癸卯年十一月廿四日。気温(水府)摂氏▲1.0/13.5度。晴。大阪の朝の気温3.0度。家人は神戸07:50発のスカイマーク182便で先に戻ることに。茨城空港着が9時なので東海道新幹線→常磐線より迅速。大阪に残つてゐるアタシは文楽を見ることに。四つ橋線からなんばで千日前線に乗り換へるあたりから中国人メインに外国人多く朝から何事?と思へば黒門市場であつた。千日前の路上はゴミも多くタバコのポイ捨ても目立つ。マンションのゴミ置き場は年末年始でゴミ収集もないのにゴミ袋が山積み。文楽劇場へ行く途中もホームレスのオッチャンが植え込みのところで毛布に包まつてゐたり。自転車や原付の二人乗り、ヘルメット不着用でのバイク、電動キックボードの横行……何でもあり(だが大阪には大阪の「そりゃアカンやろ」もあるのだらう)。文楽劇場には早々と客が集まりつゝあるが着飾つた着物姿の女性も東京の劇場には見かけないタイプではある。全てが大阪らしい。文楽は当日でもかなりの空席あり当日券購入(S席5,500円が国立文楽劇場友の会で1割引で4,400円)。
この劇場で文楽見物も初めてのこと。一昨日寄つたときは、この旅行中に文楽を見るつもりはなかつたのだつた。新春の文楽公演ではあるが今日から仕事始めで平日でもるし観客は6割ほどで後ろは空席も目立つのがちょっと残念。
開演前に三番叟あり。おめでたい七福神(宝の入船)で開演。狂言は〈近頃河原の逢引〉で浄瑠璃は錣太夫、呂太夫。祇園で遊女をしてゐたお俊と、悪侍に悪事働かれ誤つてそれを殺害してしまつた伝兵衛が二人で心中することはわかつてゐても、それを送り出す覚悟の母とお俊の兄・与次郎(勘十郎)。与次郎が明るく振る舞ふ猿芝居が楽しくもあるのだが(三味線は清介と清公)泣けるツボ。時間があるときに、ふらっと文楽が見物できるなら本当に幸せだらう。
日本橋から近鉄→阪神で尼崎経由で魚崎。ふと気づいたら阪神電鉄に乗るのは人生初。魚崎駅から住吉川沿ひを下り徒歩10分で菊正宗酒造。何しろ愛着のあるキムマサなので菊正宗酒造見学だけを目的に来たのだが、さすが灘、甲子園に近い今津から西に西宮、魚崎、御影、西郷の灘五郷に灘の酒造が並び魚崎だけでも菊正宗の他に櫻正宗、剣菱、白鶴とずらり。
ちょうど15時からの樽酒マイスターファクトリー見学の時間に間に合つた(文楽座で第1部の文楽芝居跳ねたのが13時55分だつたので1時間でこちらに到着できたことになる)。限定20名で酒造の酒樽造りの工場見学が出来る恩恵。10数名で香港出身で豪州から来た日本酒好きの女子一人ゐて少し歓談。酒樽造りの職人は女子が丁度見学コース直近で作業してゐたが見学者が10分近くだつたか作業を凝視してゐたらツアー担当の職人に「もう勘弁してくれないかな」と仕事に集中できぬから少しイラッと。そりゃさうだらう。逆にいへば見学者もそれなりに日本酒LOVEな方ばかり。
魚津から三宮へ。生田神社参拝。親族の病気退散願ふ。三宮駅ガード下の神戸サンボア。現在、関西と東京に17軒だかあるサンボアのうち北新地、銀座、浅草と神戸が一つの系列。茶道でいへばサンボアといふ流派にこの北新地から始まつた謂はゞ「酒家」があつて、そこに四つの茶室(庵)があるやうなイメージ。
サンボアバー|SAMBOA BAR-北新地/銀座/浅草/神戸
ハイボールをいたゞいてゐると狭い事務所の扉が開いて出て来られたのは、この系列のオーナーバーテンダー(茶道でいへば宗匠である)の新谷氏。以前、移転する前の銀座サンボアで尊顔拝したことはあるが、もう十年くらゐ前かしら。サンボアは神戸発祥だが大阪で系列店が発展して神戸にはサンボアがなかつたところ、ご宗匠が2020年春に疫禍のなか捲土重来で三宮の地に開業。銀座の移転では東日本大震災であつたり開店が何かしら災害に遭遇かも。それでもそこからの繁盛である。ご宗匠が纏められたのが、こちらの書籍『バー「サンボア」の百年』である。
ご宗匠と銀座サンボア20周年の記念札入れのことや記念ライブのことなど話をして調子良くハイボール二杯飲んでヴァランタイン(17年)も飲んでゐたら(このバーは全てがダブルの量である)けっこう良い時間になりポートライナーで神戸空港へ。空港到着が搭乗時間19:20の30分前だつた待ち時間なく搭乗できたタイミング。夜間のフライトで神戸から山側に航路をとり時折り眼下に市街も散見され狭い湾のやうな水辺も見えたが今どこを飛行中なのか皆目見当もつかず。客室内にフライトルートを映すモニタもなければWi-Fiの提供もない。茨城空港到着のため高度を下げつゝあるなかかなり明るい市街地があつたが千葉ほどではない。あれよ/\といふ間に暗闇のなか茨城空港に到着。アトでフライトレーダーのルートを確認したら神戸空港から京都を経て湾だと思つたのは琵琶湖で、そのあと岐阜から飛騨、木曽、中央アルプスから秩父、群馬、で明るかつたのは宇都宮で烏山まで北上して茨城県北からのルートであつた。往路のときも確かめたらこのルートだつたが厚い雲のなかで全くわからなかつた。伊丹、名古屋を過ぎれば途中に空港が一つもなく、フライトの混雑する羽田、成田の空域を避け、たしかに最短ルートで55分の飛行時間かと納得。
茨城空港の表記はOMITAMA(小美玉)。不思議な地名だが合併して市制となる前の小川町、美野里町と玉里村から一文字ずつ。合併の際の住民公募での1位は「百里市」だつた由。空港で三日間お世話になつたWi-Fiルーター返却。家人が迎えに来てくれ午後9時過ぎには帰宅。神戸サンボアを出てから2時間である。