富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-02-13

二月十三日(木)曇。新聞テレビ欄のワイドショー「新之助」「隠し子」の文字竝ぶ。女兒とあり14代 目への期待時期尚早に終る。昨晩の競馬場寒風吹き荒び朝咳続いたら十日前と同じくゼイゼイと軽い喘息のような症状となり再び養和ダリ病院訪れY医師の診断 乞ふ。吸入処置のうえ携帯用の吸入薬渡される。黄昏に何処にもよらず帰宅、養生のつもりが早く帰宅したら帰宅したで面白いこと多く養生にならず。
▼中 国国旗(五星紅旗)貼ったマスクする若者の写真、新聞にあり。中国での言論の不自由に抗議する姿勢か、と 思ったら、何のことはない、広州で開催の中国vsブラジルのサッカー戦で、広州は件の謎の肺炎はやりマスクする者多くマスクしての観戦のため五星紅旗貼っ ていた(笑)、それだけのこと。この肺炎、昨日の『信報』社説、今回の広東省に流行る謎の肺炎と香港のそ れへの対応を、かつては米国がクシャミすれば香港が風邪ひいたものが今では「中国が風邪ひけば香港が発熱する」と。言い得て妙。
▼築地H君が昨日教えてくれた成田屋の筆法、拝見。けして賞められぬ癖こそあるが確かにキョービこれなら じゅぶんな筆捌き。新之助君の隠し子は驚かぬが寧ろこの能筆に驚かされる。

この度わたくし倅       
新之助儀世間様を
お騒がせいたした事赤
面のいたりでございます
又関係各位ご贔屓
いづれも様に多大な
ご迷惑をお懸けいたし
ました事深くお詫
びいたします
当人もこの度の事を
真摯に受け止め、身
律すると存じます
今はただお子さんの健
やかな成長と多幸を
祈るばかりでござい
ます
   團十郎
と、この本来なら孫と愛でる女兒を「お子さんの」といふ祖父の心境思へば哀切なり。今月は木挽町歌舞伎座に て千本桜の通し狂言成田屋勤めしは鮨屋の権太、さぞやいい舞台であらう。で、この「母」にあたる元歌手といふ女性、そのファンサイトだかの掲示板に本人 の名前にて「ファンの皆様このたびは大変お騒がせしました。また改めてお話する機会を設けた いと考えていますので、温かく見守ってやってくださいね」とあるが、これも本人かどうかすら わからず……邪推どうでもよいが罵詈としか言えぬ書込みもあり。この元歌手のファンサイトなど今日だけで8955をヒット、でこれまでの合計が10899 だってんだから全然見られていなかったのが途端に世間の注目の的に……。新之助君の祖父十一代目の当時は梨園の御曹司にて人気絶頂の海老様が女中ふぜいを 孕ませといふ「醜聞」とて今のやうにテレビだのマスコミの餌食にならず、確認しておらぬが芸能花柳界に詳しい『都新聞』とてそれを今日明日のニュースとし ては伝えてはおらぬはず、キョービは時代が狂っているのである。何様のつもりか「歌舞伎界では97年の市川染五郎(30)に 続く隠し子発覚で、梨園の“常識”が問われそうだ」などとご高言宣う日 刊スポーツもさういった成田屋の歴史を語る。「実は、団十郎自身も似たような経験を 持つ。団十郎の母は、団十郎の父11代目市川団十郎(当時海老蔵)が病気で入院中に、付き添って看病した ことから出会った。退院後、そのまま市川家に入り内縁の関係が続いた。その後、団十郎が生まれたが、父はしばらく“独身”を通し、小学校入学時に、初めて 世間に妻子のあることを公表した。その後、正式に結婚したので、団十郎自身は“隠し子”にはならなかった。11代目夫人、つまり新之助の祖母のこの生き様 は、小説「きのね」(著宮尾登美子)のモデルとなり話題になった」と。入院中の付添?、確か病気療養していた頃の女中であったと記憶するが……不確か。それにしても「父はしばらく “独身”を通し、小学校入学時に、初めて世間に妻子のあることを公表した」って一文、読んでいると父が小学校入学時に妻子あることを公表=歌舞伎役者はそ こまで早熟か、と読んでしまったよ、全く。それにしても新之助君さすがそのへんの青二才の芸人とは異なり立派なもの。「おなかに子供がいて(彼女が)生みたいというので、どうぞと言いました。私は結婚を考えていませんが、それでもいいですかというと、い いですと言われました」と。この「どうぞ」って今どきの若者の口から出ぬせりふ。それも「お隣りに腰掛けてよろしゅうございますか?」ではないのだ。「こ の子、あなたの子よ、産んでもいい?」