五月十三日(金)曇。昨日、携帯電話を交換。軒屋の8850なる古典的機種をば〇二年十二月に購ひしが(当年十二月十二、十三日の日剰に記述あり)接続不良あり外殻も緩み交換の要あり。見世にて交換機種見せられるが余が好むのは8850の如く余計な機能なき機種。世はすでに多機能主流でこういった機種はもはや8910のみ。だがこの黒金のチタン用いた高級機種もはや製造中止にて在庫あるは旺角などの怪しげな見世のみ。しかも今でも価格はHK$4000と値が張り今更二年前のこれをこの価格で購ふには風険高し。結局、見世で紹介されるは6100なる機種で8850の器品には甚だ遠かりしものなれど半分諦めてこれを購入。携帯などいっそもたぬことが、久が原のT君や築地のH君の如く当世イキなはず。携帯など便利である以上に携帯に気軽に電話かかることで下らぬ諸事に翻弄されるが現実。だが問題は香港など十年の昔なら(電話料金固定額制ゆへ)商店の軒先に無料の電話多く不便なきものが当世、携帯の普及にて軒先の電話もなくなりぬ。不便このうえなし。本日。立夏すぎ溽暑甚し。大江健三郎君の『万延元年のフットボール』読み始める。ふと気になるは書籍に挟まれた注文カードなるもの。通常は書店にて書籍購入の際に外される票(現在、書店が在庫管理に電脳用いて売上げもバーコード読む時代に注文票がどれほど用いられているのか不思議だが)。余が気になるのは余は紀伊国屋の網上書店にて書籍多く購入するがこの場合この注文カードが外されずに届けられること。蔵書の記録に用いるなり枝折の代りにするなり捨てずとも用途あるが何が気になるかとういふと「どうも万引きした」気分。万引きしてそっと注文カード捨てた時の罪悪感とか。晩にふと中学七年(旧制の大学予科に該る)の中国語文の教科書見る機会あり。近代よりの名文家なる先達の文章の要所要所の抜粋読む。文章の流暢なること日本でいへば一葉、紅葉の如し。日本語との大きな違いは日本語にはひらがなあることで一種の「逃げ」あるのに対して中文での漢語には書き手の「どの漢字をば用いるか」の素養大きく影響すること。日本語でも文語ある時代はこの「逃げ」少なきものが言文一致の結果、確かに夷斎先生であるとか吉田健一など優れた名文もあるが、基本的には「春になると気分がいいものだ」との表現に玄人素人の差はなし。シナに於いては民国以降の言文一致によりかなり文章の平民化図られども今以て明らかに文章の書き手の甲乙あり。どの字、どの語を用いるか、はたまた韻だのの素養。それゆへ「文人」なるものの存在あり。ネパール出身の文人G氏とタクシーに乗り新界の錦田に在住するG氏と錦田界隈のエスニック料理屋につき教え請ふ。石崗に大きな軍営地ありかつて英軍駐在の折ネパールのグルカ兵多く、それ以来、この石崗、錦田界隈にネパール人の居住多し。タクシーの初老の運転手、英語堪能にて、その界隈のエスニック料理屋につき会話に加わる。G氏先に車降り運転手さらに余に話かけるが「ネパール人は誠実」だの意思の強さ賞め余に同意求め、何かおかしいと思えば余もネパール人と勘違い。日本人だとわかったが運転手曰く顔つき云々より余の英語がネパールの英語層、と(笑)。遅晩に荷風先生日剰昭和十四年の夏を読む。軍国の時代に荷風先生にも忍び寄る自由拘束の足音。荷風先生
日本といふ國にては一個人單獨にて事を爲せば必ず障礙を生ず。集團の力を借る時は法を犯すも亦容易なり。
と綴る。
▼経済発展著しき広東省は中山。孫文の故郷で孫文が日本の千葉に住まいし折に偽名に使ったのが千葉の今では競馬場で有名な地名「中山」にて中国に戻ってからも中山の名を使い孫中山と称し孫文の故郷は彼を崇び中山といふ地名となる。この中山の分譲地も豪華さ競い遂に出現したのがこの「ベニス風」の運河ある分譲地(笑)。写真見ての通り各棟の居間と思わしき部屋からの芝生庭が運河に面しそこに各戸ごとにゴンドラ船まで供す。芝生庭も猫の額の如く、亦た芝生庭からは隣宅の居間容易に覗かれる。この船とて何の利用価値があろうか、不思議。よく見ると手前右側にゴンドラに遊ぶ二人あるが家屋の大きさ、庭の鉄柵や石柱に比べやたら小人。人形か。普通の背丈の人ならこのゴンドラはほとんど一人用カヌーのはず。かりにこの人が真物であれば家屋は居間が二階分吹抜けの超豪邸か。
▼市川團十郎の九日での歌舞伎座休演。息子の海老蔵襲名披露で休演とはかなり病気が重いのか、血球異常といふ噂も耳にしていたが、白血病と公表。まさか海老蔵の襲名披露が最後の親子共演とならなければよいが。余が新之助(現・海老蔵)の初のまともな芝居見たのが現・團十郎の團十郎襲名披露での助六。福山のかつぎ演じる新之助君の溌溂とした芝居に彼の海老蔵襲名はいつのことかと期待したがまさかこんなことになろうとは。築地のH君より、そういえば海老蔵襲名発表の記者会見にて團十郎「このたび新之助の團十郎襲を」と口滑らし間違ったのも今では笑えず。