農暦十二月晦日。快晴。旧正月で韓国からの旅行者多く朝食のレストランは混雑予想されご容赦をと昨晩部屋にお知らせ届く。部屋で持参したオートミールとクッキーで朝食済ます。フィリピンスター紙に「マニラのシンドラー」といふ記事あり。米国シンシナティからのAP電で第二次大戦中にマニラにて米国出身の四兄弟が千二百人に及ぶユダヤ系難民に米国入境を手助けしていたといふ話。この兄弟は父の代からマニラにてフィリピン産葉巻の製造輸出業営んでいたユダヤ系のFrieder氏一族。ドイツとオーストラリアからのユダヤ系市民をマニラに受け入れ当時の在マニラ米国高等弁務官と戦後初代フィリピン大統領となるQuezon氏の協力得て米国入境査証を与えたそうな。シンシナティのユダヤ系市民団体がこの「マニラのシンドラー」の善意に記念式典開く。吉永良正『複雑系とは何か』読む。専門家対象にせず文化系の人にもわかり易くといふが「複雑系の科学の出現の必然性は、論理的にも時系列的にもカオス理論と非平衡系科学の自己組織化論の展開上にあり、さらにさかのぼれば、これら二つの理論の出現の必然性は、保守科学が内包する二極構造、すなわち古典力学の決定論と統計力学の確率論にそれぞれ代表される「単純な科学」と「ランダムな科学」との二重構造がもつ矛盾にあった」と書かれてもチンプンカンプン。複雑系の梁山泊たる米国のサンタフェ研究所と言われてもサンタフェで想像するのは宮沢りえ嬢の写真集。「創発(emergence)」がキーワードと言われても創発で想像するのは香港大学近くの創發といふ料理屋。複雑系が「無数の構成要素から成る一まとまりの集団で、各要素が他の要素とたえず相互作用を行っている結果、全体として見れば部分の動きの総和以上の何らかの独自のふるまいを示すもの」といふ記述で、あゝなる程「自民党の強さはこれか」とかと勝手に想像し「右へ行けばカオティックな無秩序の攪乱。左へ行けば周期的なシーシュポスの苦役から不毛な安定状態をへて死の秩序へ。どちらにしても、ころげ落ちる先は真っ暗闇である」といふ続き読んで「ほら、やっぱり政治だ、これは」と納得してみたり。日本人と限定したくないが人間の集団での習性とて、この本に紹介された空を飛ぶ鳥の群れの法則
(1) 近くの鳥たちが数多くいるほうへ向かって飛ぼうとすること。
(2) 近くにいる鳥たちと、飛ぶ速さと方向を合わせようとすること。
(3) 近くの鳥や物体に近づきながら、ぶつからないように離れようとすること。
で説明できるから可笑しい。それにしても科学の文章とは何と美しいことか。
生物は単体や単一の種としては存在することができず、かならず他の個体や種となんらかの関係をもち(強いか弱いか、直接的か間接的かの違いはあるにせよ)、そのような多数の相互作用によって結合されたネットワークをつくることで生存を維持している。そして、これらのネットワークはさまざまな階層で構造化されていわゆる生態系を成し、そべての生態系が最終的にはただ一つの生命圏の中に統合される。「われわれが知っているものとしての生命」の四十億年の歴史とは、おそらくは偶然によって固定された一つの初期条件としての単純な有機物質の特異なネットワーク(つまり生命の起源)から始まり、ついには地球をおおいつくし、地球を改造するまでに至った巨大な大きな生命圏の物語なのである。
……どうだろうか。何度読んでもこの文章は科学者にしか書けぬ理科系の文章の韻文的な美しさ。続けてブルーバックスで杉晴夫『筋力はふしぎ』読む。難しい筋力の仕組みも書かれてはいるが何が健康に大切なのか何を節制すべきなのか「わかっちゃいるけどやめられない」の世界。これもさらさらっと読了。椰子の木に突然何か黒い物体ひらひらと飛んできて何かと思えば蝙蝠。蝙蝠が昼に椰子の木に飛来しずっと佇む。昼はルームサービスでフィリピンの地元腸詰のサンドイッチなど。白葡萄酒はイタリアのTrebbiano D'aruzzoの03年。午後少し微睡。小泉保『縄文語の発見』読む。ちょっと内容専門過ぎて学術論文の如く素人には最終章だけでよいかも。出雲島根に東北と同じ方言の発音残ることが指摘されているが日本海側にずっと存在した縄文語がなぜ山陰でも出雲にだけ残ったのか著者はそれについて言及せぬが興味深いところ。読了。土曜日からずっとホテルに籠りきり。