金吾討死」の途中から見る。小金吾は松嶋屋の千之助君。顔は今どきの若者にしては大きく化粧映えするが如何せん背が低い。殺陣もまだまだ切れが悪い。初代辰之助とかで見てみたかつた小金吾討死。「すし屋」は仁左衛門の権太、父・弥左衛門に左團次、母が吉哉、お里に扇雀。弥助実は維盛が時蔵。仁左さま、やはり助六とかより、いがみの権太のやうな悪人相にニンあり。扇雀のお里は弥助が初夜に誘なわれても「そりゃ二の足踏むだろ」と思ふほど可愛くもないが、権太が弥左衛門に刺されたあと弥左衛門の背後で兄の死に泣く姿など地味なところだが上手い。この「すし屋」はあたしにとつては1988年9月の巡業で新宿文化センターで見た延若IIIの権太が今でも目に焼きついてゐる。91年に亡くなる延若はすでに癌だつたが渾身の演技。児太郎(現・福助)のお里も可愛らしく芦燕VIの弥左衛門も良かつた。あれから30年とは。芦燕VIの兄が我童XIIIで明日、陽暦大晦が命日か、父の仁左衛門XIIの死は……なんて話をしても今ではわかるのは年寄りでも、もう少な。

▼ゴーン容疑者、拘置所で年越しラジオで「紅白」に年越し蕎麦はカップ麺、元旦にはおせち料理 - 毎日新聞 https://t.co/YNJ7etGQjh