富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

霾(つちふる)と春は黄砂を厭ひても

fookpaktsuen2013-02-02

農暦十二月廿二日。「霾」=和訓で「つちふる(土降る)」は詠み手の食指をそそる語として俳諧で今も時々用いると畏友、村上湛君が教へてくれる。「風に吹き上げられた土や砂が降る」で黄砂など。これが日本にも飛んで来て、の春の季語。なるほど。

霾(つちふる)と春は黄砂を厭ひても毒霧覆ふ燕京悲しや

と詠む。快晴の土曜だが午後まで官邸でご執務。午後、中環。ワトソンズ葡萄酒店のテイスティングで豪州Barossa ValleyはRolf Binderのシラーズ、Hanisch 06年をちび/\やつてゐたらZ嬢から携帯に電話あり上環の澳門フェリーでプリペイドのメンバーカード出来たといふ。またガンダムの玩具を3つもくれたさうで「もう澤山あるから要らない」と固辞したが「あ、先週来た日本人の……」とアタシのこと思ひ出した係員はアタシのデータまで見て前回あげたのは1〜3なので今日は4〜6あげるから、これで全部揃ふ、と嬉しそうで断りきれずに受領の由。中環の街市で食材購ふ。高級、日系スーパーで食材を買はない場合「ウチは街市系だから……」といふギャグをZ嬢に教はる。Olympia Graeco Egyptian Coffeeでご亭主に「このガンダムの玩具……」と囁くと子どもはゐないが日本人でいつも小さい男の子三人連れて来る常連がゐるから、その人にあげてもいゝ?といはれ差し上げる。Fringe Clubで街角の猫の写真展やつてゐるのを眺めFCCのバーに発泡酒一飲。今晩はスタッフパーティで午後五時まで。Oliver'sでデュボネ漁るが品切れ。酒売場のマネージャーにデュボネが好きとは、とやたら喜ばれ絶対に調達するから、と連絡先残す。代はりにHyman'sのSloe Gin購ふ。キャッシャーでお会計に酒瓶をば風呂敷で包んだら店員と客にかなりの注目される。晩はアボガドのグラタン、今日入手のMont d'orの奶酪。Ch. de Monthelieの04年が実に料理に合ふ。
▼李怡先生蘋果日報蘋論「有優良特質的市民群起捍衞自主」(こちら)。
任何一個地方的自由市場都必須有自主性,不能漫無限制地任由另一地區的人蹂躪。一國兩制之下的香港自然也應如此。末代港督彭定康在1996年他最後一份施政報告中,就特別提到香港要保持自主性。他說他臨離去時「心裏存着一份遺憾、一點憂慮和感到安慰的事實」。他的遺憾是「未能把我個人認為最能保障香港利益的構想,通過投票來加以證驗,而大多數自由社會的領導階層,都是經由投票確認的」;他所憂慮的,「不是香港的自主權被北京剥奪,而是這項權利會一點一滴地斷送在香港某些人手裏……使中國官員介入明確屬香港自主範圍的事,因而貽害香港。」他感到安慰的、使他對香港信心十足的事實是「香港人的優良特質、信念和理想」。
▼「国益を守り国民の安全を確保するには外交、安全保障の態勢強化が必要不可欠だ。日本版「国家安全保障会議」(NSC)についてあるべき姿を検討の上、設置に向けて積極的に取り組み、官邸の司令塔機能を強化する」と国会で晋三。これに対して「日本版NSCは必要ない」と柳沢協二氏(小泉〜麻生内閣で安全保障・危機管理担当の内閣官房副長官、昨日の東京新聞)。小泉政権の当時は「かなり官邸主導が徹底し必要に応じて官房長官、防衛、外務の三閣僚会議を開いていた。小泉首相は会議に入らず最後まで判断を保留する賢いやり方だった。小泉氏はブッシュ大統領との信頼関係が強固で日米関係はそこを軸に回っていた。安倍首相は小泉氏の芸当ができないから制度化しようという意思があったのかもしれない」と。「NSCがあれば犠牲を出さない手が打てたのか。NSCを作っても情報が限られていれば同じ。官邸の職員を増員してもテロリスト情報が入ってくるわけではない」。六年前は「自衛隊イラク派遣など米国の国際秩序をサポートする一環としてNSCはそれなりに説明はついた。集団的自衛権の行使容認も同じ。だが今は中国への対応が課題になっている時代。六年前と同じツールなのか。国債情勢が変化しているのに首相はいまだに同じことを言っている。どのような政策を展開し、NSCで何をしたいのかわからない。結局、立派な看板をつけたいということが理由のように見える」と一刀両断。御意。

昔、迂生も屡々加藤先生の悪口言つてゐたが失礼なことをしてしまつた。加藤先生然り、中曽根大勲位、喜朗さんまで、ほんと皆さん素晴らしい方たちだ、と思ふ今日この頃。反核金融機関として名を馳せる城南信用金庫シンクタンクにも加藤先生は名誉所長で加担されたが同信金の吉原理事長は慶應で加藤ゼミのOBの由。同じ加藤先生の教へ子でも平蔵と違ひご立派。