富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-20

八月廿日(水)快晴。早晩に中環。カラーシックス現像店に越南旅行の白黒写真現像誂へ受領。ダナンからハノイに向ふ列車の車窓から撮りし曾ての南北越南国境で戦禍甚だしきベンハイ河の風景が川の仕掛け網まできれいに撮れ嬉しいかぎり。怖い物見たさで擺花街の興利相機。先週から店頭に据ゑられ気になるライカのM3あり。二、三度ガラス越しに眺めるがつひに店主に棚から出してもらひ接触す。まえの持ち主は実際には撮影はほとんどしてをらぬやうでコンディションはかなり佳し。100万番で1960年製。鳥渡、感染しさう。FCCのバー。新入りの若いバーテンダーが一人。あまりの暑さと喉の渇きに珍しくロックでドライマティーニのダブルを作らせる。ロックなら新入りで下手でも構ふまいと思つたら「氷は少なめでいいですよね」とアタシが酒飲みで濃い口が好きとなか/\の眼力。ちやうど飲み干す頃に「もう一杯?」とすでにダブルで作られちや吉田健坊ぢやないが応じぬわけにいかず、つい/\三杯つてことはダブルだから……でちよつと良い気持ちになつたが読んでゐた今日の信報に「回應:江文也《台灣舞曲》獲什麼獎?」と周凡夫氏の記述あり。作曲家江文也の1936年伯林五輪での作曲コンクールでの「受賞」につき周氏の記述に誤解があること(十二日の日剰参照)信報編集部にメールで知らせたが音沙汰なく無視されたか、と思つてゐたらこの記事。
《台灣舞曲》於一九三六年柏林第十一屆奧林匹克運動會國際音樂創作比賽獲得什麼獎,確實一直存在爭議,拙作〈不應忘記的歷史―奧運得獎作《台灣舞曲》及江文也〉(八月十二日)一文指獲得銀牌獎的根據,是一九八五年初在香港舉行的「江文也的音樂學術研討會」的材料,當日作為主持的黎鍵先生已指出「但是所得獎項不詳,有些說是銀牌獎,有些說是第七獎,有些則說是獲特別獎」,而當年在中文大學中國音樂資料館擔任館長的香港民族音樂學會會長呂炳川博士(留學日本),則在發言中表示:「據我的資料來看,他得的應該是銀牌獎,第二獎,這是我三十年前在日本的一本雜誌中看到的。」(詳見當年研討會的紀錄、曾在當年《華僑日報》音樂版上發表)
筆者當年探望江文也時,他已難以言語,而他的夫人吳韻真女士和家人,甚至他留在日本的前妻瀧澤信子,對該曲所獲獎項,亦未能確認,為此,也就一直存有不同的說法。〈不應忘記的歷史〉一文發表後,讀者富柏村先生提供了新的材料,指九十年代後期由井田敏著作的一本關於江文也的書,白水社不再出版,因其中指《台灣舞曲》獲得銅獎證實資料錯誤,當年是由�國、奧地利及意大利的作曲家分別獲得前三名獎項,《台灣舞曲》獲得的是特別獎。但正如該讀者富柏村所言,無論獲的是什麼獎項,江文也的作品和一生的輝煌不會改變。不過,《台灣舞曲》實際上是獲得什麼獎項,是一個歷史的事實,不是銀獎是特別獎是需要澄清的事,儘管這確實沒有改變江文也的音樂作品曾參加奧林匹克運動會的比賽還拿過獎的事實。
と周氏曰く銀賞受賞とした根拠は1985年に香港で開催された江文也に関する学術検討会の席上、開催者(黎鍵)が「江文也がこのコンクールでどの賞をとつたのか、銀賞といふ説もあり第7位、特別賞といふ説もあり」として、これについて日本への留学経験もある中文大学の中国音楽資料館館長で香港民族音楽学会会長の呂炳川博士が「自分の資料によれば銀賞=第2位であるはずで、三十年前に日本の雑誌で見た」と発言。周氏は晩年の江文也を北京に訪ねた折にすでに衰弱で話すに能はぬ江文也にかはり妻と家族が日本での前妻から聴いた話として確認はできぬが銀賞だつたらしいが違つた話もあり、と聞いた由。それに続き余の名が記事にあり、この受賞に関して受賞(銅賞)も誤解で井田敏「まぼろしの五線譜」も絶版となつたこと、で受賞は「特別賞」だつた、と余のコメントを紹介(奨励賞はいはば参加賞で周氏が「特別賞」といふのも事実に反するのだが)。だが富柏村の言ふ通り「江文也が何れの賞を獲ろうと彼の日本、中国での作曲家としての業績に変はりはない」として、つまり「特別賞であれ受賞したのは事実で訂正の必要がない」……とかなり無理がある周氏の弁。