富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

灰とダイアモンド

fookpaktsuen2016-10-29

農暦九月廿九日。官邸で周末の雑務処理。按摩のあとFCCで軽く夕食すますと雨降り。小西湾。電影資料館でワイダ監督の映画特集で『灰とダイアモンド』30年ぶりで観る。原作(イェジ=アンジェイェフスキ)と所々で頭が混乱。それにしても映像の一つ一つのシーンがなぜにこんなに美しいのかしら。今回の作品はデジタルでの完全復刻版でフィルムの柔らかさには欠けるが細部まで、こんなに作り込んでゐたのか、と感心。このワイダ作品特集はアンジェイ=ワイダ監督の卒寿に合はせたものだつたが、それが今月八日に監督逝去で追悼の映画特集にならうとは……哀悼。ロンドン亡命政府側の暗殺者マチェクが最後、戦争で廃墟となつた街の瓦礫の中で命失ふことで「反政府運動の無意味さを象徴してゐる」と統一労働者党が高く評価で上映に漕ぎつけた作品だが作中で酒癖悪き老新聞記者(ミルスキ)の泥酔で語るが如くナチスドイツもソ連傘下の共産主義者も、いずれも権力は自由を奪ふ。ホテル(映画では戦争での被害甚大なモノーポルホテル)での朝まで続く宴会で泥酔した客たちが楽団の下手に奏でるショパンの楽曲で踊る姿までホテルを舞台にした映画は秀作多し。エコノミスト誌(今週末号)のObituary: Andrzej Wajda “The conscience keeper”(こちら)より。
The closing scene of his greatest early work, “Ashes and Diamonds” (1958), showed an anti-communist guerrilla dying on a rubbish dump after botching an assassination―an image as powerful as those of Goya or Delacroix. That grim end, he knew, would make the censors glad, but audiences would ask themselves: “What kind of system is this that forces such a sympathetic lad to die on a garbage heap?’ In an earlier film, “Kanal” (1956), young soldiers in the Warsaw Uprising of 1944 perished hopelessly in the city’s sewers. He did not say explicitly that the Soviet Red Army callously stood by while Nazis crushed the flower of the resistance―but no Pole needed reminding of that.
この上映に合はせワイダ監督がポーランド映画史について語る"A Lesson of Polish Cinema (Lekcja polskiego kina)"といふインタビュードキュメンタリーも上映(71分)。2002年の映像でワイダ監督亡き今はこれも貴重な映像史料。ナチスへの抵抗運動と共産党独裁があつたからこそのポーランド映画の結果的興隆で「その後」ポーランドの映画がどうなるか、は難しいところであること監督自身が語る。日本シリーズは広島に戻つての第6戦、映画上映前に1対2で今日は負けて明日の最終戦で大谷か、と覚悟してゐたが映画が2本で3時間、終はつて結果見ると10対4の大勝で日本一に。あまりの勢ひに言葉もなし。広島では今日の大谷出番なしに「広島も低くみられたものだ」と嘆きの声もあつたといふが栗山監督試合後に曰く「本当に完結したのか。終わってみれば課題ばかりが残ったような気もする。何が今年1年の終着点なのか。ただ選手が大きなけがなく終わったことだけはよかったと思っている。翔平も疲れ切っていた。使わずに済んでよかった」。これこそ監督の言葉。