陰暦八月初三。白露。昨日と今日、朝のうちに新聞各紙を紙とiPadできちんと読んでしまふ流れで快適。IHTとFTの周末版、それにThe Economistを読んでしまふと、なんだか「終わったな」といふ感じ。午前中官邸で残務整理。お昼に銅鑼湾の博多道場で打合せ兼ねてランチ。また喉痛と咳がぶり返し。楽ぢゃない。日射しがだいぶ南に傾き市街の光と陰影が面白くなつてきた。帰宅のバスの冷房が強すぎて凍えフード被つて寝る。晩に一昨晩の豚汁と昨晩いたゞいた松茸ご飯。最近のアタシの読書遅延ぶり。笠井潔『8・15と3・11 戦後史の死角』(NHK)たか/\新書一冊を一年近くかけて読了。早寝。
▼笠井潔『8・15と3・11 戦後史の死角』これはかなり重要な指摘詰まった本。戦後日本の自己欺瞞。それは自民党の右派も護憲左派も一緒。危機管理能力の致命的な欠如。日本の原子力「平和利用」は軍事利用の可能性担保としたもので国策、その原発が今や仮に他国の攻撃を受けたら最大の軍事的脅威に。事なかれ主義、問題の先送り、既成事実への屈服、責任回避……等、敗北へ邁進した日本軍と原子力ムラの住人の同じ精神構造。革新的な悪人でなく没主体的な凡人たち。で、最後は自暴自棄なるヤケ。で崩壊するか、と思ふと進駐軍受け入れに象徴される支配者創作の共同幻想を自分たち古来のものと思ひ込める卑怯さ。これが実は稲の王たる新来の<天皇>も縄文的日本には同様だといふ指摘も興味深い。話を原発に戻すと何故に原発はいけないか?は「危ないから」ではなく安全に制御しようと努力すればするほど国民は自由を制限され剥奪されるから、で原発は巨大な政治装置だから。専門家による運用しか出来ない原発は本来、最終的には当事者である国民が下すべき判断、自己決定を否応なく掘り崩す。そこで、と笠井先生が、ヘーゲル的な歴史の終りの次に現れた未来への歴史、そのなかにあるニッポンイデオロギー超えるものとして挙げるのが親鸞的思想で、一寸この結論に「ん?」と思ふわけだが。いずれにせよ3・11によつて決定的に崖っぷちに立たされたわけだから、そこで根本的な変革に至る思想が生まれることへ期待が生まれる。……と、それでもこの本が出てから一年、この一年でその期待もまた「核禍は無かったこと」のやうになつた日本で、また永久的な敗北感あり。となると、やはり親鸞的な絶対他力思想に縋るしかないのかしら。
▼「今、僕は自由。前からやりたいと思っていたことをやりたい」は宮崎駿監督引退のコメント。「子どもたちに『この世は生きるのに値するものだ』と伝えることが自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきた。それは今も変わっていない」と、さういふ世の中になるやうまだ献身されるのか、きっと。「スタジオジブリを作った時は日本が(好景気で)浮かれた時代。それについてかなり頭にきていた。そうでなければ(自然や文明の破壊を批判した)『ナウシカ』なんか作らない。経済はにぎやかだが、心の方はどうなんだという思いで作った。ソ連が崩壊、バブルが弾け、ユーゴスラビアでは内戦が始まり、歴史が動き始めると(ナウシカを作った時のような)これまでの作品の延長上では作れないと思った」「(世の中が)ずるずると落ちていくときに、若いスタッフ、子どもたちの横でなるべく背筋を伸ばし、生きていかなければならないと思う」と(日経)。今の時代、大江健三郎以上に影響力ある方ゆゑ何かされると反響大きいはず。
- 作者: 笠井潔
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/09/07
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (14件) を見る