香港では飲食店が店内飲食全面禁止で夜はともかく昼食時には外食難民多く殊に工事現場など外仕事の市民は悪天候のなか軒下で雨を凌ぎ公園で傘をさして弁当を食らふやうな状況の由。
朝、小雨のなか共産党が駅前で衆院選にまた立候補するであらう前・県議が演説しながらビラくばり。一向に為す術を知らず不要なマスクまた配るだけの安倍政権批判は当然か。それでもビラをもらはうとする市民もなかなかゐない。
水戸でもついにキャバクラで数名の感染。キャバクラでのクラスター懸念あり県と市が店名を公表。水戸の昔からの歓楽街で信願寺といふ寺がかつてあつたあたり。この寺ぢたいは戦前に郊外に移設され地名だけ信願町と裡(うら)信願寺の路地が残る(といつても、これも昭和に大規模に改称されてゐるが)。そこで、このキャバクラなのだが、ふと気になつたのは、はて、この通りの名は?といふこと。このあたり古くから横丁まで名称あり。だが、この通りはピンとこない。母も知らず。そこで戦前の地図を見ると、この通りはなく、何うやら戦争の空襲で焼けて戦後にこの通りができたやう。古くは寺や武家屋敷など大きな敷地が並び横丁もなかつたことがわかる。
紐育時報のスドクはさすが六ツかしい。時間をかければできるのだらうが毎日そんなことをしてゐたら大変なので、やるときは10分と時間限定で即席に努めてみるが慌てゝやつてで来て例しなし。それが今日はやつとできた。
帰宅すると母が今日、NURO光の機材がセットされていつたといふ。ついに5Gの環境に。早速繋いでみると上り下りが34.4/37.8から255/261(Mbps)と約7倍になつてゐた。
八旬の母も五鬼餓の令和かな
靴底の修理雨の日続きで革靴も雨水がしみて困つたもの。靴が少し草臥れたからといつて買ひ替へもさうは易々とできず。にホームセンターで接着剤さがしたら、ちゃんと黒色の接着剤まであるのには驚いた。
台湾で李登輝先生が今年に入り石牌の榮総(台北榮民総医院)に長期入院中だが容態がかなり逼迫といふ。
晩に朝日新聞が李登輝先生逝去を報じたのは他のメディアに比べかなり早かつた。
戦前の日本精神に培はれ、戦後は国共に鍛へられた戦後台湾の運命を担つた巨人。状況が状況なら反国府のリベラリスト、それが蒋経国により政府に招かれ学者肌の実務派官僚で終はつてもおかしくなかつたところ蒋経国が自らを襲ふ副総統にまで重用したのだから。それにしても国府で軍を掌握する郝柏村は「憎し李登輝」どころか蒋経国に対しての無念もあつただらう。それが李登輝は郝を行政院長に任命し一旦は自らの下に据ゑる政治ゲームに出て郝は不服ながら名誉に甘んじ、それを受け李政権にはやはり安住もできず辞職。国民党の主導権も握れず結果的に李登輝に敗北。何といふ強かな李登記先生の政治手腕。その後は国民党の敵であるはずの民進党で阿扁総統は李登輝を父のやうに慕ひ、李登輝の台湾主義は民進党より更に独立色を見せることで民進党を中道左派の位置に安定させることに。現職の蔡英文も李登輝が、自らが蒋経国に採用されたやうに見つけてきて政権に引き入れた英才。その彼女が安定した国家経営を続けるなかでの逝去。台湾をアジアでは筆頭の民主国家にした李登輝先生の偉大さ。本来であれば日本がさうなるべきだつたのか、その体制を植民地の台湾で実現させたのだから。
木曜ドラマ『BG~身辺警護人~』テレビ朝日 https://t.co/FKKaDr0HlK 最後に成田屋ご登場だったが,どうせなら六本木の飲み屋でヤヴァいことになってキムタクの警護会社に身辺警護依頼する役だったらリアル
— 富柏村 (@fookpaktsuen) 2020年7月30日