富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

fookpaktsuen2015-03-21

農暦二月初二。春分。さすがに三月下旬となると年度末までに済ませておくべき仕事かなりあり土曜だが官邸で書類整理。メールと電話が来ないって仕事かなり捗るので好き。午後遅く中環。IFCの蘋果商店にMacBook Air用のACアダプター贖ふ。売り場に紙幣カウンターあり。大陸漢が現金でお買ひ物なのでせう。FCCで書類整理。最近はGoodNotesといふアプリ(こちら)とても重宝。画面から新聞記事など撮影して、それがそのまま使へる上にマーカー、筆記からタイプまで自由自在(左は数日前の朝日紙面)。明日から曼谷旅行ださうなP嬢夫妻とZ嬢とで晩餐。この季節毎年恒例でアスパラガス尽くし。泡は南アフリカのSimonsig Kaapse Vonkel、赤はCline Sonoma Coast Pinot Noir飲む。
▼自民、公明が安全保障法制につき与党協議で武力攻撃事態法改正等大枠で合意。武力で他国を守る集団的自衛権の行使可能で今の国会なら自公でこれが成立。こんな戦後の日本の国のかたちをば大きく変換させる軍事事項が晋三のこの程度の政治力で出来てしまふとは。大きな反対もなく、これを赦したのは民草。つけは自分たちに回つてくるといふのに。集団的自衛権には賛成の立場とる川上高司(拓殖大教授)ですら現行の周辺事態法の「周辺」をはずす方向とされてゐるが「地域的な制限をある程度かけておかなければ歯止めがなくなる恐れ」があると指摘する(朝日)。元内閣官房副長官補だつた柳沢協二氏は、どんなケース想定して恒久法必要なのか具体例が示されてをらず政府が恒久法目指すのは政治のフリーハンド増やすのが狙ひ、と手厳しい。以下要約。

自衛隊派遣の前提だった「非戦闘地域」という概念は、憲法上のつじつま合わせだけではなかったもので、実質的に自衛隊を戦闘部隊の指揮下に入れず、直接の戦闘に巻き込ませないという意味があった。護身用の武器を持っていた自衛隊がそれを使わないように一生懸命努めたことで相手から本格的に攻撃される目標にならなかった。これまでの与党協議で決定的に欠けていることは、自衛隊に戦死者が出るというリスクを政治家がどこまで負うことができるか、という議論。首相が自衛隊に「そこで死んできてくれ」と言えるかどうか。それだけの政治の覚悟が問われる。いま問われているのは、武器を使ってでも任務を拡大するか、武器を使えない制約はあっても日本しかできない道を追求するかという選択。安倍晋三首相が目指しているのは、力を背景にした大国外交の道。日本は大国ではない。むしろミドルパワーと認識し「70年間戦争してこなかったこと」を世界にアピールすべき。積極的平和主義は非軍事分野ではいいと思うが、軍事に軸足を置くと、日本の立場ではリスクだけが大きくなり、得るものは少ない。

▼行政長官CY梁の次女が精神不安定で留学先の英国から戻つてきてゐるが行政長官公邸からFacebookに親に虐待される等書き込みバルコニーで朦朧とする姿をマスコミに写され数日前には警察と救急車駆けつけ行政会議開催中だつたCY梁が途中で公邸に戻り午後遅くには娘が精神疾患と記者会見するほど。これについて信報(19日)で練乙錚が「梁齊虵的處境不就是香港人的一個縮影嗎?」と書いた。

梁齊虵(CY梁の娘)反感來自家庭的壓力,對父與母皆失望之後,萌生去意,為了自身幸福,寧可放棄父母可以提供的豐盛的物質生活,也要追求獨立自主,最後更在FB宣布要離家出走不回頭。港人一樣,回歸之後,先是於國教洗腦一事上反赤化與共產黨劃清界線,再於政改事上對國家政權進行公民抗命,最後提出了「命運自決」的訴求。家庭解體、國家分裂,一般都是萬不得已、令人神傷之事,但弱者鼓起勇氣毅然求去,往往都有值得同情的理由,而強勢家國之首長,無論怎樣吹噓自己理直氣壯,亦必有嚴重理虧失誤處。在近日發生的事情裏,這點都很清楚。

行政長官の家庭だから、とはいへ一寸こゝまでは書きすぎといふ気がしないでもない。

港人本來都愛國,特別是在幾乎整個80年代裏都如是;不少人包括泛民,愛的還是中華人民共和國。這種愛的本質,雖經歷了8964卻終無變化,儘管有些人對具體的政權的態度可能大大不同了。但是,這種「亦余心之所善兮,雖九死其猶未悔」的情懷,在新一代人的心裏眼裏,已經變得愚不可及。這些人因為生於自由,活在資訊世紀裏,知道的比以前多,更學會了思考、批判,不會再接受「天下無不是的父母」的那種論調,絕對不能?恕國家、政權做過的、還在不斷做的種種壞事,連帶他們認為是「愚忠」的上一代也無法?恕,或者就認為是一體的兩個面。既無法?恕,就無法接受,於是楚河漢界、井水河水,一刀兩斷,就如王爾紱劇中的兒子否定老子那麼堅定灑脫。

若い娘が自棄になることは親が行政長官でも銀行員でも民工でも変はりはないはず。これに対してCY梁が翌日の同紙に反論を掲載。

齊虵病情不輕,需要安靜的康復空間,我和太太會繼續盡做父母的責任。政治攻訐,禍不及家人,這是做人做事的底線,請練先生及貴報停手。

との内容に今度は行政長官がマスコミの言論の自由に圧力と揶揄される。なんだかダメよね、もう。個人的にCYは嫌ひだが今回の家庭問題についてはCYに同情。