富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

米朝師匠逝ってしもうた

fookpaktsuen2015-03-20

農暦二月初一。昨日の朝日新聞オピニオン欄は充実。腐っても朝日で、かういふ質の高さは他紙には求められず。先ず晋三と大河ドラマ「花燃ゆ」効果での松陰ブームについて授業思想研究の小島毅教授(東大)。陽明学の「知行合一」重んじられたのは維新後、なぜ日本人は行動重視といふがイスラム国かて行動重視は同様、日本は体系的理論よりも何をすべきかわかりやすいものを求めがち、理想現実のために地道な言論で人々感化に非ず直接行動、その理想は「日本国の存続」で天皇中心とした挙国一致体制で西欧列強の進出に対抗、日本を一等国にする目標のため「日本の素晴らしさ」強調。それが敗戦でも発想に転換なきことが今でも問題。その行動の理由が善意や正義。

松陰的な思想だと、自分の善意が通じないとき相手を攻撃するだけになる。「他者」の存在を認め、その「痛み」理解すればテロリストたちがなぜ残虐なことをするのかも想像することができる。(略)彼らには彼らの正義があり、松陰の「やむにやまれぬ大和魂」ならぬ「やむにやまれぬモスリム魂」で行動しているのかもしれない。それを最初から全否定すれば潰すか潰されるかしかない」

彼らにも吉田モハメド松陰がゐて松下村塾があるかもしれない、と理解する想像力が大切、と。御意。続いて野々山忠致・元諾威大使が「私の視点」で晋三の積極的平和主義とは名指しせぬものゝ「テロとの闘いを進める国際社会において」と政府は言ふが「武力紛争下での「人道支援」とは一般住民、傷病者、捕虜を敵味方なく保護、救援する活動」であつて「テロとの闘いのように敵と味方を峻別する考え方とは異なる」もの。国がこの違ひを認識せずに人道支援とテロとの闘ひを一体化して行へば折角の人道支援も誤解を招く、と。最後が神里達博・阪大特任教授(月刊安心新聞)は「凶悪化する少年犯罪」の世相に溜飲下がるが「少年犯罪は長期的には明らかに減少傾向」にあり「最近の少年犯罪は残虐性が高まっている」も誤謬。そも/\少年に限らず近年の日本の治安は凶悪犯罪発生件数の推移など見ると良化。ではなぜ社会は少年事件を恐れるのか?は社会の大きな変化で人々は不安を覚えるもので、そこで問題の原因を「社会の特定の者」に求める。19世紀の普仏戦争で敗北したフランスでは敗北の原因を「青年の身体、精神の弱体化」に求めたといふ。もう一つ、と神里先生指摘するのは我々の社会が「子供を子供扱いすること」をやめたがつてゐるのではないか?と。目からウロコ。中世に現代のやうな「子供」といふ概念なくコミュニケーションとれるやうになる7、8歳以降は単に「小さい人」として扱はれ、現代のやうな保護・教育の対象としての「子供」が発見!されたのは概ね17世紀のことだといふ。近代とは客観的事実に基づき理性的思考を是とするはずが我々の社会はだうも統計的データより主観的実感優先し「近代に花開いた子供という概念」も捨て去らうとしてゐるのではないか、と。
▼新加坡で李光耀閣下重篤の由。なぜ一党専制で国民束縛の李光耀が唾棄されぬのか、は「成功した独裁者ゆゑ」と信報の昨日の社説「新加坡模式獨一無二抄不來」。李光耀とその一族が絶対的権力握り乍らも腐敗せぬ「特殊ケース」。瑜不掩瑕。中国なら「繁栄娼盛」となる。この新加坡モデルは独一無二。他の国や地域が真似出来るものでなし。経済成長も李光耀の御代で終はり無風無浪長治久安も難しいところ、と。
▼数日前の朝日新聞で思想界のマイケル=ジャクソン、小熊英二の批評より。三陸被災地の苦境、人口流出、産業基盤衰退、急激な高齢化は「予想できたこと」で震災はそれを加速。震災後の復興政策がむしろ、この趨勢を強めた。それは高度成長期に整備された復興法制が現代に適合せぬゆゑ。地域社会が弱体化してゐれば千年に一度の津波でなくても5年に一度の集中豪雨でも容易にその地域は崩壊する。今後の復興支援はだうあるべきか。

  • 公共インフラ整備よりも被災者への直接支援。復興予算の多くが巨大な防波堤工事等に費やされ被災者に直接届かず。
  • 復興目標を現実的に。昔の賑はひ取り戻すことは無理。右肩上がりは過去。減少した人口や産業規模で持続できる地域社会を目指すこと。
  • 復興とは何かを考へ直すこと。復興と地域に暮らす人々の幸福の実現。域内のGDPや人口増は復興の実感と同等にあらず。

復興活動への住民参加度が高い地域は復興感が高く復興は何よりも住民の「生きる意欲」の回復、と英二さん。