富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月八日(火)晴。頸右にリンパ腺の痛みあり養和病院にて診断請ふ。今年初の台風警報1発令。早晩に香港大学博物館にて明日より開催の開闢早期の中環の風景写真展あり其の開幕式あり参観。Y総館長にご挨拶。旧知の館長H君おらず早々に退散。晩に銅鑼灣に薮用済ませヰンザーハウスのケーブレククス電脳店にてiPod用の新しいイヤフォン購ふ。Z嬢とかなり久々に天后の利休に食す。蛸の煮物、蓮根揚、鱸スズキの刺身、白魚の天婦羅。酒は金陵をさらさらっと二人で四合。バッテラときつねうどん。いずれも秀逸。バッテラはやはり関西料理のこの店が香港で一番。うどんも当然だが出汁加減がお見事。さっと胡瓜の漬け物出され余りの美味さに女将さんの話を聞けばさすがに漬け物の香物だけは地場のもの使えず日本からの胡瓜を漬けるが一昔前の景気なら好評な漬け物ゆへ沢山漬けておけば浅漬けが好きな客、糠くさい古漬け好む客といくらでも応じられたが今ではせっかく漬けても日によって客の入りも多い少ないの差が激しくせっかく漬けた胡瓜も無駄にするような日もあり難しひ、との話。ふと手の空いたご主人女将と思い起こせば初めてお会いしてもう十三年ほど。この店が開店して十五年。香港ゆへ星霜を経るといふより幾雲雨か。Z嬢と久々に交酌に物語す。香港の日本料理屋の話となり最近は奇を衒った店多く、日本料理屋もまるでギガーがデザインしたのかといった店もあり、そういえば白金にそんな店があったねぇ懐かしいねぇ、香港は八十年代の日本の如く空間プロヂューサでも活躍か、そういった田中康夫的に言えば「実体のないプレゼン」で商売の彼らは何処に消えたか、六本木のほら、あの照明が墜ちた、確か亡くなったのは栃木から遊びに来ていた娘だったか、といふ話となり、余はついディスコの名を「クーリエ」と言ってしまひ、それはOCSやで、クーリエぢゃなくてトゥリアとZ嬢に正されZ嬢が当時このトゥリアにも参ったことがあると初めて知り、当時は関脇だったか小結だった小錦がこの店に現れ、お立ち台で踊る娘らを尻相撲で台より落として最後に小錦が残り「イェーイッ!」とやっていたのが可愛かったとあったようななかったような話も今では都市伝説か、相撲取りといへば豊島園で入門したてのまだ十七くらいの貴花田が弟弟子連れてジェットコースターに乗っていたねぇ、などと回顧談。橋田氏の『イラクの中心で』の話となり、そういえば橋田氏が吸い物を「おつゆ」と書いていたこと思い出し、最近「おつゆ」と言わなくなった。教育の話となり、最近は自分は何もしないのに頼るだけは人に頼り何かあると文句を言ふ失敬な輩多しと年寄りぢみた愚痴。だから不愉快な思ひせぬ為にはひと付き合ひを避けること。ゴルフの話となり余は丘陵をば整地し大量の薬剤で以て芝育ててのゴルフ場建設を、ことに飛行機から見下ろした時の成田界隈のゴルフ場の様がまるで地肌のケロイドの如く見え、それゆへゴルフ場建設に異議ありゴルフなどせぬが、ゴルフといへば仕事絡み、接待、商談……といふ印象もあるが、ありゃ本当にゴルフして商談なんかしてるかね、ゴルフに夢中でそんな暇はなかろう、それぢゃ終わってからの商談かといへば酒飲んで美味いもの食ってで、結局、なんでゴルフがビジネスとなるのかとZ嬢と考えた結果、ありゃやはり脅迫概念ぢゃないか、と。平日の本来は仕事せねばならぬ時にゴルフなんぞしてしまうことへの罪悪感。それゆへその「罪悪」をば共有した者はそこで普段なら出さぬ情報も交換して多少なりとのゴルフの成果をば会社に持ち帰り、またその相手と商売でもせねば商談したことにならず……といふ共犯関係がゴルフと実業をば結びつけるのではないか、と想像。我らの後方の卓に日本人の初老の紳士と香港の地場の中小企業の社長然とした男、それにその妻と茶髪の今どきのラフな息子あり。英語でさかんに会話していたが本来、この初老の二人が会話の主であるはずがその一見そのへんを徘徊していそうな浮いた息子が途中からこの日本人の初老氏と断然、金属だか製造の専門的な会話まで話弾み、その息子の真摯な話ぶりに感服。ああ見えて父の商売をきちんと襲いでいくのか。帰宅して三更にiPodでイヤフォンの実測。試聴に用いたはAbdullah Ibrahimの“African Piano”でかなり硬質のピアノの音。本日購入のiPodの新作(内耳型)、旧来のiPodの外耳型、それにBang&Olufsenの耳掛型とSONY社の内耳型の4種。劣悪は本日購入のiPodの内耳型(笑)。高音ばかりがカリカリと不愉快、音の厚みも深みもなし。四十年前のトランジスタラジオか廉価の工作用スピーカーの如し。買って失敗。B&Oは音質こそ前述のiPodには勝るがB&O社特有の音の硬さあり。SONYはiPod新作と同じ内耳型ながら音の広がりは勝る。で結局、最も音質よきはiPodの旧来型。低音までしっかりと再生し音の深みの見事さ。低音を聴くのにふと大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」を流してみれば(余談だがこの曲聴くと八十年代前葉の新宿の酒場思い出す)この曲はベースラインが秀逸なわけで、それがどれだけ聞こえるか、で結果は明白。イヤフォンの場合、音量大きくして実際に耳に当てずスピーカーの如く聴いてみても、ダメなイヤフォンほど舎利舎利と聞こえ、良質なるものは当然、きちんと低音までの深みが耳に達す事実。iPodの新作は山歩き、走りの折にでも用いるかと誤買を言い聞かす。
▼恩師K先生、校長を定年退職し現在嘱託にて「教育センター」なる場所に勤務。精神的負担過でいわゆる登校拒否状態の教員の指導コースにて講師の任に当たられる。企業なら勤務できぬ社員など即刻解雇のところ教員へのこの指導に呆れる向きあるが、K先生よりの便りによれば、一昔前なら何も問題にはならなかったようなことが保護者の意識の変化で問題となり、教育委員会などへの通告、教委も過剰反応し校長に指導あり問題教師扱い。家庭での問題など棚上げ。この環境で心身に異常来す教員も少なからず、と。教育に限らず政治といいイラク人質の自己責任といい本来問題とされるべきことから乖離した個人批判ばかりの時代に至れり。
▼昨日の日剰に綴った橋田氏について追記。余の日剰五月廿九日で紹介せし産経新聞の「産経抄」の自衛隊撤退論などは「橋田氏流にいえば、戦場と戦争を混同した議論といわねばなるまい」といふ余りに身勝手な橋田氏の文章の解釈。これは『イラクの中心で』読んで思ったが明らかに産経の改竄。いくら御用新聞とはいへ産経の余りの知力の低さ。産経にもっとピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いしたいもの。そして廿八日に綴った、小泉三世の「以前からイラクには入らないでくださいと勧告してたんですけどねぇ」のその「ねぇ」。小泉三世はイラクに橋田氏らが入ること=真実が伝えられることがどれだけ困るか、だろうが、こんなのを首相に据え支持、容認しているのは国民。南無阿弥。

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