五月四日(火)天気崩れるといふ予想が午後より晴れ渡り晩に雲もなき空に満月。Z嬢と月を愛でつ散歩。暫く前に読んだ秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』の続刊となる『写真と地図で読む!帝都東京地下の謎』なるムック本読む。ムック本と聞いて戦後のゾッキ本彷彿するは余の如き老いた世代のみか。このムック本、前作の新刊書が文章主体で而も著者の言い回し些か読みづらき点あり読後にこれは写真と地図多く用いて説明文章を要領よく纏めたほうがよいと感じたが、その通りのムック本となり上梓され、やはりこの余の感想多くもたれた方多かったことかと推測。で、このムック本だが依然として読みづらき事実。著者の文章がちょっとしたことなのだが例えば丸の内線と日比谷線の霞ヶ関駅についての記載で見れば「この地図では地下鉄が交差している。だがその地図では地下鉄は遠く離れている」といふ一文あり、これを普通に読めば「この地図A」について語り「その地図」といった場合、地図Aを指していると読むのが当然だが、文意の通り、地下鉄が交差する地図と遠く離れた地図があり、つまり違う地図を指している。落語なら高座で噺家が「これ」「それ」と指せば判るが文章ではそう理解できず。つまり本来なら「左頁の上にある地図では地下鉄が交差している。だがもう一枚の地図(同頁下)では地下鉄は遠く離れている」とでも書くべき。或は「この地図では……もう一枚の地図では」でよし。こういった非常に基本的な記述にわかりづらい点散見される。それを除けば、この帝都東京の地下といふ舞台はかなり興味深いのだが、例えばその霞ヶ関駅の路線図の謎であるとか(地元住人・月本さんにも聞いてみたいが)後楽園駅の南北線駅になぜ巨大な円柱があるのか、赤坂見附駅コンコースの柱の多さなど、目に見える事象が実際に写真で見せられ不思議ではある、が、では何故それがあるのか、については一歩核心に踏み込めず、何かあった、で終わってしまっているのがまことに残念。
▼昨日のこと。銅鑼灣の手打ち蕎麦屋和三郎に食し窓より眺むればLockhart通りに行列あり。どうやら行列の先頭は楽器商Tom Leeにて何か音楽会の切符売り出しと察するが行列は比較的年配の客多し。今日の新聞見て、それが十一年ぶりに復活公演の香港の「歌神」と称される香港ポップスの大御所・許冠傑(サミエル・ホイ)君と知る。ご存知の通り日本でも七十年代に『Mr.Boo!ギャンブル大将』など一連の娯楽映画ヒットせしホイ三兄弟の次男。このサム氏ももう五十代後半。十一年前の引退興行は余も参観。単なるポップスに非ず、その韻を踏んだ歌詞など広東語で格別の楽曲多し。だが一旦引退して復活といふ姿勢を余は好まず。芸人は芸道に精進すべき。芸の盛りの折に自らの意思でいったん芸を絶てばそれまでといふ姿勢であるべき。山口百恵、キャンディーズの如し。都はるみを見ればあれだけの芸人も復活後の生彩欠く事実。芸人なるもの人の尋常の平凡なる世より異界に脚踏み入れ常人には見えぬ域に達するが芸道。芝居の役者死ぬまで足腰立たぬ身でも先代の松緑の如く舞台に立つ心意気。それを脂乗り切った四十代にて脚を洗ふ、優雅に若隠居、それで亦た芸道に入るはなかろうに。
▼香港の民間ラジオ商業台にて十五年にわたりフリートーク番組「風波裡的茶杯」にて政治論評続け好評の鄭経翰氏が「政治的圧力」を理由に引退。事実上の更迭か。引退にあたり鄭氏「友人のなかにも変節した者あり」と発言。これは暗に政務司長・曾蔭権君指すものと「政界の青蛙」李鵬飛君が指摘。鄭氏日本でいへば久米宏君が政治評論しているようなもの。董建華率いる政府批判も多くそれゆへに愚政に呆れた市民にすれば溜飲下がり好評博すが鄭氏の言動に対して間接的な威圧どころか数年前には放送局駐車場で暴漢に襲われ重傷の過去もあり。鄭経翰であれ久米宏であれあの程度の言動も許容できぬ今日の政治的環境。優しいファッショ社会以外の何ものでもなし。