富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

可能香港已到咗一個臨界點(劉兆佳)

fookpaktsuen2011-03-05

陰暦二月初一。週末恒例のやうにお仕事の残り済ませ銅鑼湾で打合せ一つ。最近お気に入りのThe Park Laneにある蘋果屋“Studio A”でMac Book Proの真皮ケース購ふ。中環。カメラフィルム一打、ランニング用iPhoneケース(買ふなら走れ、と言ひたいが)お買ひ物。かなり久々にFCCに往き広州在住のO君家族と食す。O君の息子T君にナショナルジェオグラフィック誌の特集“Face of Seven Billion”(こちら)の付録ポスター差し上げる。世界上の最も典型的な顔は28歳の漢族の男性なんださうで人口比や年齢比を考えればさもありなむ、だがT君に「なぜ女性じゃなくて男性なの?」と尋ねられ返答に困る。それにFCCのダインのメニューで菜食の話となり野菜だつて生きてゐるのでは?と言われ、これも困つた。この話をアトでZ嬢にするとZ嬢曰く確かに菜食も野菜が生きてゐると思へば殺生に当たるのだが人間が肉食をするために家畜を育て家畜の肥料として大量の野菜が餌として供されると思ふと人間が家畜から肉を食すことが、どれだけエコロジー上も無駄が多いのか……ぢゃないかしら、と。御意。原始時代の狩猟ならまだしも、現代人の豊かな食生活のなかでそこまでして肉食をすることはエゴぢゃないか、といふこと。Louis Latour Marsannay Blanc 07年とグラスでReine PedauqueのおそらくPinot Noirかしら、の08年。銅鑼湾まで往きO君家族と別れO君とバーSに午後十時まで飲む。O君の話では国内でネットでかなり制限がかかつてゐるが大陸では見られぬYoutubeが香港では見られるか、と思つたら国内のSIMカードだと香港に出て来てもやはりブロックがかかり見られない由。中国でも逆に香港などのSIMカードローミングだと制限サイトも見られる、といふことなのかしら。
▼香港政府中央政策組首席顧問の劉兆佳が北京で香港の官民関係は「もはや一つの臨界点に達してゐる」と指摘。かつて中文大学で亜太研究所に属し竹村健一的にマスコミの取材にブツ/\と時事放談してゐた劉兆佳は香港政府に招聘され全国協商の香港区委員として北京に赴き、北京の立場にでもなつてしまつたのか、つい「(社會)形成咗一啲怨氣,好容易某啲事情就挑咗出來,形成咗一種群眾性嘅不滿,但事實上來講,可能香港已到咗一個臨界點,究竟香港往後應該點樣走?」と宣つてしまひ政府の政策立案トップの発言が波紋を呼ぶと劉先生は「基本上我冇用過臨界點呢個字眼,我噚日講嘅係確有相當大嘅民怨,特別係中產,所以好容易因為一啲事情挑起好大嘅紛爭……」と否定に躍起。この中央政策組に席を置いたこともある流浪の練乙錚はかつての自分の上司たる劉兆佳の「臨界点」発言に対して「現在的政府智嚢似乎都是事後孔明。怎麼前幾天沒人說是臨界點,政府財政預算案按本子辦事,今天卻忽然到了政治臨界點?2003年七一出錯,這次又出錯;大問題上,中央政策組的智嚢,根本未能對政府起到半點啟迪作用,應該考慮解散」と中央政策組じたい無用で解散せよ、と。確かに本来であればこの予算案が発表されるまえにこの内容では世論がどう応じるか、を覚ることが政府の政策顧問の役目で発表後に世論の反発に遭つてから「臨界点」などと論じてゐる事後孔明ぢゃ無用。練乙錚のいふ七一出錯は2003年7月1日の反董建華市民デモにつき劉兆佳が3万人くらゐ参加と憂慮した結果が50万人規模で劉兆佳の感覚のズレが指摘されたもの。練乙錚はさらに

真正到了「臨界點」的是祖國大陸,香港的二三萬人可以引發內地的茉莉花革命,北京着急,所以財爺要奉命轉馱,需要一個藉口,「香港到了臨界點」之說,因此出爐。

と大陸の臨界点到達を説く。御意。

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