に対して「どうぞ」だ。黒澤明の『七人の侍』で扉のかげに隠れた相手から不意打ち武才を確かめようとされた五郎兵衛 の戸の手前で立ち止まっての「ハハハ、ご冗談を」、あれに近い見事な台詞。さすが成田屋、格が違ふ。「わたしは結婚を考えていませんが、それでもいいです かというと、いいですと言われました」ってのもいいねぇ。恐れ多くも××××におわせられても元ヅカ女優の×××××相手にかうは仰せになられなかったは ず。閑話休題結婚に至らなかった理由は新之助君曰く「僕の中で考えることができなかった。もともと結婚は 考えていなかった」という真な正直さ。この女性との今後の結婚も「ないですね」と断言、お見事。記者会見にて「成田屋〜!」と大向うから声かかってもよ し。団十郎の「大変だが、頑張りなさい。自分がきちんとやればいいことだ」といふ言葉も立派。まことに立派な親子。それに対して下世話なマスコミ、米倉涼 子嬢に新之助君との関係など質すが「友だちなだけです」と。それでじゅうぶん、『武蔵』一見したところ残念ながら女優としての芝居の資質乏しく友だち 「な」関係で充分、それ以上は贔屓は期待せず。この「名詞+だ」を形容動詞的に「名詞+な」として用いる表現、文法的には間違っているが「安全だ」とか 「微妙だ」とかものの状態、様態が形容動詞だと想えば「友だちという関係「な」だけ」というニュアンス伝えるには便利。「友だちです」ぢゃなく友だち 「な」だけ、ってちょっと意味深となる。梨園、さすが役者揃い、染五郎の隠し子騒動といい人間国宝にて現役大臣の夫たる成駒屋鴈治郎)の50歳年下の舞妓相手に京都で密会し窓開けたまま“ご開チン”しイチモツ見せただの、不景気な世の中、 しょせん芸人なのであるからどしどしかぶいてもらいたいもの。常識だの倫理など音曲歌舞芸能の世界に持ち込むべからず。それにしても二十代も半ば過ぎた青 年の親が世間に対して謝らねばならぬのか。それも犯罪であるとかぢゃなく、役者がレコとのこと、謝る筋合いもなし。かつて香港で世界的企業の香港支社長、 その娘十代にて麻薬に染まり遊ぶばかりか売買のシンジケートにまで加わりタイだかで逮捕されたが逃亡、十代の若さで国際刑事機構の指名手配になる、といふ 凄まじき娘だったが、その父親、個人として娘に対して親の責任こそあれ社会的、道義的には娘自身の犯罪であり、それが即、親の職業上の立場とは結びつか ず、というのが大人世界の一致した判断にてそのまま職に留まり、さすがに個人としての娘のことでの精神的疲労甚だしくしばらくして職を辞したもののあくま で個人的理由。それが自律を前提とする大人社会のはず。
成駒屋といへば「扇雀」も歌舞伎に詳しくない方には父・雁治郎の二男の次男といわれてようやく「へぇ」と いふ程度だが28歳の美女との密会、それも父と同じホテル、と笑わせてくれた。この「クリスマス連泊愛」は今月号の『噂の真相』にて扇雀の「芸を継ぐ前に プライベートを継いでしまった」なる発言、これが新之助であるとかヨシモトの芸人なら上手いコト言うと笑われるだろうが「当人も自覚している通り芸で騒が れたこともないのに、こんなことで話題になって、とは幕内の声」と苦言。「父親が扇雀を名乗っていた頃は、ブームと言われるほどの人気で扇雀あめが出来た のは有名な話」で「女に精を出すヒマがあったら稽古しろ、というカゲ口もたたかれた」と。御意。だが「女で騒がれるのも芸のうちと考えれば、まだ扇雀のほ うがマシ」と「もっと影が薄い」兄、翫雀こと確かに不憫。だいたい「翫雀ってどう読むの?」がフツーであろう。鴈治郎がまだ若く扇雀を名乗っていたおりは 余の祖母なども「玉三郎とかきれいかもしれないけど歌舞伎の女形の艶やかさってのは扇雀だねぇ」と愛でていたことを彷彿。