さすがに飽きて午後三時のホテルのシャトルバスでセブ空港に行き空港からタクシーでセブ市街。このホテルから市街に出る定期バスなし。客が外に出ることはホテルの組んだツアーだけ。ホテルタクシーは高くセブ市内まで往復せば一時間でP500だか一時間追加でP200は計千五百円といえばそれまでだが現地では高い。ホテルにタクシーも偶にしか現れず(なにせホテル客のタクシー利用がないのだから)どうせならせめてホテルの空港行き無料バス利用して空港からセブ市内ならもっと安いかと判断。自慢ぢゃないが(といってすっかり自慢だが)世界各地何処の市街でも初めてでも空港から地下鉄に乗ってもホテルのバスに送られても地図を見ずに方角と位置関係は咄嗟に理解でき、だいたい何処が何処、どの方向に歩けば、といふのは概略地図をぱっと見れば方角確かに町歩き出来るのだけは我ながら感心。セブのこの市街も昨晩ネット上でセブの概略図眺めただけでタクシーで今何処を走っている、目的地はどの方角、あとどれくらいで到着とわかるのは不思議。空港からタクシーで渋滞抜けて市街のロビンソン百貨店までP140(約三百円)。地下の食品売り場で買い物。旧市街ぶらぶらと歩く。フィリピンのマカティ除く他の都市と同様にマルコス時代で「開発」が終わってしまったな、といふ旧市街。高層ビルが建てばいいものじゃないし長屋が並ぶのもいいがドブや下水の汚濁ぶりや電気などインフラ整備の悪化は大問題。自動車の排気ガス、大気汚染甚だし。自動車多すぎ。裏道抜け抜け歩いて巨大なアヤラモールのショッピングセンター。本当に巨大。何でもあり驚く。SMセブはこれの二倍だかの規模のはず。凄い。が巨大ショッピングモール出来てしまふことで当然、ショッピングセンターに行けば用足せれば今さらこの環境悪しき市街など誰も歩かず。日暮れ。アラヤモール近くにミカドといふ日本料理屋あるのを見つけSMセブにも出店してる程。歩き疲れビールでも、と立ち寄りつまみに刺身と酢の物。高級日式といった感じで晩餐を此処で済ます気にもならず。値段はビール三本に刺身と酢の物の盛り合わせでP412で千円程。タクシー何台かホテルのあるマクタン島まで行くのを断れ(空港までなら帰りの客期待だがそれより先はご容赦を、という感じ)メーター倒さず値段交渉なら応じる車もあり。だが行き先がマクタン島のもっとも遠方の東北の岬Punta Engaroでは猶のこと行く運転手おらず。ようやくP300で行くといふ運転手あり「実は自宅が島内で、してやったりだったりして」とZ嬢と笑ふ。そのPunta Engaroはシャングリラホテルよか先で日本料理屋「海舟」といふ店あり。シャングリラ越えてセブのリゾートでも高層ビルのヒルトンホテルの更に奥。夜に来ると「こんな場所に」といふ処だが韓国人多し。刺身も無難だが別に注文の赤貝の刺身だけは×。それと海老天うどん。フィリピンはやはり歴史風土的に天婦羅美味。海老は地元で尤も美味。寿司のネタの名前でこの島のラプラプなる都市名がグルーパ(石班)の魚の名だと知る。でも石班は刺身では美味くなかろうが。酒は新潟の越の八豊って初めての酒。さて帰ろうと思ってもタクシーも来ずジープニーは来るがこれまた島南の辺鄙な余の宿のほうには行かず。しばらく歩く。ヒルトンやシャングリラのあたりなら少しは観光客相手に賑わいもあろうかと思ったがヒルトンも闇の中、リゾートにあって三十階ほどの高層ビルに隣にはバブル崩壊で売れぬリゾートマンションの空虚な建物。シャングリラの前ですら貝殻など土産物売る露店が数軒と韓国料理屋一軒のみ。しばらく歩きラプラプモニュメントの手前でようやくタクシー拾ふ。リゾートホテルが点在する海岸線上を東北から西南に走るがセブビーチクラブなど七十年代にリゾート開発された最も古いリゾートホテル地帯に街道沿いの小さな町こそあるがプーケットやバリと並び東南アジアの国際的リゾートといふわりには余りにも良くも悪しくも観光化されておらず市街整備など遜色るばかり。これでは観光客も黄昏から夜に街に出ようなどといふ気もさらさら起きず。観光マネーも町に落ちず。ホテルが市街へのシャトルバス出さぬ理由もわからぬでもなし。同じフィリピンでもパラワンなどのほうがよっぽど観光客相手しようといふ小さな町もあり。真っ暗な中ホテルに戻る。この人工リゾートがセブで5ツ星といふのも納得。昼の葡萄酒の残り半分ほど飲む。