癸卯年十月二十日。気温摂氏▲0.1/12.1度。晴。京成百貨店中心にかなりの渋滞。北海道物産展でもあるまい何かと思へば十二月に入り、やはり「デパートで買ひ物をしなければならない」のだらう。
京成百貨店といへば包装紙が東山魁夷なのだ。それもとても現代風。京成百貨店が今でこそ水戸にしか存在しないが昭和47年に上野駅前の下谷郵便局跡地に上野店開業の際から、この包装紙採用。京成電鉄と東山魁夷。魁夷画伯は戦後、市川に暮らし市川市名誉市民。京成電鉄の本社は市川市八幡。東山魁夷夫人・すみの父は日本画家の川崎小虎で京成電鉄社長だつた川崎千春と従兄弟の関係。そして何故に京成電鉄も走つてゐない水戸に京成百貨店*1かといへば川崎千春と三井不動産の江戸英雄はいずれも茨城出身で旧制水戸高校の同級*2。京成電鉄が(茨城の関東鉄道と組むとかで)水戸まで乗り入れることはなかつたが水戸駅前には水戸三井ビル*3に並び京成ホテルもある。水戸のこの京成百貨店は私鉄系デパートで全国で唯一?その鉄道沿線で店舗展開を行つてゐない稀有の存在かも。
呉叡人『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』(みすゞ書房)読む。呉叡人(1962〜、中央研究院台湾史研究所副研究員)のこれが台湾で《受困的思想:臺灣重返世界》(衛城出版)として出版されたのは2016年。香港の民主化運動のことなども多く語られてゐるが2019年の香港騒乱以前の言論で国安後の香港の現状については想定外のことであつた。呉叡人は当時、陳雲の〈香港城邦論〉をかなり評価してゐる。香港城邦論は(理念としても)「香港独立」支持せず香港固有の自治と主体性を防衛擁護するもので中国の主権に挑戦したり中国政治に干渉しないといふもの。さういふ意味では本土派の港独に繋がる思考よりずっと温柔なものだが2019年には騒乱の限界状況のなかで本土派からは陳雲のそれは批判され中共もこの都市国家志向こそ最も忌み嫌ふべきもので〈香港城邦論〉など陳雲の一連の書籍は香港で禁書扱ひ。この書籍のうち香港民主化に関する部分だけ先に言及してしまつたが全体論に戻ると台湾から東アジアの「諸帝国の狭間における断片」つまり東アジア「辺境」での近代的政治主体の形成について呉叡人の思考が続く。複数の帝国のパワーバランスの中で琉球、台湾、南北朝鮮そして香港がそれ。興味深いのは台湾で民主主義体制が強固なものになつたやうに韓国もそれに続き香港の民主化や沖縄の県民運動など、この地域でこそ政治的成熟があること。
台湾は植民国家=台湾に亡命してきた中華民国の継承と改造を通じて内部的な脱植民地化と実質的な独立を達成した。(略)台湾ナショナリズムは植民地解放の段階において「内から外へ」の路線(略)つまり民主化と国家の継承を通じて内部的な脱植民地化と実質的な独立を達成したのである。
琉球独立につながる「琉球ナショナリズムは日本から分離独立することで脱植民地化という目標を達成しようと試みる」点で台湾よりも状況は難しい。そして台湾独立と琉球独立には果たして同盟を結ぶための基礎が存在するか。
台湾が独立するためには、どうしても米国・日本・台湾の軍事同盟力を借りて中国を抑止する必要がある。それだけに米軍が琉球に基地を設けて軍隊を駐留させることに反対するのは難しい。(略)この「隣人を犠牲にする」主張は普遍的な正義の原則に反しており、つまるところは台湾をも傷つける。
そこで何が可能なのか。台湾は成熟した市民社会を足場としてカント主義的に!「自由な民族同士の理念と価値に基づいた同盟」を琉球との間に育むのだとする。民族自決、民主、人権、平和そして環境保護など共通理念に基づき米軍基地撤廃、琉球民族の自主決定(訳者はこれを「自決」としてゐるが自決には①自主決定と②主義主張貫くための自死があるので用語は慎重に)を支持するべきとする。そして台湾は永世中立を究極の目標として日米同盟にも参入を求めず中国とも同盟しない立場。琉球も同様の思考と選擇をしてゆけばカント的に整理の理念と価値に基づく同盟にならう、と。それこそあまりに理想主義的だが、かういふ思考も理念としては大切かもしれない。
竹内好が「中国」と「アジア」を理想化した目的は日本ナショナリズムの再構築にあった。現代東アジア各国の新アジア主義もしくは「東アジア」論は、各国ナショナリズムのイデオロギー的基礎を再構築することを目的とし、かつある種の相対的に進歩的な地域主義もしくは国民国家同盟形成への道をつけようとしている。例えば、歴史の恨みを捨てた中日韓三国を核心とする「東アジア共同体」がそうである。それが竹内好であろうと部分的に竹内好に由来する現代の新アジア主義者であろうと、いずれも進歩的ナショナリズムの変形である。そうした戦後アジア主義の目的はナショナリズムを手なずけるものではあっても放棄しようとするものではない。アジア主義者たちは主権国家体制による国家形成権の独占に挑戦したことはなく、また権力の均衡を求める現実主義の原則を超えることもできない。それこそが戦後アジア主義にかかわるさまざまな主張の中に台湾の位置を見つけられない理由である。というのも台湾はこうした進歩的なゲームに参加する資格=主権国家の身分すらまだ持っていないからだ。中国が台湾を領有せんとする失地回復主義を放棄しないかぎり台湾が主権国家の資格を得ることは不可能であり、いかなる形式の東アジア共同体にも参加できない。アジア主義の包摂的な理想も結局のところ教権主義の現実によって別の形での弱者排除、さらには将来的な帝国拡張の合理化を可能にするイデオロギーになるであろう。この点についていえば現代のアジア主義は80年前の孫文の大アジア主義*4にさえ及ばない。
この言及する点はまことに秀逸。結局のところそこなのだ。