▼『噂の真相』といへば断筆宣言撤回して再び始まった筒井康隆の連載「だはははは……」ばかりで芝居の話な どいつもつまらぬのだが、今月号で最近ギャグがいくらでも浮ぶが書きにくいことばかりで(……とこれだけで可笑しそうだ、だいたい何のネタか想像できて読 んでみたい)かつて自分の書いたことが原因で殺されたら本望だ、と言った筒井先生であるから自分は断罪されてもいいが家族の「頼むから、つまらぬものや変 なことを書かないで」という「内部からの圧力」に苦労する、と。つまりこれほどの決意した作家といふのは天涯孤独であるしかない、といふことか。同じ号の 中森明夫安原顯追悼の文あり読んで涙腺緩む。かつて「若くて痩せていて美少年だった」中森氏ヤスケンに気に入られ銀座で腕に抱きつかれ歩いたことを懐 古、男に絡まれたのは初対面だった中上健次先生にタクシーで手をにぎられ「おい、文学界新人賞、獲るか?」と耳元で囁かれて以来のこと、とあり、それを読 み或るマニラのポン引き君が「マニラを「取材」で訪れた中上先生をゲイディスコとかによく案内した」と余に語り「有名人の名前出して、嘘だろ」と交わした ら「ほんよだよ」と当時すでに他界していた中上先生との写真見せられ驚いたことを想いだす。同号の田中康夫チャンのペログロ日記にも「日本橋千疋屋にて苺 買い求め上野桜木の安原宅訪問しヤスケンに「康夫、物書きとしちゃ、ゴミだったけど、県知事のお前は偉大なストーリーテラーだ。脱ダム、不信任、出戻り、 良くやってるぞ」と最大の賞め言葉を頂戴」と記述あり。が、ヤスケンが癌告白したことで一躍有名になったオンライン書店bk1ヤスケン日記読むとすでに癌の末期症状で日々の日記記載すらま まならず1月5日に一日だけ書かれた、結果的に最後の日記となった項に「28日だったかな?思いがけず、田中康夫から電話がありまして「これから15分く らいお見舞いに行ってもいいか」というので、いいよと言いまして、安斎肇が描いたヤッシーイラスト入りの名刺ほかいろんなものを持ってきてくれました。手 にちょっとアトピーが出ていて、ストレスからくるものなんだろう、大変だなと思いましたが、元気そうで頼もしく思いましたね。これからも大いにやってもら いたいと思いますね」とある。だがペログリ日記によるとこれは12月31日。このことについては『週刊ダイヤモンド』の「続・憂国呆談」でも康夫 チャンは語っている(1月号)が、 そこで「社員だった彼(ヤスケン)が大江健三郎の批判を書いても、当時の中央公論社は編集者として護っ た。文藝春秋や新潮社、朝日新聞だったら、どうだったかな。批判こそは言論なのに、閉塞的な空気が漂う今の日本は困ったもんだ」と。へぇ中央公論ってそん なに立派「だった」のか、と感心したが、これには注釈がついてしまい「いやぁ、中央公論社だけが例外だった訳ではなく、当時も大江健三郎氏からの抗議に結 果として中公側が屈して、今後は二度と大江批判を行わないと、安原さんが「約束」する形で収まったらしい。多くのWEB版読者の皆さんからお問い合わせを 頂戴しました。まあ、妙な形で、浅田・田中対談の読者が少なからず世の中には生息していると確認しちゃいました(笑)」 と康夫チャンのコメント。やっぱり大江の前には土下座なのだ、このノーベル賞作家、どこが民主主義なのか……なんて言うと「だから大江の天敵、石原のほう がマシ」となってしまふか(笑)。
▼ペ ログリ日記といへば12月29日に康夫チャン、銀座の寿司幸本店にてW嬢と寿司。下記の如し。
他の客は全員、香港から来日のスーパー金持ち族。すかさず、長野県の温泉とスキー場をアピール。ヘリコプ ターで行ける場所はないか、と楽基集団なる不動産企業体の若き総帥が宣うので、スキー再興戦略会議のメンバーの盛田英粮氏が営む新井リゾート改めArai Mountain & Spaも推奨する。支払いはアメックスのブラックカード。日本では未発行か、と尋ねるので、既にカードが過日送られてきたが年会費16万円に見合うだけの T&Eサーヴィスが提供されるかどうかいささか疑問で使用せず、と答える。
この香港からの団体、この富柏村日剩お読みの方なら察するは当然、蔡瀾氏主宰するツアーか。金持ちツアーで も普通なら寿司幸は選ぶまひ、いかにも映画関係者とか好きな店だしね、蔡瀾氏なら懇意のはず。
▼その『噂の真相』で唯一、相手を好意的に取上げる(笑)メ ディア異人列伝に小熊英二先生登場。インタビューしてるのが永江朗だから、いい組合せ。小熊先生、相変わらずちょっとマイケルジャクソン的だが現役でキキ オン(Quikion)なるバンド活動しててステージにも立つそうな。やっぱり変態だ、いい意味で。ヨシモト隆明についても小熊の吉本批判の何が白眉かと いえば「吉本が好きでもないのに著作集を全部読む奴はめったいにいない」と本人の弁。「誰かがやらなきゃいけないと思うからやったわけ」で「それが仕事」 と。この割り切った姿勢があの神話崩しの背景か。ご立派。つぎは「新しい歴史教科書をつくる会」がテーマだそうで、乞うご期待だ。