富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-06-30

六月卅日(金)今日是六月三十日,我是陳方安生。と今日が最後の(明日の七一デモ控え)ビッグシスターの主張が香港電台より流れる。香港電台は幅広く様々な主張を伝える、と言うが政府や親中派からしてみれば明らかに明日のデモ参加を市民に煽っている、と映るもの。捨て身か、開き直りか、いずれにせよ阿倍某などの顔色伺うNHKよか公共放送として志は立派。
過去三日,我對七一遊行、民主政制、經濟發展、言論資訊自由發表了意見,好高興見到各bloggers的積極回應。?們大家明顯是重視這些課題,?們是關心社會的動向和發展。這正正是體現公民社會中,百花齊放的精神。
我很同意,民主普選並非甚麼靈丹妙藥,也不能排除萬難,但是先進國家以及發展中國家的經濟證實,民主政制是最能?保證市民利益和自由。
民主可以促進經濟發展以及社會和諧,讓市民有機會參與公共事務、釐定公共政策,以及最重要的,有機會選出他們最喜歡的領袖。
社會上有些人認為,政府方案被否決,是因為某些政客為反對而反對,我想就此稍作分析。基本法講明,行政長官以及立法會,最終是由普選?生。而普選是根據國際人權公約所定明的,普及而平等的選舉。特區政府是有責任,向這個目標邁進,否則就無法達到,最終普選的目標。
特區政府不需要一?到位,但必須不斷加強民主化。政府的方案明顯違反民主普選的原則,因為方案?加了功能組別的議席,同時保留了委任議員的議席,?加議席並不等同民主化。方案缺乏了原則性的方針,特區政府又不願意定下路線圖以及普選時間表,在這個情況下,方案被立法會否決,大家都可以理解。
明天就是七一遊行,我希望?一位支持民主普選的市民,都出來參加遊行。?們參加遊行,並非為了我陳太,而是為了?們自己的理念,為了香港的將來,挺身而出。
湾仔を歩いていて湾仔道170號通りかかる(変哲もない画像)。現在はJohnston Rdの英皇集団大廈の一角であるが、此処に明治四〇年に浄土真宗の香港本願寺建立され日本人子弟に読み書き算盤の寺子屋的学校開設され、それが戦前の香港日本人学校の母体となる。此処のほんの少し東寄り(銅鑼湾方向)、Hennessy Roadと湾仔道に挟まれた一角(C.C.Wu Bldg.と東亜銀行大廈の間)に狭いバスケットコートあり。宛ら紐育の如き都会らしい光景だが土地を遊ばせるなど以ての外の香港で、なぜここにバスケット場などあるかといえば二十世紀の始め頃はそこが火葬場兼の葬儀場。葬儀場は北角に移るが土地が忌み嫌われたのか建物建設されず今日に至る。今ではその故事知る者も少なし。湾仔のこの辺りの古い建物ももう取り壊し寸前か。Johnston Rdの三不賣に野葛菜水を飲む。晩に市大会堂の講演廳にてRoyal Asiatic Societyの講演会あり参加。現在は広州の曁南大学でシェイクスピアなど英文学教えるFrances Wong教授が中国の反右派闘争や文革に翻弄された半生を語る。Wong刀自は1923年生まれ。八旬も半ばで矍鑠としたもの、現役の大学教授。香港に生まれ戦前の香港大学に学んだ英才は日本軍の香港占領で広東省疎開し戦火のなか孫逸仙大学に学ぶ。日本の降伏後、喜びも束の間、国民党の腐敗甚だしく香港に戻った刀自は夫とともに中国の未来をば共産党に託し香港の新華社にて中共の宣伝報道の英訳などに従事。親中派知識分子として中共の求めに応じ1949年の中共による建国に際して、中国から香港に逃げる数万の群衆とは逆に歩いて七日かけて広州入り。英語に長け広州の外事弁公室、その後、北京の外交部に勤務。そこまでは理想に燃えた日々が続くが反右派闘争。外交部を去り外交学院で英語教授となる。そして文化大革命。農村に下放され強制労働に従事すること八年。命落とさずに済んだのは幸いだが娘は文革の影響で精神を病む。文革の終焉と開放化で1986年に37年ぶりに中国離れ夫とともに学術交流で米国へ。米国滞在続けるが数年前に中国に戻り広州の曁南大学で教鞭をとる。まさに理想に燃えた新中国建設と政治闘争の泥沼のなかの人生。革命、そして毛沢東とは何か、つくづく考えさせられる。会場でWong刀自の自伝“ChinaBound”(貴州人民出版社発行、英語)即売あり一冊贖う。帰宅の途、バスが渋滞でかなり時間要し140頁くらいの自伝、半分ほど読む。

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