富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-03-26

三月廿六日(金)晴。宿泊先の庭の櫻も陽光を浴びて一段と色づいて見える。母と朝食済ませ宿を引き払ひタクシーで東京駅。上野で荷物預け妹も来て高崎線に乗ると尾久〜東十条間で列車故障点検だかで京浜東北線で赤羽。埼京線に乗り換へ浮間舟渡。M伯父の葬儀。神道プラグマティズム。S従兄が喪主挨拶のなかで伯父がに話した最後の言葉が「ありがたう」だつたと聞く。伊丹十三の「お葬式」で印象的な数々の場面のなかで金井きんの喪主挨拶が白眉だつたが、やはり喪主が故人に語る言葉ほど故人本人が聞けぬことが最も惜しく最も価値のある「贐け」なのだらう。故人が「聴きたい」とまるで生き返るか、或は故人に伝はり安らかに眠むりに入れるか、いづれにせよS従兄のM伯父への贐けを聴き不覚にも涙、今もかうして(翌日の香港に戻る機内で)思ひ返すだけでもつらい。今日々稀にみる本当に羨ましいほど仲良き父母と息子夫婦。幼き頃から変はらぬが穢膳となれば酒が入り伯父母、従兄弟らとの語らこと暫し。S従兄から柿渋で染めたハンチング帽いたゞく。先考愛用の帽子で先考亡きあと母に弟の何か形見を一つ、とM伯父が選んだのがこのハンチング帽で伯父も弟を偲び愛用された由。伯父亡きあと遺品整理されてゐたらこの帽子がきちんと袋、それも歴史好きのM伯父らしいが「最澄と天台の国宝」に入り「S遺品帽子」と札をつけて仕舞はれてゐた由。さらに先考一周忌に「沢山の思ひ出をありがとう 在りし日の浅草神谷バーでの楽しい語らいと面影を偲んでいます 一周忌を迎えて 2006年3月 M」と伯父から先考に当てた一筆箋も。本当に仲の良い兄弟でやはり神谷バーが二人の思ひ出の場所か。伯父の遺品となつてしまつたが元々先考の遺品ゆゑとあたしに返される。忝し。火葬終わり収骨の場に火葬場の職員が実に科学的に人骨の構造から故人の患部、人工関節の構造まで説明あり葬儀の場に馴染まぬやうでゐて会葬者らのそれを聞く神妙で興味深げな表情が十三の「お葬式」の一場面のやうで、また徠卡でカラーで撮影したら良い写真(絵)になるだらう、と皆の表情見渡す。母と妹、千葉に戻るK従弟と帰途につく。母妹と上野で別れK従弟と秋葉原で別れ独り東京駅。八重洲ブツクセンター。開業当時あれほど巨大な書店に思へたのが今ぢやこじんまりに見えるから。銀座一丁目まで歩いたのはZ嬢にヤマハ銀座店で買ひ物頼まれたから、だつたが七丁目の店の改装の仮廛補は数日前に閉ぢて偶然にも今日から七丁目で新装開店と知る。思はぬハプニングで早足で銀座を一丁目から七丁目まで抜けるが伊東屋での買ひ物と若松で「まめ寒」食べるのだけは怠らず。ヤマハ銀座店はかつてG階はクラシックレコードの宝庫、地階に並ぶ楽譜は壮観であつたが新装の店は落ち着いた雰囲気こそあれG階は狭くピアノと室内楽くらゐ聴かせられる空間と奥にピアノとエレクトーン数台展示のみ。二階のCD売り場も三階の楽譜売り場もゝはやCDばかりか楽譜の販売もネット主流であること思はせられる。買ひ物済ませると下雨。雨宿りを口実に五丁目のサンボアでハイボール一杯。雨上がり有楽町から上野経由で実家に戻る。サントリーの缶入り角ハイボールを買つて車中に飲むが、さすがにサンボアのアトぢや美味かつたらおかしな話。晩は母と妹と美味い鰹の刺身と川枡のうな重。妹も発泡酒やアタシが持ち帰つた缶ハイボール飲み自動車運転出来ぬのでスーパー銭湯行くは請はず。深夜に「タモリ倶楽部」見る。

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