富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十四日(火)晴。Z嬢と晩にQuaryy Bayは太古坊傍の仏蘭西料理屋Parisienにて晩餐。立飲East Endの隣にて改装工事の頃よりこの料理屋を識るが、例えば海外で「海舟」といふ名の日本料理屋なら「お、これは」と食指動くが「江戸っ子」なる名なら何 故か「避けたい」ように仏蘭西料理屋のParisienは何処か嘘っぽく訪れることもないまま数ヶ月過ぎしものの唯霊氏も期待もせずに訪れたら予想外に秀 逸と讃め幾つかのグルメ記事も讃めるに至り漸く重い腰上げて訪れる。……と実はここまで書いてこれから晩餐。約束の時間に際どくタクシー拾へば停車する場 所、反対方向から来た車ふだんなら一度切り返しせねば廻れぬところ一度で見事に廻り切った運転手これまでの誰よりも運転お見事にて高速で且つ安定した走り 見せZ嬢に電話すればちょうど道すがらZ嬢拾おうと運転手に告げる間髪も入れず運転手Z嬢暗闇に見分けて清流の如く車滑らせZ嬢の側らに停車、絶妙。で、 Parisien、やはり第一印象であるとか店の名の響きなるものは意外と大切と痛感。食前酒のドライマティーニのさすがにシェイクはしてないだろうが掻 混ぜすぎの薄味に一瞬「えっ……」と思ったが初めて飲んだCh. L'Aigle Royal '99なかなか、一瞬気分よし。Z嬢曰く「景気さけよければ此処でなく向かいの太古坊のオフィスビルに居構える大企業にて働いていたであろう」と、確かに その通り、真摯に接客にあたるがけして自然に仏蘭西料理屋の給仕になったのではなき何処かギコチナサの残る給仕ら、香港では及第の接客に当る、が、結論か らいへば値段でいへば4割増しだがペニンスラホテルのガディスに参れば「夢に出てきそうなほど」エスカルゴも堪能できるしフォアグラも鴨のテリーヌも「も う一年は食べなくていい」といふくらい満喫するが(量ではなく味で)、蝸牛は少しでも生を冷凍させた程度 の素材ならいいが「完燥」した薫製の如き蝸牛にあそこまでこってりとバター搭せて味付けしては台無しであるし値段はガディス並みのフォアグラも新鮮ではあ るが猫の額の如し。おソースはそこそこ研鑽のあとあるが主菜とした鴨の胸肉のソテも肉がZ嬢曰く「これって痩肉?」といふほど沙婆沙婆としておソースが搦 まず。隣の卓で頼んだデザート見ても食指動かず残念ながら主菜終わって即、埋単。コルトレーンの流れる店の雰囲気も懸命な給仕も悪くなく「雑誌見てきちゃ いました」系のワイン頼んだけど飲むよか円広志(古いなぁ)的にグラス廻して廻して廻して味が飛んで飛ん で飛んで、みたいな客たちもご愛嬌。ただし小料理屋系の仏蘭西料理ならやはり粗呆区のLe Tire Bouchonの「コッテリとしてるけど料理それぞれの味付けの差異化と再構築」に比べると素材の吟味乏しく味付けも単調であるし評価できず。期待したぶ ん残念。かういふ晩は不幸なもので先ほどの芸術の如きタクシー運転手に比べ無愛想なばかりか故意に遠回りを意図し(乗車して最初の角で指摘できずの自分が 悔しいが)普段HK$17で来る道程をHK$10多く遠回り。いくら不況にて客少なき稼業とはいへ心貧しきこと寂し。その殊勲賞めて¢単位まできっちりと 払って下車。帰宅しても食べ足りず伊麺を茹で(粉末のスープもあったが捨てて)乾貝柱で即席で出汁とってXO醤、醤油と塩に日本酒で味付けしスープでで伊 湯麺食す。干菓子と珈琲。さういへばParisienで食事中にコルトレーンで"My Favorite Things"流れ「食事中だといふのに」Bjorkが"Dancer in the Dark"の中で歌った(かどうか不明朗、ただ歌ってたようなふうに耳に残る)のを彷彿してしまふ。あの映画はいったい何だったのだろう、とZ嬢と語る。 あれだけ話題になって今は誰の口からも語られぬ映画、そういふ意味では「ベルリン天使の詩」(1987年、仏独、ヴィ ム・ヴェンダース監督)もいったい何だったのだろうか、とZ嬢。あの当時、渋谷のユーロスペースだったかシネマスクエア東急だっかた渋谷 シャンテだったか、とにかく「ベルリン」は「見なければならなかった」し、本当は意味がさっぱりわからなかったけど「けっこういいよね、あれ」と。あえて 青山六本木は外して当時はマイナーだった恵比寿で葡萄酒飲みながら、とか。懐かしきバブルの時代。
▼昨晩の貴乃花雅山戦、どうみても貴乃花死ニ体ながら同体で取直し貴乃花辛勝。あれが取直しになることぢた い不明朗なら横綱のあんな辛勝にもやんやの喝采の観客。柏戸大鵬ならあんな相撲は有り得ず北の湖があの相撲だったら即刻「引退」の二文字浮上したはず。辛 勝にやんやの喝采といへば先代貴乃花だが先代あの体躯で大関を勤めることの辛辣さ背景での苦闘であって、いくら息子とはいへ天性の資質に恵まれた横綱で 「あれ」はなし。負けた雅山も鬱憤どころか横綱の相撲讃め、まさに貴乃花の弱さ「平成」の時代の象徴と言わざるを得ず。……と今日になったら案の定、横綱 二場所連続17場所目の休場決定。通常なら当然すでに引退している筈がこうして横綱であり続けることは資質はあろうはずが現実にそれが体言されぬ15年に 及ぼうとする日本の不景気そのもの。
▼昨年米国でのカソリック聖職者による一連の少年愛と性的加虐明白地となり、それが起因し香港にて一旦は風 化せむ十数年前の神父による15歳の少年へのそれが再び取上げられ法廷にて審議続く。それを報じる新聞に洗礼受けた少年がローマ法王より祝福の接吻受ける 写真あり。愛とは際どく祝福と暴力の表裏一体のものにて教会なる装置でのそれはまさにフーコー言及せし世界。