富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

野村裕基〈釣狐〉国立能楽堂

陰暦九月初六。水府の朝の最低気温摂氏17.3度。連日の快晴。筑波山を遠景に眺めると「あ、筑波山」といちいち騒ぐと家人には笑はれるが筑波を愛でるのは茨城県民ばかりではなく江戸でも筑波信仰といふものがあつて「東の筑波、西の富士」といはれ錦絵とかにも盛んに描かれたほど。筑波は関東平野だから目立つわけで標高877mは日本百名山で堂々の「最も低い山」。都道府県の魅力度ランキングで茨城の最下位は恥ずかしいがこの低さで百名山に選ばれるのだから筑波は立派。常磐線からだと土浦と石岡の間にある高浜駅からの眺めが美しい。各駅停車上りのG車二両の内の前方車両の2階席真ん中より少し前の座席がベスト。なのでいつもここに座る。


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東京駅から荒川土手行きの都バスで週末なので都心は道路も空いてゐて駿河台下まではすぐ。三茶書房のワゴンに小学館の『新編 日本古典文学全集』からバラ売りが何冊か並んでゐて『世阿弥芸術論集』を購める。五百円。和菓子のさゝま。


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神田錦町の学士院会館に投宿。駒場の前田公爵邸や日本橋髙島屋、川奈ホテルなど設計することになる高橋貞太郎の昭和3年の設計。


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建物はきちんと保存、利用されてゐるが客室はさすがに当時のスタンダードのまゝでは無理あり。401号室といふ客室紹介(こちら)ではお勧めの部屋を押さえることができたが部屋に入るなりあばからべっそんは大規模改修で設へられたのであらうユニットバス。開館当時からの原型では学士会館だから旧帝大出の学士さま(男性)の宿泊施設で各階にシャワールームでもあれば良かつたわけで、部屋の広さにも余裕あつたのだらうがユニットバスを設へたことで部屋は手狭になり高い天井に対してユニットバスが置かれて天井からのシャンデリアもユニット上部にかゝり悲しいほど不格好。


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神保町から都営新宿線で新宿。学士会館はすぐ都営三田線神保町駅直結なのは便利。早めに鮨いしかわでお昼。お弁当を所望したら9月から?お弁当は前日までの注文になつてゐた。「先生にはもうお伝へしてあります」と大将。ちらし寿司。秋の彼岸には遅くなつたが常圓寺墓参。墓地から歌舞伎町の方角に野暮な高層ビル(東急)あり卒塔婆の遠景によく似合ふ。


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墓参のあと家人と別れ千駄ヶ谷国立能楽堂。新宿から歩かうかと思つたが摂氏29.8度で無風の快晴では省電に乗つても大汗。普段、狂言だけの番組は見てゐないが本日は野村万作家で裕基君が〈釣狐〉初演。これならば、の佳き日。観世流から舞囃子高砂〉に御曹司、仕舞〈熊坂〉淳夫師、御宗家が一調〈勧進帳〉、同〈松虫〉は観世喜正で(小鼓)大倉源次郎と花を添える。

裕基さんが披く〈釣狐〉は背丈があり小顔八頭身でキツネといふより大型のコヨーテでサバンナとか疾走してゐさうだが〈釣狐〉を実際に見てみて、これっがどれほど体力的にも精神的にも六ツかしい狂言なのかと納得。着ぐるみで汗が顎から垂れ衣装を濡らし肩で息をきりながらの台詞。父・萬斎師が狐と対峙する猟師役で厳しく圧巻の演技は特筆もの。そして万作師が後見役で、ついついその表情を眺めてゐてしまふ。トリは万作師の狂言〈髭櫓〉で何ともナンセンスな話で駅弁売りのやうな櫓や巨大な毛抜きなどの小道具使つた演出。テレビのお笑ひ番組でドリフや志村の下らない小道具コントも源流はかういふものかと思はされる。舞台に残された小道具の「櫓」を今度は裕基さんが後見で片づけるとき客席からは先ほどの狐の熱演に大きな拍手。

万作師は、これまでに他の演者ならやつても生涯で数回の〈釣狐〉を繰り返し演じた際に「一つの芸術の世界を描くべきと思考して演つてきた」として、それを下村観山の「すゝきの原にゐる白狐の絵に詩的な世界があるやうに」と語られてゐる。

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家人と夕食で千駄ヶ谷から省線で市ヶ谷。地下鉄で神保町。岩波の角への出口。岩波ホールも閉鎖。この岩波神保町ビルへの地下からの入り口。高校生の頃のこと思ひ出し懐かしさに暫し立ち止まる。


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家人とは30数年前以来の神保町での飲食で「さて何処に行かうかしら」で錦華通り。白耳義酒場のブリュッセルズ。狭い店舗で2階のテーブル席は満席で地面階のバーカウンター。白耳義🇧🇪啤酒を飲み、いきなり牛肉のステーキを喰らふ。延々と流れる80年代の洋楽が懐かしいどころか、あれはポップスの最盛期である。


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ちょいと食べ足りない感あり西班牙🇪🇸料理の、こちらも今では老舗のオーレオーレ。こちらの馳名は料理よりも女将?で一見の客でもお相手の作法見事で店を出る迄、女将との言葉遊びが何とも楽しいかぎり。


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学士会館に戻りお茶を淹れて駿河台下さゝまの「高尾」と「みのりの秋」をいたゞく。


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