六月七日(月)昨晩はひどい低気圧のせいか疲れているのに眠れず朝の三時すぎに漸く眠り三時間も寝ずに起きる。小雨。余が二日前に「テキシの車中にて思ふは……ただ独り自らを律し我が心地よく如何に過すかに専念すべきことが最良と覚悟」と綴ったことに久が原の畏友T君より余らしからぬ慨歎に御胸中しみじみ忖度申し候とメールあり。人付合ひ疲れると荷風散人がごく少数の友を除き殊に宴会だの集会だのといった人が集ふ場所を避け人恋しさは専らカフェの女給だの浅草のダンサーとの交際に限ったことも成程と納得。紀伊国屋より故・橋田信介氏の『イラクの中心で、バカとさけぶ』と『煽情特派員』……いや打ち間違い、『戦場特派員』が正しいが、この二冊届く。橋田氏と小川功太郎氏が亡くなったかも、といふニュース聞いて不肖富柏村の最初にしたことは「あ、売り切れる!」と慌てて紀伊国屋への橋田氏のこの二冊の注文。この二冊恐らく不幸なるベストセラーだろうし「ここで」飛びつく己に嫌悪感すら感じるが読まぬ理由はなく寧ろ勝谷氏の言う通り読むべき書。晩に九龍に薮用あり時間までFCCにて『世界の中心で』読み始め九龍への往復の地下鉄にて読了。不肖宮嶋氏と勝谷氏相手の鼎談で橋田氏曰く自衛隊派遣で戦闘地か非戦闘地かと侃々諤々に意味なく自衛隊は軍隊であり軍人は国のために死ぬのが当然、国益のために派兵され、問題は本当にこれに国益があるかどうか。また日本の加担についてサダム政権に七千億円の負債がある上で今後四年間に五十億ドル拠出、つまり一兆円を越えるのに国民の反応がない、マスコミはそれを指摘しない、この不可思議が日本。以下橋田氏の記述のうち印象に残るを誌せば、取材に不慮の事故もあるが雪の降る日にバイクで新聞配達せばスリップなど危ないが配達はするのに新聞社の発想はスリップが怖いから書くのをやめるようなもの。バクダッドの市街戦にて米軍の新鋭武器(赤外線透視鏡つきのM16、人間の体温をば赤外線で感知し自動的に標準合わせる銃器、相手に身体を曝さず銃撃が可)を見た橋田氏は、もう四五年経てば最前線の米兵はロボットになるのでは、と(ここで日本のロボット技術は米国に寄与できるかも)。命なんてものは、使うべきときに、使わないと意味がない。バクダッドにて市街戦のなか食事もできず困り果てたところで偶然に出遇った市民に家に招かれ食事の歓待受ける橋田氏。その男はジャパニーズだからウェルカムと。イラクにて培われてきたはずの親日の感情。それが今回の米軍加担の派兵。この本が橋田氏の死後あちこちで紹介される中で橋田氏の「戦場記者は戦争を語ってはならない」「戦場記者は「場」(戦場)から戦況は語れるが戦争=政治の世界を語ってはいけない」というところばかり引き合いに出されるが橋田氏の指摘の大切は実はこの記述のあとで、政府の戦争追悼など実は戦場の惨状を語るばかりで戦争を語らず戦争に反対しておらず、と。戦争を語り戦争に反対することの大切さ。これが橋田氏の言わんとするところ。「日本人が戦争を始めたのも、また、自分の力で戦争をやめさせられなかったのも、政治が語られなかったから」「戦後約六十年、自民党の一党独裁政治が続くのも、日本人の政治的未熟さが続いているから」「戦争を容認し、日の丸の小旗を振って出征兵士を送った時代と同じ。今度のイラク戦争に即していえば「大量破壊兵器」というキーワードを信じた政治家、メディア、そして、それを容認した国民こそが、かつて「日の丸」を振った人々」「もうそろそろ、「戦争」と「戦場」をごっちゃにすることから卒業しなくてはならない。戦場の悲惨さを語るのは、単にそれは泣き言であることを悟らなければならない」と。御意。「本当をいえば、戦場という土俵で、正規の軍隊が対峙し、ちゃんと戦闘しているときは、比較的安全なのだ。一方の軍隊が崩壊する直前、あるいは、崩壊直後がもっとも危険」という記述にその後の橋田氏の運命語られる。フセイン政権崩壊し大手マスコミの記者が来たバクダッドから橋田氏らは「もう仕事は終わった」と出国するとき、イラクとヨルダンの国境を警備する米軍兵に橋田氏は「パスポートを持ってきたのか?、ビザは取ったのか?」と尋ねる。「持ってない」と答える米兵。これは進出でなく侵略だ、と橋田氏。それに加担した日本。自衛隊は死を覚悟で駐軍し、もしものことあれば国民がこれが何なのか?を知るべきこと。一気に読了し自律神経がおかしくなるほど様々なこと考えさせられる。怖いほど。橋田氏だから見えた戦争の悲惨さ、平和とは何か。橋田氏が戦場に向かったのは「カネのため」と言いつつ戦争がいかに惨いことかを伝えるにはその現場である戦場の事実を伝えるため。橋田氏の記述は勝谷氏が「ユルユルとした」と評したがまさにそれ。戦場を語るのにユルユルしているのが佳い。本多勝一の文章とは好対照。事実の部分だけ登場人物を「橋田さん」と語り、あとは「ハシやん」で通す。興味深いのは軽い部分とそして上述した実は「戦争」を語る深い部分を「……とハシやんは思う」などとハシやんを使う、そのユルユルさが何ともまた軽妙なる筆致。感服。読んでアタマのなかがぐわんぐわんと何かが環る。帰宅して昨晩の睡眠不足にもかかわらず眠れず『芸術新潮』読む。磯崎新君の「日本建築史を読みかえる6章」はかなり期待したが無難な内容。例えば出雲大社の古代のお社が東大寺大仏殿の十五丈を超える十六丈(48米)といふことについても(詳細)、かつて読んだ藤森照信氏は、それを当時の出雲の樹木の鬱葱と茂る森のなかにこのお社はまるで空中に浮かぶように見えたのではないか、霧の中に浮かぶ空中神殿に藤森氏の空想は走るのだが、このイメージこそ読んでゾクゾクする記述であり、これこそ「日本建築史を読みかえる」に値するもの。
▼このサイトのご贔屓筋より灣仔の四川麺家「Q麦」が閉店と報せあり。今月いっぱいだとか。開店以降頻繁に訪れたが一度担々麺の味がかなり落ちた気がして以来は足を向けておらず。ご贔屓の蒼茫子は麻辣雨線ひとすじだったので担々麺の味の低下は知らずとのこと。確かに麻辣雨線は美味であった。ちなみにこのQ麦は閉業しても同じ経営の四川私家菜は営業続けるそうで、それを聞いてふとLockhart Rdの四姐川菜なる店がこれか?と察しもする。