富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-10-24

十月廿四日(火)肉体は悲し、ああ、われは全ての書を読みぬ。という仏蘭西の詩人マラルメの詩を聞いたのは二十数年も前にまだ当時医学生であったN兄から。絶望的かしら、いや勇気かしら、浅学の余には解らねど、このマラルメは「われは全ての書を読みぬ」に続け「遁れむ、彼処に遁れむ」と続ける。それから暫くして浅田彰のスキゾなんて言葉も流行つたが今になつて抵抗もできず<逃走>は実は重要な概念かも、なんて考えたり。N兄が今年初めの『メディカル朝日』に踊る医師として取材され記事になつたのはN兄本人から聞いてはいたが築地のH君よりファイルで送られ眺める。その見出しに、このマラルメの「肉体は悲し」あり。N兄の下宿は壁のいたるところ、洗面所のタイルまでも耳なし芳一のように呪文が沢山書かれていたが冷蔵庫に大きく「Foucaultを越ゆるべし」とあり。当時フーコーなんて読んだこともなかつたが後になつてフーコー読み耽り勿論アタクシにフーコー越えることなどできず、ただあの禿頭磨くくらい。フーコーといえば中島らも氏が生前、獄中で取り寄せて読んだのがフーコーの『異常者たち』(コレージュ=ド=フランス講義1974-75年、筑摩書房)であつた。今日はいくつかかなり気分ゲンナリとする出来事あり。晩に帰宅して線香焚き先考遺影拝みウオツカくいっと一杯。お清め。アタクシの祖母なら「あー嫌だ、気分が滅入っちまうよ、ちょっとお不動さんへ」と忌みのお祓いだつた。ついNHKのNW9見てしまふ。「いじめ、学校への不信感が高まっています」って。何を今更。ニュースにしたいだけ。東北から関東にかけて暴風雨。なぜ危ないのに骨も折れた傘を懸命にさして暴風雨のなか雨水を除けようとするのかしら。廿数年前に長春だったか夕方の驟雨に市街で傘をさしているのが自分一人と気づき恥ずかしさのあまり傘を閉じ雨に濡れる。よつぽど雨に濡れて困る携帯品でもなければ、みんな「あーあ」で雨に濡れて歩いているのはアジアも欧米も同じこと。広重の昔から暴風雨のなか必至で傘で雨風を除けようとするのだからDNAの成せる業かしら。今日から携帯電話の番号が契約会社が変わっても電話番号は変わりません、と携帯各社は繁華街で、秋葉原の家電店でとファンファーレにくす玉割って宣伝活動。ポータビリティ制度。「ポータビリティについて携帯電話制度での意味を説明せよ」で正解率はいかほど? 書斎の書棚の上のほうで落ちそうになつていた昔の事務手帖のスクラップあり。手にとると1999年のもので何気に紐解くと1月6日の頁に今年8月に逝去された山村修氏からいただいた葉書を発見。てつきり山村氏の『禁煙の愉しみ』に挟んであつたつもりで、この本は亡くなる五年前に間質性肺炎と診断されきつぱりと禁煙した父にあげたので実家のどこかに本はあると思うが、その山村氏からいただいた達筆の、一読者の手紙に丁寧かつ嬉しい返事。読み返す。
▼政府税調会長「だった」石弘光さん(この人も「さん」づけ仲間入り)朝日新聞取材に答え自民党政府の進める「法人税減税一辺倒の議論には違和感を覚える」「特定の者や業界を優遇する税制は不公平やひずみを生む。一方で家計増税になれば、国民の支持は得にくいだろう」「皆で支え合う仕組みを作らないといけない。減税食い逃げ的な話や、経済成長ですべてが解決されるというような話は無責任だ」「格差社会も出てきたし、所得再分配機能を強める必要がある」と正論披露。小泉三世の御世、石といえば新自由主義の旗手、名前の通りカチカチの御用文化人という印象の人がナベツネさん、中曽根さん、山拓さんらに続いて「さん」づけに値する発言。泣く子も黙る中教審すら首相補佐官の下村に守旧派と罵られる態。1930年代であれば海軍穏健派や財閥、親英米派らがこういう扱い受けたのでしょうね、と築地のH君。突然「さん」づけで思い出したが亀井静香チャン。村山内閣の時に「俺はハトを守るタカだ」の発言あり。今はもう「ハトを守るタカ」すらおらずハト喰らう怖い肉食鳥ばかり。