富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十四日(月)朝は久々に傘を持たずに家を出でたる晴れ間なり。が昏時より雲行き怪しく黒雲忍び寄り晩には本降り。で夜中は雷鳴止まぬこと数時間の大雨。気温は二十数度で肌寒し。
▼信報月刊に香港の地産大手、新世界発展有限公司のオーナー、鄭裕彤氏のインタビュー記事あり。1982年にサッチャー首相北京訪れ香港問題談判の頃に香港では中共による香港統治に対し警戒感ばかり。湾仔ではコンベンションセンター建設計画が浮上したが先行き不透明でどの財閥も投資に尻込みする。が、鄭裕彤は中共指導部による経済開放の実施は確実で従来のやうに資本家を反革命勢力と見なすやうなことはないと確信し湾仔のこのコンベンションセンター建設への参画を決定。鄭裕彤曰く「当時の香港政府は土地は無償提供、コンベンションセンターが出来たら数階分を香港貿易発展局に提供することだけが条件。あんな土地、今ぢやHK$200億出しても手に入らないよ」と回顧。まぁ、これは良い。地産王の才覚として許さう。が、これに続く話は頂けず……は何かといへば尖沙咀の再開発。1971年に鄭裕彤、尖沙咀突端の4万平米をHK$1.3億で買収し今の「新世界中心」の開発に挑むことになるが、何が邪魔かと言へばこの「新世界」と尖沙咀の繁華街の間を隔てる一條の鉄道線路。この線路があるかぎり新世界の賑はひはあり得ぬ。が鄭裕彤はこの土地買収の前に香港政庁より「耳より」な情報を入手。それは九龍站の解体(現在はスターフェリー前に鐘楼のみが残る)と紅磡への移転計画。で鉄道線路がなくなつたおかげで新世界中心の発展が確実になつた、と。今になつてみれば尖沙咀にこの広九鉄道の九龍站がクラシックな建物が残つてゐればスターフェリーとペニンスラホテルとどれだけ観光資源となつたことか。此処から広州のみならず北京、上海行き、将又、果ては倫敦行きのユーラシア大陸横断列車が出てゐたら。紅磡ぢやダメ。而もこの九龍站の跡地には香港文化中心の、あの忌まはしき建築物が出来てしまひペニンスラホテルからの眺めを破壊。新世界中心とて、今はインターコンチネンタルホテルとなつたリージェントホテル建設を除けば「なくても結構」なもの。今になつて尖沙咀に地下站建設し一旦は紅磡に引つ込めた路線を延ばし……とここ十数年、尖沙咀の地下工事続きで世界に名だたる観光名所も惨憺たる様よ。

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