農暦十月二十日。朝、雨。タクシーで家人と上環のフェリーピアへ。九時のジェットフォイルで一路、澳門。ホテルのシャトルバスでソフィテルポンテ16へ。クラブラウンジでチェックイン。今回も3回連続でPrestate Suitesへの格上げ。ありがたい。部屋の準備にはもう少しお時間を、といはれ路線バスで氹仔へ。いつも立ち寄るスーパーで塩とオリーブオイル贖ふ。路地の、ある料理屋の厨房の裏口に繋がれた犬に挨拶。Xiolas O Castiçoで昼餉。たつぷりと注がれた葡萄酒に酔ひ路線バスでホテルに還る私と午後も町歩きの家人。バスに揺られ眠りに落ち慌てゝホテルの前で下車。客室で午睡。暗くなる頃にMacau Soulに出向き葡萄酒を飲み……と数ヶ月に一度の、何も変哲もなき澳門の週末。だが今日は一つ予定通りでないのは第63回の澳門グランプリ。フェリーが満席とかホテルがばか高いとか何の支障もなくグランプリレースが今日開催だといふことを知らぬまゝ。フェリー乗り場隣接のホテルやカジノのシャトルバス乗り場はグランプリのピットインでバス乗り場は長い歩道橋の先(かつての八百半の方)に臨時の乗り場。歩道橋はグランプリのコースを跨ぐが見事に目張りされてレースが一切覗けないやうになつてゐる。大したもの。晩の葡萄酒はQuinta do Monte d'OiroのTêmpera Tinta Roriz 2005年。これを飲んだあとにヘンリーマッケンナを2杯もたつぷり飲んでしまひマカオソウルを出たところから後の記憶はさつぱり。晩にホテルの屋上でホワイトパーティなるもの(ヰキ)開催され宿泊客の参加は免費といはれてゐたが家人の話では低音が階下の客室まで響いてゐたといふ。
▼晋三のトランプ謁見がトランプ私邸で取り巻きの親族らに囲まれ晋三側は単身、通訳一人で臨み内容は非公開と呆れるばかり。これにつき元外務事務次官の竹内行夫は他国に先がけての会談は日本が米国にとつて重要な同盟国といふことに加へ在米日本大使館がきちんと準備してゐたことを挙げてみせる。果たして、さうか。外務省はクリントン女房当選と判断し九月の訪米でもクリントン女房と会談してゐるではないか。これについて日経に興味深い記事あり(トランプ大統領と米国5)。今回のペルーで開催されるAPEC首脳会議の前に紐育立ち寄りで次期大統領との会談を狙つてゐたのは事実。だが大きな誤算は相手がクリントン女房と想定してゐたこと。9日夕も晋三に外務省は「クリントン勝利」と報告し続けトランプ勝利に晋三は「話が違うじゃないか」と怒り、すぐに電話会談セットするやう指示。このやうな動きのなか「もしも」でトランプ当選の場合のプランBも主張してゐたのが駐米大使・佐々江賢一郎だといふ。投票日の数日前にはトランプ側近に外務省側から勝利の場合の電話会談打診しトランプ側は「祝いたいと電話してきた国は初めてだ」と喜んだといふ。あまりに隷属外交ではあるが、少なくともトランプ当選対応を駐米大使がしてゐたことは確かに上述の竹内コメントに合致する。
▼トランプで先行き見えぬ米国の政治経済だが浜矩子先生がクリントンの経済政策をざっくりと「節度完全忘却型レーガノミクス」と呼んでみせた。レーガンのやうな無節操男でさへ出来ぬレベルの。財政大盤振る舞ひで金融政策はゼロ金利からの出口を見つけ金利上昇となりドル高。これはレーガノミクスの時と同じ。ドル高で物価はあまり上がらず大盤振る舞ひの財政策で経済成長率も上がる。恰もインフレなき高成長実現のやう。だが現実には米国の貿易赤字は拡大しトランプを支持した男性の白人労働者層はメリットもなく苦境に陥るはずで。
▼1963年の「アラビアのロレンス」の視覚効果。色彩を三原色に分解するプリズム内蔵した1台の撮影機の中で同時に回転する65mmの白黒フィルム3本を現像のときに其々赤、青、黄に染色し最後に1本の70mmフィルムに合成するといふテクニカラー方式での撮影とは。