富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-05-01

五月朔日(月)労働節。旧暦では四月初四日。大陸は大型連休で広東省で工場も休みなのだろうか大気汚染もなく快晴で遠くの山の稜線までくっきり。早朝寄席で高座一席済ませ昼に尖沙咀の太空館ホールにて映画『エノケンのとび助冒険旅行』1949年観る。香港国際映画祭の第二部にて今年は中川信夫監督特集。この「とび助」はアタシも初めて観るエノケン映画であり戦後のエノケン映画は実に初めて(ひばりちゃん主演の「東京キッド」でのエノケン助演がアタシの唯一のエノケン戦後作品)。プロデューサーが「ジャズの伯父様」野口久光で監督が中川信夫、脚本が山本嘉次郎で全編にわたりふんだんな画は画案が清水崑、と映画好きには垂涎の制作陣。かなり期待(それも香港でエノケン映画である!)。戦国時代で荒れ果てた京を舞台に孤児の娘(お福ちゃん、ダイゴ幸江)拾った人形づかいのとび助(エノケン)がお福ちゃんの母をさがしにはるばる駿河まで毒グモや大男、人喰い鬼などに襲われ危機一髪、地獄谷やインチキの町など通り抜け旅する話。B級な特撮、背景など一切が清水崑の書き割りなど面白いが、正直言って1935年の「エノケン近藤勇」の池田屋の場面で眼からウロコでエノケンに出会い、「ちゃっきり金太」「猿飛佐助」「猿飛佐助」「風来坊」に「法界坊」、「忠臣蔵」「鞍馬天狗」「弥次喜多」から「孫悟空」まで戦前のエノケン映画にただただ笑い続けたアタシにとって戦後の、この「とび助」がなぜこうもテイストが違うのか、と驚くばかり。この話が、ただ人がいいだけの正直者のとび助と小さな女の子の二人連れでも協力しあって頑張れば願いは叶う、という、子ども相手の映画であると思えば確かに納得もできるのだが。映画で落ち合ったZ嬢と尖沙咀の寿司亭にて軽めに遅いお昼で寿司にぎり。韓国食材街へと向かうZ嬢と別れジム(韓国産辛子明太子が値段高騰とZ嬢の話)。三日連続で飽きぬものか、で筋力運動と有酸素運動を各一時間。夕方のきれいな空も風も心地よく湾仔のDelaney'sでギネス麦酒。ぢっと待つこと五分。飲むのも惜しいくらいきれいに「アイリッシュクリーム」冠るギネス供される。ドラフトのギネスは随分と味がマイルドになった気がするが、窓も扉も大きく開いたアイリッシュパブで新聞に眼を通しながら飲むギネスはやはり美味でついついさっさと二杯目。帰宅。日本蕎麦茹でて食す。菊正宗一合。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で埼玉県の群馬との県境の小鹿野町。歌舞伎が盛ん。小学生が重の井の子別れの場面など科白を名調子。町の女歌舞伎の指導役の齢八旬の老人が鶴瓶師匠に若い頃の舞台写真で「あ、釣瓶寿司や、これ聞かせてください」に鮨屋の権太の科白乞われれば(義経千本桜、すし屋の場)老人少し語り始めるが、ご老人咄嗟に権太になり切り感極まり涙。見ていた妻も眼に涙。これが芝居の原点か。本日、サイデンステッカー先生の『東京 下町や山の手』少し読む。1986年に新刊で数年後に読んだが今回は文庫での読み直し。その当時、サイデンステッカー先生は冬になるとハワイに避寒されたが年の半分は上野にお住まい。シアトル人の畏友JB君にその頃「今日は珍しい人に遭ったよ、不忍池でね」と言われ、JB君が浅草での日本舞踊の稽古の帰りに上野の池ノ端で、不忍池のベンチに坐って夕方のひとときをお過ごしのご老人、それがサイデンステッカー先生であった、と。かたや日本文学の碩学と若い日本舞踊家のJB君、年はずいぶん違うが同じ江戸趣味のアメリカ人でベンチで少し話し「今度、またハワイから戻ってきたら是非、遊びに来て」と言われた、とJB君も喜んで「一緒に行きましょうよ」と誘ってくれたが余も日本離れJB君もバリ島に本拠地移しサイデン先生のお誘いも無碍に。この本、「はしがき」の荷風散人への追悼の念だけでも一読の価値あり。
▼武蔵野のD君より。例の都立校の「採決」について。都新聞の記事で都教委の課長のコメント。「学校の責任者は校長。責任を問われない人が重要なことを決めるのは、一般の人から見てもおかしいはずだ」と。責任をとれるはずもない都の課長如きが片腹痛し。そのうえおかしなロジック、とD君。国政に責任を負うのは総理大臣だが、じゃあ、陣笠代議士が重要法案の採決に加わるのはおかしいか。議員と教員は比べられないかもしれんが「上御一人以外は発言権なし」か。責任者というのは結果に責任を負うのであって、それ以上ではない、が原理。「よしわかった。君たちの思うようにやれ。責任は俺がとる」がかつては「理想の上司」だったが……それが今じゃ首相が「よし、俺が勝手にやる。(選挙で)責任はみんなでとろう」が自民党か。昭和の先帝など極意の「無答責」の体系で最初から責任とる気もとっていただく精神も制度もないのに「御前会議で終戦を決断」ということに。今になって思い起こせば「ぶっ毀れる前の」自由民主党にも政策決定は「総務会で採決による了承」の手続き必要であったが、それも今は昔。
▼また知的巨人が一人、JKガルブレイス氏逝去。知己のG氏より追悼のメールあり。逝く。主流派経済学とは常に一線を画しながら社会通念を疑い「リベラルとは何か?」問い続ける。余の感じたところは「本意での」リベラルというのがこれからどうなるのか。本意でのリベラルという意味では最近は余は中曽根大勲位もあの人はリベラルなのではないか?とか、ナベツネすら靖国発言などこの人はリベラルである、とすら思える今日この頃。常識と知性と教養、それに少しのウイットがあれば、リベラルになれるはずなのに、それのない「大人」が増えすぎたからかも。
▼紐育にてイラクからの米軍撤退求める市民デモに30万人。あの「戦争」が侵略行為であり全く意味のないものであることなどあの当時からわかっていようものを。だが数年と多くの代償かけても今になって理解できるだけ、まだ米国民には学習機能と判断力があるだけ、思考と判断の停止した国家よかまだマシかもしれない。

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