富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

母の日

fookpaktsuen2018-05-13

農暦三月廿🐝日。日本では母の日。毎年せめてものお祝ひと「とらや」の母の日の水羊羮だとか日比谷花壇から花など贈つてゐたが、気がつけば「消えもの」ばかりで消えないものは何かないかしら?と思ひ、暫く前に桐生の松井ニット(こちら)でおしゃれなストール見つけて母自身だとこれは派手すぎと選ばないかと寧ろ明るい色こそいゝんぢゃないかと贈ったらとても喜んでくれて何より。母には年に二度会ふ程度で電話もたまにだが冬に帰省したときに母にしのぶちゃんの楽々須磨帆買つてあげてLINEで通話料無料で話せるやうになり何かあればたまに四方山話になる。子どもの頃から祖母や母とは世間話が好きで、家業で夕方仕事が少し暇になる時間に珈琲好きの母は店の真向かひのデパートに支店のあつた「ふじたや」珈琲店に行くので付いてゆくと珈琲と 美味しいタルトのケーキもあつて楽しみ。その後は今ではかなり有名になつたサザ珈琲の水戸店で。珈琲飲みながら当時から何かと四方山話をしてゐたもの。母もこの日剩の熱心なビューワーの一人なので離れてゐても何かとアタシの行動に詳しい。晴れ。気温は摂氏30度だが湿度低く爽やか。今日も官邸で週末の残務処理。懸案だつた仕事どうにか目処が立つ。帰宅すると家人の話で隣宅はピアノで妻がリスト、息子が甘つたるい曲をよく弾くのが五月蝿く団地の管理事務所に苦情も言つたところ苦情はうちだけぢゃなかつたのか隣宅は玄関のドアにゴム当てた上に鉄扉に厚手のビニール張り防音のつもりだがピアノ演奏の騒音は安普請ゆゑ壁つたひ、また冷房もつけず窓開けっぱなしがいけないのだが、それに全く気付いてをらず。夕食で家人が台湾で三角湧まで出かけて仕入れた徐媽媽の紅麹豆腐乳をいたゞく。これは美味。夕食のあと「香港製造」とは言つても雀巣(ネッスル)だが復刻版で牛奶公司のアイスクリーム頬張る。寝しなに岩波『図書』2013年8月号で大好きな連載、青柳いずみこ『どこまでがドビュッシー』⑩読んでゐたら著者の筆致でグルードを語りグールドこそ、いずみこさんがこの連載で追求してゐるといふ「音楽というのはどこまで行ったらその音楽に聞こえなくなるのか」といふ、その実験のやうなグールドの破天荒な、でもその解釈がまことに見事なバッハや貝多芬の熱情ソナタ土耳古行進曲のことなど書いてゐて久々にグールドのそれが聞きたくなりネットで貪り聞く。
▼ふだんは全く見ぬNHKの朝の連ドラ「半分、青い」一週間分見てみる。岐阜の田舎から上京する家族の別れの悲しみから東都での不安定な生活の始まり。ヒロインが人気漫画家のアシスタント、実は飯炊きで仕事始めると同僚が「ぼくってゲイだから」といきなり自己紹介がNHKにとつては画期的、1990年代初頭の日本なのにLGBTが脚光浴びる今の反映なのかもしれぬが何だかねぇ。LGBTもよくわからぬ。LGBだから生活に困難ありなら勿論それは解消されるべきだが、それはLGBで(当然それで何も生活に不自由なき同志にはどうでもいゝことで)それに限らず身障者でも貧困でも在日でも全ての生活上の差別や困難が解消されるべき(ある面では「それだけ」の)ことでありT(トランスジェンダー)はLGBとは全く違ふことは女装の三橋順子先生の指摘通り。このドラマで明るく振る舞ふゲイの「ぼくて」はそれでそれでいゝがホモがドラマのなかでいかにもトリックスター的な役であることこそ変な話。
▼何本も使つてゐる万年筆について。何本も使つてゐるなかペリカンのスケルトンのがいちばん書き易い。これは陋宅の居間でのメモ用。書斎では同じペリカンでも王道のM800を。オフィスで常用は右からサイン用のモンブラン、細かいメモ用のパイロット、赤インクのオノトと蛍光インクのペリカン。弁護士なので、と万年筆貰ふこと少なからぬS嬢は記念品のような高級万年筆が大きすぎて、やはりペリカンのスケルトン愛用するが一番のお気に入りは小学生用のラミーだそうな。まぁ愛らしい。万年筆でインク入れるには井上ひさし氏だつたか大きめのガラス壺にインクをたくさん移して、そこに万年筆をじゃぽんと漬からせてインク吸入すると書いてゐたが、そこまでした時期もあつたが今はアタシはもっぱらモンブランのインクをいつも斜にしてゐる。

▼岩波の月刊誌『世界』かつて香港で大丸→そごうの旭屋書店でも店頭に1、2冊あつた時代もあり。定期購読してゐた当時、アタシの他にもう1人定購の方がゐて日本に留学経験のある老知識人だとわかつたが冊数少なくお取り扱ひなしになり書籍取次大手・日販系の海外購読サービス(CLUB JAPAN)に頼つてゐたが最近はいくつか興味ある記事と連載読むだけでアタシもついに購読停止。大学生の頃から何十年と読んできたのだが。その『世界』五月号の特集「森友問題“安倍事案”の泥沼」で文科省元官僚の寺脇“ゆとり”研が青木理相手の対談での発言が面白い。寺脇氏が若い頃に出向で広島県教育長。広島といへば「君が代」で校長自殺の世羅高校事件などありリベラルな寺脇は地元選出の保守系議員らにかなり圧力かけられたといふが寺脇の後任(木曾功)など見事な立振る舞ひで今は加計学園理事で傘下の千葉科学大学学長の由。寺脇氏曰く「潰れかかった幼稚園の経営者が日本会議という足場使って国会議員動かし、ついに首相夫人まで釣り上げ政権に擦り寄ることで起死回生の一発を狙った」もので、さうしたかなりレベルの低い話で国有地破格の払ひ下げで小学校開校の一歩手前までいつたといふ詐欺まがひの便宜供与、かなりレベルが低いといへば低いが、それが財務省の決裁文書改竄にまで至るとは。山形新庄M氏曰く

森友も加計も安倍首相が役人の忖度を認めて「教育において理念を共有できる知人たちだったので学校づくりに協力したいという思いがあったのは事実。私の思いが官僚のみなさまにおける手続きの公平さを損ねてしまった点があったなら、そのことは申し訳なく思う」と頭を下げていたら、おそらくその場限り、1〜2週間の政治ニュースで終わっていた話だろう。噓に噓を塗り重ねて安倍首相のみならず自民党挙げて意地になって否定を続けた結果、国会議員やマスコミが1年がかりで喧嘩しなくてはならない話になってしまった。

と。御意。