富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Ivanの、Kesと崑劇

fookpaktsuen2011-06-12

六月十二日(日)朝から雨。雨のなか建物づたひに近隣のジム。トレッドミルで小一時間走る。三日連続で走つてしまつた。午後、西湾河の電影資料館。1962年のソ連映画“Иваново детство”(イヴァンの子供時代、邦題「僕の村は戦場だった」)見る。タルコフスキー監督。廿数年ぶり。週に一回見ても飽きないだらう。黒澤から溝口といふタルコフスキーの趣味がよくわかる。音楽(Vyacheslav Ovchinnikov)あらためてしつかりと聴く。小一時間あり太安樓の基記水電工程で牛什一串。路地の向かいの立ち食ひの麺屋で何とも独特な湯麺。ほとんど終戦後の闇市ですね、こヽは。電影資料館に戻り映画“Kes”見る。ケン=ローチ監督*1の1969年の映画。ヨークシャーの炭坑町を舞台に……もう切なくてこれ以上、何も書けないんですよね、私はこの映画は。日曜日の午後にこの二本立て続けに見ることはおそらく明日月曜から数日凹んでしまふのも明らかだつたのですが。なんでこんなことになつたか、といえば電影資料館で「童心看世界–電影導演眼中的童年」といふ少年の目から見た社会派映画特集。少年といへば香港の14歳の男子中学生が巴黎歌劇院芭蕾舞學校に特別枠で入学の由。西湾河から尖沙咀。晩は芸術中心で崑劇鑑賞。映画二本のアトに三時間半の観劇はヘヴィだが自分で組んだんで文句いへぬ。崑曲經典折子戲で滬市、蘇、同省の崑劇院の混成。桃花扇より「題畫」。侯方域役の若手・蕭向平(巾生、中國崑曲博物館所属)が声好し。爛柯山より「痴夢」。コミカルな狂言で十五貫「訪鼠測字」。中入り後は大物の役者となり鐵冠圖の「刺虎」は費貞娥役が龔隱雷、敵役の李固が趙堅。最後は上海崑劇團の蔡正仁(1941〜)、張靜嫻の二大看板の登場で今晩はまさにこれを見に来たのだが如何せむ、綵樓記の「評雪辨踪」で新婚夫婦による痴話喧嘩が筋。芝居上手の二人のやりとりは、殊に勘三郎(先代)のような蔡正仁が卓越した面白さなのだが、もうこの大役者の舞台をあと何回見られるかと思ふと大松島と大成駒が「ぢいさんばあさん」演つてゐるやうなもので「ぜひ別な演目を」と願ひたいところ。

*1:2003年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞の映像・演劇部門に選ばれた。彼はこの賞のスポンサーが「反動的」メディアであるフジサンケイグループであり、中曽根康弘がバックにいる(当時、主催の日本美術協会会長は中曽根のブレーンとして知られた瀬島龍三)ことも知っていたが、敢えてこれを受けた。ローチはその賞金の一部を、日本のどこか適当な労働運動に寄付したいと考え、人の勧めで国鉄分割民営化に反対したためにJRから閉め出された闘争団に寄付した。ローチはイギリス国鉄民営化で、労働条件の切り下げやリストラに揺れる様を描いた『ナビゲーター ある鉄道員の物語』(2001年)を発表しており、かねてから民営化反対論者であった。ローチは「ナカソネなどからの賞金を受け取って、そのカネをナカソネが進めた国鉄分割・民営化に反対して闘っている人にカンパするってのはなかなかいいよね」と発言した。(ja.wikipedia.org/wiki/ケン・ローチ