富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

もう一度あの惨劇が必要なのか

fookpaktsuen2015-03-11

農暦正月二十一日。小雨。空港の炊飯先生、昨日無事に空港で一泊の後、香港から日に一便の済南往きの飛行機で帰国の由。温厚な人柄すつかり有名人扱ひ。晩に尖沙咀。居酒屋・元気一杯で岸和田Y氏、Z嬢と飲食。城めぐり好きのY氏と三津五郎の死を嘆く。
▼三一一から四周年。お言葉で原発事故、放射能汚染に言及する陛下。それに触れず復興を高らかに謳ふ晋三。元•政府事故調委員長で311の前から「原発動かすなら事故は起こるとはっきり言うべき」とする畑村洋太郎先生(消費者事故調委員長)曰く

社会全体が原発の問題を自分の問題として考えようとしてこなかったのです。事故がないから大丈夫、審査しているから安全だ、とみんな自分のみたいところだけを見ていた。そういう文化をつくっておきながら、事故が起きたら誰かを悪者にして、終わりにするのは間違っている。どんなに準備しても想定から外れたことを原因とする事故はこれからも起こります。(略、事故調の提言について)全然いかされていない。今は規制のハードルが上がったほかは事故前と同じ状況に思えます。(略)原子力を続けるのなら危ないものは危ないと正面から向き合う社会をつくる必要があるはずです。

この記憶の忘却が美徳の社会について

東日本大震災後、日本人は自分たちが築いた文明に懐疑的になり立ち止まって考えると思った。ところが全然違う。いったい日本人は何人死んだら立ち止まるのか。一万五千人余りでは足りなかったのだろうか。たいたい太平洋戦争で三百万人も亡くなったというのに今の政治家は懲りていないというか戦争への反省がない。本当に愚かとしかいいようがない。

高村薫。これを東浩紀は311までは「日本は変わらないといけない」といふ機運があつたが(政権交代など)、それが311を機に「日本は今のままでいい」となり「政権交代などなかったかのように」自民党長期政権を選択し「日本はスゴイ」といふ自画自賛国家へ向かつてゐる、と指摘。この記事の対談相手の川上未映子は311の原発事故は初めてのことで1回きりの不幸な例で偶然性の方に重きを置き2度目は起きないだらう、としてしまふ発想、これは「もう一度起きない限り無理なのではないか」とすら思つてしまふ、と。
▼晋三の戦後七十年談話検討する私的懇談会は当初から晋三お友だち大多数で……と言はれ晋三の主張の裏付けとも思はれてゐたが座長代理の北岡“吉野”伸一先生が「私は安部さんに「日本は侵略した」と言ってほしい」と発言。これは「日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」として日本は侵略戦争をした、とてもひどいことをした、明らかです……と。官房副長官の世耕君によれば「村山談話河野談話を引き継ぐことは日本政府としてブレることはない」さうな。