富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-21

一月廿一日(日)朝十時にZ嬢と尖沙咀。Royal Asiatic Society(王立アジア協会)主宰のOne Day Tripで新界沙頭角に程近き南涌まで貸切の小型バスで走る。南涌から南の山道に入るとWilson Trailの終点(香港島のStanleyより69km)となり更に山道を分け入る。縮尺二万五千分之一の郊外地図には石板潭という地名あるが「私有地」の看板。「蘊貞古廟」と書かれた朽ちかけた門を潜り小徑を進むと谷底に渓流あり石造りの橋を渡り更に「私有地」と遮断された門を開けて入り少し進むと立派な墳墓。その向こうに築七、八十年かと思われる嶺南建築の二階建て家屋。人里離れた此処に住まわれるのが今回、我々RASの訪問受けれてくれた英国人ご夫妻。話をきけばご主人が香港皇家警察に三十年勤続で新界警察での勤務長くかつては大尾督に居住の由。十数年前に鹿頸より南涌を歩き、この山中に分け入り廃れ草むしたこの家屋を「発見」。大陸からの不法移民が仮住まいの形跡もあるが、元々のこの屋敷の持ち主らしき家族の生活用品や旅行鞄、家族写真など数多く残る。いずれにせよ荒れ果て草木に覆われた廃屋。墳墓もあれば大きな家屋には氏族の宗祠もあり先祖祀る。常人なら覗き見で「へぇ……」で終わるところ、この英国人夫婦は「ここに住めぬか」と思案。なにせ人里離れ渓流にかかる橋を渡っての文字通りの桃源郷。で人伝てに探せば、この屋敷、或る客家の氏族所有。新界の西貢から北に点在する他の客家の氏族の集落同様に、家族が皆この家々を離れ都会や、将又、この石板潭の家族もマンチェスターや米国、豪州に居住と、さすが客家。で、この英国人ご夫妻はその客家の李家という氏族より、この屋敷及び周囲の敷地一帯を借り受けることとなり草木に覆われた敷地も手入れに手入れを重ね見事な庭園、山羊の遊ぶ小さな牧地とし、家屋はできるかぎり原型を留め、の住まいとする。お見事。昼は大埔の石崗カレー屋の印度料理が仕出し。至れり尽くせり、のRASの仕切り。午後までこの石板潭の客家集落に遊び夕方、尖沙咀に戻る。天気はいつ雨が降るか、の曇天ではあったが、珍しくニコンのF2とニコマートELをかつぎ、デジタルも持っていなぬわけにいかずR-D1sも、でかなりの重さの撮影器材。疲労困憊。F2ではカラー、ELで白黒の写真撮影。最近は皆さんデジタルカメラに慣れているからか、昔ながらの(デジタルカメラフィルムカメラ模した偽音でなく)シャッターがガシャッと音を立てると近くにいる方々が慣れぬ音に「何事?」と振り向く。スターフェリーで香港島に渡り中環エスカレーターで擺花街。馴染の興利カメラ店ニッコールED180mmという、今日持ち歩いたレンズ径72mmの望遠レンズのレンズフィルター購入。帰宅。湯豆腐。焼酎「博多の華初垂れ」ほんの少し飲む。テレビのNHKスペシャルで「Google革命の衝撃」という番組ありぼんやりと眺めていて「企業がいかにGoogleの検索で上位に食い込むかに必死」という内容で、ふと思ったのは我が「富柏村のゑぶサイト」のこと。毎日、百人単位の方に「日剰」をご覧いただいているのは幸甚。だが例えば面白いのは「日剰」と検索すると富柏村ゑぶはgoogleで筆頭なのだが何故かと言えば簡単な話で「日剰」としたのは元々は荷風散人の「斷腸亭日乘」から。但し余の記憶では荷風散人も「日乗」でなく日記表紙の手書きだったか何かで「日剰」と書かれたこともあり、それを真似たつもりだが、ただgoogleで「荷風 日剰」と検索しても余の記述の他はこちらだけ、で記憶確かでないのだが、「日乗」が日々の記録(「乗」の字には「史書、記録」の意あり)なのに対して「日剰」だと「日々の余すところ」の意となり余には似合いか、と。ただいずれにせよ「日剰」という言葉は世界ぢゅうで私一人が使っているようなもので、つまり検索などで不特定未知数の方が「日剰」と検索してこのサイトご覧になることは皆無と断言して間違いなし。で「日乗」に戻すのも一案だが「日剰」という言い回しへの愛着もあり、一般的に「日乗」すら使われる言葉でない=検索されない、と思えば、基本的なところで「香港日記」なのであろう、と。で「富柏村日乗 香港日記」とこのゑぶに綴る日剰の記録の題を変えてみることとする。それともう一つ、このゑぶのフロントページの右肩に「google」へのリンクのロゴあること数年ぶりに気づく。今になってみれば検索大手だが何年前だったのだろうか、まだgoogleがかなりマイナーであった頃に「これは便利」とリンクさせたもの。今更これも要るまい、で削除。

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