八月廿一日(木)早晩に尖沙咀。David Chan氏の店でライカの35mm用ファインダー漁らうと出向くと「ライカのは高いよ」とDC氏。そりやさうだ、日本なら5万円から。DC氏の手許にブツは当然あるがHK$5千でも売りやしまい。此方も元手に欠ける。で、まだ「買ふ」と言つてゐないのに店の手代に近隣の店に電話させ在庫確認して取りに行かせたのがフォクトレンダーのファインダー。結果的に楽天最安値の8掛。なぜ35mm用のファイダーが必要か、わかる人だけわかればいい話。DC氏に先日読了の「カメラは時の氏神」進上。当然DC氏はウツキカメラも知つてゐるし書中に出るスキヤカメラの中島氏兄弟(故人)は義兄弟の仲、と。Quarry BayのイーストエンドでN氏とエール飲みながらライカのカメラを肴にカメラ談義して早々に帰宅。晩に文藝春秋で楊逸『時が滲む朝』(芥川賞受賞作)読む。一言で敢へて言へば「私小説」。石原慎太郎が選評で
中国における自由化合理化希求の学生運動に参加し、天安門事件で挫折を強いられる学生たちの群像を描いているが、彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さについての書き込みが乏しく、単なる風俗小説の域を出ていない。文章はこなれて来ていても、書き手が中国人だということだけでは文学的評価には繋がるまい。
と。芥川賞ではいつも石原慎太郎の辛辣な選評に同感する点少なからず。この受賞作がはたして「彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さについての書き込み」がもつとあれば作品として良くなつたかどうかはアタシは不明。それをするときつと収拾がつかなくなる鴨。さういふ意味で作者が1987年に中国から日本に留学のし、天安門事件、香港返還、中国の経済成長と政治問題……書きたくて書かずにはひられないことを書いた、といふ意味で物語性や主張はむしろ二の次で「私小説」なのだらう。選考委員が押し並べてこの作品に何らかの形で授賞には至らぬ点を指摘。でもこれが受賞つてどうして? 芥川賞は奇を衒つた作者が続きロッカーだのフィストカットだの十代の少女で今度は中国人。次は中学生かしら。
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