富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Mr. Abe’s Dangerous Revisionism

fookpaktsuen2014-03-03

農暦二月初三。ふとしたことでiPad Air入手。iPad Miniは携帯にはそりゃ便利だつたが、さすがに新聞を紙面ビューワーで読んでゐると、記事は拡大して読むが老眼と乱視で拡大した字の輪郭のブレがかなり気になりバスの中など気持ち悪くなるほどで、Retinaディスプレイはそりゃ鮮明。9.7吋の画面で新聞の一面大の大きさが拡大なしで記事読めるのには驚くばかり。三寒四温で本日それなりに冷える。
昆明站での無差別殺傷。事件も惨いが被害者の血がべっとりの站構内の床で血が洗はれるまでもなく通行客がゐることが、さすが大国と畏れるばかり。
▼昨日の紐育時報の社説“Mr. Abe's Dangerous Revisionism”(こちら
Prime Minister Shinzo Abe’s brand of nationalism is a becoming an ever more serious threat to Japan’s relations with the United States. His use of revisionist history is a dangerous provocation for the region, which is already struggling with China’s aggressive stance in territorial disputes in the East and South China Seas.
に日本の紐育総領事が一応「著しい事実誤認がある」と抗議の由。
But before he gets to Japan’s postwar culture, he also whitewashes the history of the war. He and other nationalists still claim that the Nanjing massacre by Japanese troops in 1937 never happened.
の部分で確かに晋三は「日本軍による南京大虐殺は「けして」なかった」とは言つてをらず。朝日の報道(こちら)では「日本軍による南京大虐殺は全く起きなかったと主張している」としてゐるが never を「全く」と訳していゝかしら。晋三ら国家主義者の主張は南京での市民虐殺ぢたい全くなかつたとは言つてをらず、たゞ日本軍による市民殺害の行為があつたにせよ、それが「大虐殺」なのかどうか、数十万といふ死者数などが誇張あるとしてゐる。さういふ意味では紐育時報の表現はけして「著しい事実誤認がある」と思へぬのだが。オリジナルをきちんと読めてをらず、さらに日本ではその間接的な報道の内容だけで「米国は安倍首相=日本を意図的に貶めようとしてゐる」なんて世論となるとしたら本当に最悪。
山口二郎恐るべき子供たち」(昨日の都新聞)。政治家やNHK会長の発言聴くと思はされるのは「日本のエリートの劣化」。晋三はNHK会長人事で任命責任認めぬし放送法には「品性下劣な人物を会長にしてはならない」といふ明文規定もないが職務の重要性鑑みれば他人から敬意受けるやうな人選は常識であり法律で禁止されてゐなければ何をやつても勝手といふのは子供の発想、と二郎。従軍慰安婦問題も「公文書がないから慰安婦の強制連行について政府が関与していなかった」と主張するのは論理の飛躍、官憲の強制を狭く定義し、その部分について史料がないといふ理由から慰安婦を人格的に否定するのは言葉の詐術。証拠を持って来い、というのも子供のけんかの言ひ分。そんな政治家が教育再生主張するに至つては正気の沙汰とは思へぬ、自分の頭が大人の域に発達していないことを恥じるのが先である、このまゝでは日本は世界から軽んじられるばかり、と山口先生。
▼香港の樹仁大学の学長鐘期榮博士逝去。享年九十四。抗日戦争中の中国で女性初の弁護士。戦後、内戦と本土赤化逃れご主人と香港へ。法曹界で活躍し恵まれた生活されてゐたが当時の香港で大学は香港大学のみ。それに新亜書院いくつかのカレッヂ←これが中文大学になる、のみで若者に勉学の機会を、と自己資金でハッピーヴァレーに樹仁書院創立が1971年。その後、香港政庁は当時、中国と同じで4年制であつたカレッヂ各校に対して学制統一で英国式の大学と同じ3年制への変更求めたが樹仁書院は学究の年月の減少厭ひ3年制への改組せず4年制維持。これで香港政府の私学援助受けられず、それでも夫妻は自己資金投資と賛同者の寄与、それに授業料収入で学校運営続ける。ブレーマーヒルの校舎で樹仁書院は晴れて大学となり、更に香港政府が今になつて大学を3→4年制に変へたことで、いかに鐘期榮学長の判断が間違つてゐなかつたか、の証左。