富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-03-25

三月廿五日(木)朝六時半過ぎの機場快線で香港空港。CXのラウンジにて朝食、書類整理。CX504便。搭乗後の三鞭酒はさすがに朝九時で憚れたがPeter LehmanのBarosso Shiraz 06年を一杯だけ。機内にて鏞記の沙茶汁牛肉を食す妙。これをアテに赤葡萄酒一杯で睡魔に襲はれ気がつけば千葉沖合。雨。かなりの寒さ。成田エクスプレス。雨空のなか車窓から千葉を眺む。路線に看板が目立つなぁとぼんやりと思つたが企業看板に非ず「貸看板」といふ看板が多い=不景気で広告主が見つからず。新型の成田エクスプレスは車内環境は好いが機械の不調で車内のモニタ作動せず自動放送も出来ず申し訳ございませんと車掌。モニタなど動かぬはうが五月蝿くないし車内放送など自分がすれば問題ないだらう、と思つたが自動放送はつまり英語など外語。せめて英語で「次の駅は……」くらゐ言へて良いだらうし日本語でお詫びしても……。車内販売の売り子の方がずつと国際化か。機械の不調といへばCX504便は旧型機で機内の映画など娯楽放送はビデオテープ。ちやうど席の横にこのコンソールありチーフパーサーが機械リセットなど試すが二十台のビデオデッキ並ぶ態は壮観。もはや骨董の域。午後四時過ぎ新宿。荷物預け構内地下歩きながら電話する前に母にばつたり。埼京線で浮間舟渡。王子飛鳥山の櫻を愛でる。さくら新道の古き路地裏酒場がまだ健在に驚く。駅前で珈琲飲み母と四方山話してタクシーで荒川放水路に近き戸田の斎場。M伯父斎儀。神式で阿佐ヶ谷の神明宮なる神社の宮司参られる。余の家は真言宗豊山派なれど父は遠戚よりの養子にて父の実家が神道なのは祖父方の祖父が菩提寺の坊主とそりが合はず喧嘩して神道に改宗と聞く。爾来わが父の実家は神道にて葬儀行ふやうになりぬ。M伯父は北千住から荒川放水路渡つた梅田村にR叔母と所帯持たれアタシもS従兄尋ね泊りに遊んだは梅田村。その後、西新井に転居されS従兄は荒川挟んだ北区に居し今日の斎場も板橋の戸田。伯父の東都での半生はまさに荒川放水路岸。
荒川の守の櫻に春冷雨
櫻に春、さらに冷雨では季語も禁じ手だが宮司の穢詞を聞きつゝ亡き伯父を思ひ浮かんだ句がこれで敢へて直しもせず。ちなみに「守」の字は伯父の名の一字也。仏教の通夜に当たる祭祀滞りなく終はり感傷のR叔母、S従兄夫妻に先走の失礼で母と埼京線で新宿に戻り小雨のなかタクシーで麻布鳥居坂国際文化会館に下榻。部屋のバルコニーから花の色づき始めた、この旧小彌太邸の夜櫻を愛でる。母とお浄め、と凍てつく麻布十番漫歩きバーH。オーナーバーテンダーのK氏にご母堂と一酌とは、と感歎されこそばゆい。母にもこの麻布の奥深き懐のバー気に入つていたゞき何より。母と銀座浅草は少なからず麻布、広尾は二十年も前に広尾の外苑西通り天ぷら「ねぎ坊主」に食して以来かしら。
▼春恒例の香港Rugby Sevensは1975年に始まり主催者がラグビーの国際試合で飛行機代と宿泊費軽減のため七人制としたことが発端の由。それが今では国際的興行となりぬ。
▼永利街の永久保存につき発展局局長林鄭月娥が「今回の保存決定は映画と関係なし」と公言。誰が信じようか。映画と直接の関係ないのは事実で映画と関係ある政府高官の意向、といふのが正解か。
埋立地西九龍の藝術区開発の総責任者(CEO)に英国からGraham Sheffield氏招聘。エジンバラ大学卒業後、BBCのCh-3に奉職し13年、その後、倫敦のサウスバンクの藝術区開発に携はり1995年からBarbican Cnetreの総責任者務める御仁。まさに「あの目」。バービカンセンターは年間120萬人集め3400萬英磅の収益上げる大成功で「西九」の開発に人選は間違ひないが香港の西九で果たして、たかだか大阪市程度の人口と大陸の田舎漢對手にだうなるかしら。

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