まぁ確かにオリンピックの正規のスポーツ競技では金銀銅の三賞以外に殊勲、敢闘、技能といつた賞やましてや参加賞などないだらう?から作曲コンクールでは優秀賞といふ名の実質的な参加賞が授けられたらこれも賞の一つか、アタシはさうは思はぬが。帰宅してパスタの夕食。豪州はGeelongのScotchmans HillのSau Blanc 07年を飲む。Geelongはメルボルンに近い小さな町で90年頃にZ嬢の友人M嬢の大学留学先。Z嬢と一緒に90年のクリスマスから正月にかけ訪れたはひゐが未だにその際の香港からマニラ経由メルボルン往復の航空運賃、Z嬢に払つてもらつたものを精算してをらず。で先日、このGeelongの葡萄酒を見つけ懐かしく。
北京五輪での「欄王」劉翔選手棄権について。真意は知らぬが「足首になんらかの故障がある」或いは「金メダル獲得が望めない」といふ前提に於て
1 競走には参加するが惨敗
2 競技直前で競走に参加せず棄権
3 最初から棄権
の3つの選択肢あり(今回の選択は2)何れも結果は同じだが「国家利益」と「スポンサーの広告効果」を考へた場合に「競技直前で競走に参加せず棄権」こそ金メダル獲得不可の状況下で期待できる最大の利益。ナイキなどさつそく内地の新聞に一面広告で劉翔選手のちよつと暗めの表情に
愛比賽,愛拚上所有的尊嚴,愛把它再贏回來,愛付出一切,愛榮耀,愛挫折,愛運動,即使它傷了你的心
と広告掲載。経済学の異才・張五常教授が15日の信報で「劉翔勝敗十億之差」と劉翔が勝つかどうかで本人の広告勝ちで10億元の差はあらうし、勝てば広告主の得る利益の波及効果大きさ、負けたら……まぁそれは誰も期待しないが、と筆を置いたが、結果、その後者が結果に。信報は昨費の社説で曰く中国はかつてのピンポン外交なら勝敗は二の次で友好が第一であつたものが今日の運動選手の活躍は極端に金銭と結びつき開会式で聖火を灯した李寧は確かにかつての中国体操のプリンスであり観衆もその登場に盛り上がつたが(話題性=広告効果)李寧が中国一のスポーツウェア会社の経営者であると思へば当然この開会式での演出が彼の企業に広告効果あり株価が上がる。劉翔に1億元の保険を提供した中国平安保険はこの棄権での損失は1億円に済まず、と指摘。で今日の社説も「広告収益驚人 田徑明星不絶」と続け、この一人の運動選手に対する資本と広告収益の悲劇を憂ふ。内地メディアの計算によれば劉翔の今回の棄権による個人の収益損失は1億元で広告商の損失は30億元、劉翔が昨年契約した中国平安保険の劉翔使つた広告費は5億元の由。この話題につき管制多きはずの内地のメディアが予想以上に健筆奮ふ。官報たる文匯報ですらナイキの内部関係者の話として劉翔選手が今回、足の故障を理由に棄権したことはスポンサーにとつて想定内のこと、双方(つまり選手側とスポンサー企業)が協議の上の結果、といふ説まで紹介(当然、企業側はこれを否定)。ネットではかなり劉翔棄権にかなり罵声に近い書き込み相次ぎ官方は消すのに大はらはだつた由。さすがに北京五輪でまるで「近代の超克」してしまつた關愚謙氏ですら中国の金メダルラッシュは確かに立派だが中国は国家挙げての選手養成は他の国にないもので、このラッシュが海外では反中感を生んでゐるのだから、中国が金メダルをとる意味をもつとよく考へてみるべき、と指摘。余は今回の北京五輪につき開幕直前から、かりにテロ騒ぎがあらうとこの挙国一致運動には日剰で一切何も語らず、と考へ、もと/\スポーツ観戦の趣味なく「どうでもよい」と思ふやうに努め、ただFT紙の連日の"Olympic in China”の頁だけがさすが経済紙で見事にスポーツイベントを面白く伝へ、これだけはぢつくり読む。これでこの世紀の祭典が終つた日に一言
北京五輪閉幕す。
と綴らうと思つてゐたが今回のこの劉翔選手棄権についてはテロ騒ぎ以上に「こんなことがあるのか」と驚いた。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/