富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十日(金)曇。二週間ぶりにジム、C君と遭い湾仔の卯佐木にて一飲。銅鑼湾こそ人出賑わふだろう が湾仔など二更ともなれば閑かさは驚くほど。実用書なるもの殆ど読まぬがT氏がランニングクラブに寄贈せし佐々木功『ゆっくり走れば早くなる』といふアマ チュアランナーには必読書の如きLSD(Long Slow Distance)について書かれた本を読む。実用書、実用だから当然ながら読み易く驚く。なぜ非実用書はああも文章が読みづら いのかあらためて疑問に思ふ。
董建華による施政方針演説、その空虚なる内容と安易な増税策など非難高まる。とくに昨日ラジオにて市井の 声聞けば「政府の急ぐことばかりに熱心にて民衆の急ぐことへの対応がない」だの珠江デルタ地域との経済的連携の強化も「今や珠江デルタは香港の金卵ではな く香港経済脅かす驚異となっている現実を理解しておらず」だの厳しくも冷静な分析が聞こえるなか年収5,500万円の財務長官景気回復の見通しについて 「2005年にディズニーランド開園すれば海外からの旅行者増加にて……」などと呆れるほど無策。新聞に掲載された笑い話は、董夫人、旦那に「不景気な時 代だから景気づけにアナタが飛行機の窓からHK$1000札を一枚撒いて誰かが拾うというのは如何?」と語り、それに財務長官が「いえ、どうせならHK $500札2枚にすれば二人の市民が喜ぶ」と。いざ飛行機に乗っても「いやHK$100にして10人」「HK$10紙幣で100人」と議論続くなか操縦士 振返って曰く「Mr.董建華を窓から放り出せば香港市民みんなが喜びますよ」と。
▼23条についてナイスな音楽サイトあり(こちら)
▼築地のH君、司馬“国民作家”遼太郎先生の「坂の上の雲NHKでついにドラマ化と。先生自らが「現代の 日本では軍国主義賛美と誤解されるおそれがある」と封印を決して映像化を許さなかった作品、司馬先生が御座した「現代」から早10年経ち今や最もその危険 高まったというときにあえて映像化するNHK。そして夫の遺命に背きテレビ化を許可した著作権継承者・福田みどりの罪は大、とH君。未亡人著者の意志超え て作品私物化がはたして許されるものか。三島夫人は「恥ずかしさ」もあってだろうが福田と対照的。過去にも石坂浩二伊藤博文が印象的な「明治の群像」で あるとか吉村昭原作の『ポーツマスの旗』明石元二郎演じた原田芳雄の好演懐かしければこれも小村寿太郎役は確か石坂浩二、などあり偉大なる強き明治日本の 懐古は今に始ったことでないし「大日本帝国」など映画もあるが少なくても当時は日本が経済的に実際に強国である認識をもちつつあった勢いのある時代、寧ろ 「明治の群像」に出てくる元勲や明石元二郎は理想的な自立した逞しき個人として御座したか。それが今ならこのご時世「昔の日本人は偉かった」→「いまの時 代こそ、明治の先達の偉大な勇気に学べ!」→「北朝鮮軟弱外交は日本の恥!」→「戦争に訴えてでも解決するのが真の勇気!」とされなくもなし。H君曰くこ の「坂の上の」がドラマ化されるとして一番メッセージを受け取るべきは「なぜ作者はこんな元気の出る作品をテレビ化させなかったのか」ということか、と。 御意。まぁそこまで見てとれる者も少なかろうが。かりに産経新聞がコラム書けば司馬が封印した時代を振返り「しかし司馬氏自身がそのようにいわざるをえな いほど、当時の日本は左傾し異常な状況にあったということであろう。冷戦下の特異な国際環境下であったとはいえ、今昔の感がある。今日の健全なナショナリ ズムの発展にあたっては、本紙もいささかなりとも寄与するところがあったと自負している」か、とH君。テレビドラマ見て感動した声は「正々堂々と生き る……僕はこの気概を日本人が取り戻すことに期待する」(東京都知事・作家 石原慎太郎)って感じか。