富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月九日(木)晴。先日ふと気まぐれにて中国のマルチビザ申請、HK$600(約1万円)で半年、一 度の中国査証がHK$250、深セン特区査証がHK$100だがとてもモトはとれまひと思いつつ興味心だけのものが7日に受領可とあり本日旅券受け取ると 申請日は03.01.03で06.01.03まで有効と。何を血迷ったか中国政府、旅券受取り日前日に執行の僅か三日有効の査証とはこれ如何にと憤るがよ くよく見れば2006年1月3日つまり三年有効なり。朱鎔基首相香港特区永久居民の中国入境に査証必要の不合理さ言及していたがまさか三年とは緩和著しく 間違いでは?と当局に問いあわせるかと馳せるがもし黙っていれば三年のままかも知れずと苦慮の末に事情通の通訳S君に問えば今年1月からか永久居民に対し ては査証三年に延長と吉報。毎月一度中国に越境すれば一回HK$17の計算となりタダ同然。最近、午後になると胸焼けといふか偏頭痛といふか珈琲で誤魔化 そうとすれば更に不快感まして悶々と黄昏迎え帰宅してウォッカだのジンだの蒸留酒大ぶりの盃に一杯キューッとやると直ぐさま治まるのは単なるアル中か。と りわけ寒さ厳しく血行悪く手足凍え痛むほどなればそのキューッと一杯にて途端に血行回復し指先温まりこれがこのままひどくなると野坂昭如的症状になるのか と怯む。岩波『世界』二月号読む。かつてベトナム戦争、冷戦、核、知の境界……などと特集に文字が踊ったものが本号は「現代貧乏物語」。敗戦直後の貧しい 時代でも貧困の特集はなし。来世紀初頭に解雇、高卒就職難、貧困、生活保護といつた貧困が特集になろうとは誰が予期しようか。
▼『世界』に「ほんとうの伝統とは何か」と題した「作家・辻井喬」の文章あり。社会のあり方に逆らってなぜ 教育だけが官僚統制によってなされるのか、差し迫った現実的問題が山積みしているのになぜ教育基本法の改正なのか、という疑問を提示し、<伝統>といふも のに対してその重要性を説く者の抱く<伝統>がけして古来の美しい伝統とは別のものであり、また逆に否定するものはいい伝統まで頑なに否定してしまってい る、と。この要旨以外は「ええ格好し」の辻井先生らしさ(なぜ財界人堤清二としてこの主張ができぬのか自ら問へぬことがこの人の限界)も見られるが「政治 家たちに言いたい。あなた方は偉いのだから、愛国心を持てるような国をつくってください。そうしたら基本法に書かなくたってみんな愛国心を持ちますよ」 と、これは確かに。……で前述の答えは明白で、本来はここまで辻先生に言及いただきたいのだが、なぜこれだけ統制緩和が進む時代にあって教育だけが官僚統 制なのかと言えば、教育、殊に初等教育こそ国家の根幹であり国家による社会統制が効かぬ時代になるからこそ教育統制が図られるのであり現実的問題が鬱積し ているが解決などできぬから基本法改正などという蛮行に走る、と。で、初等教育の問題が何かといへば国家の意図するそれとその意図とは無縁に教員が子ども と接し子どもの健やかな成長を望む実際の現場との差異。この明らかな意図の違いが教育の根本的な問題。この問題の顕著な例が同じ『世界』に紹介されている 94年福岡県北九州市でおきた憲法9条ポロシャツ事件であろう。これは北九州市教育委員会の主催する研究授業に参加しようとした教員が「せんそうはいやだ ニャー」と背中に印刷され胸に「戦争を永久に放棄する 日本国憲法第九条」と書かれたシャツを着ていて、それを校長が「その服装はふさわしくない」と指摘 し教頭が「その胸のところの憲法の文字はまずい」「それは政治的主張」「政治的アピール」「市民運動」と“指導”。研究会の現場で教委の職員から、その “文言”が問題と指摘され、校長に会場からの退場、発表を実力阻止され、更に北九州教委がこの九条を政治的主張としてこの教諭を文書訓告処分。裁判となり 一審は九条や戦争反対の門限が「特定の政治的意見、政治勢力の主張を象徴する概念と受け取られる」「政治的色彩を帯びた行為」と断定しつつも校長らの行為 を職務権限内とは認めず権限逸脱とし損害賠償命ず。被告(教委)側は判決不服、実力阻止も「有形力の行為は認められるべき」として上訴したが控訴審も一審 判決支持、しかも一審の政治的色彩という部分を「明確政治的主張が記載されていたわけでもなく」と修正。今度は被告側は実力行使を「正当防衛」として(何 の?と嗤ってしまふが国家安寧か、きっと)最高裁に上告受理申し立て、結果的に昨年七月に最高裁は裁判官全員一致で不受理。当然であろう。政治的背景が あったかどうかは別として、苟も憲法の精神が偏った思想、禁忌であるが如くされる現実、むしろこの校長、教頭、教委が公務員の違憲行為か。国家による教育 管理は憲法すら超越してしまっている、ここが恐ろしき現実。
▼築地H君による日本が長嶋茂雄大統領での共和制であった場合の真っ当な保守系内閣の顔ぶれ。(首相)加藤 紘一、(副首相・兼防衛)野中広務、(外務)緒方貞子、(法務)団藤重光、(財務)亀井静香、(官房長官谷垣禎一、(文部科学)梅原猛、(金融担当)寺 島実郎、(総務)小林こうき、と。梅原猛といふ人もよくわからないが教育基本法改正反対。中学の修学 旅行前に数学のO先生に勧められ『隠された十字架』読み氏の柔軟な発想で法隆寺がライブで面白く感じたものの14歳の素直な疑問として「なぜ法隆寺で十字 架なわけ?」と。ヤマトタケルの芝居は受け付けられず。
▼昨日ふと「戦争を知らない 子どもたち」の歌を思いだす。あの歌は、戦争を知らずに生まれた子供たちだから平和な世の中だけで自由に生きていこう、のはず。だが実際に戦争を 知らずに生まれた子供たちの中には戦争の怖さも悲惨さも知らないから子供の遊びのように敵を簡単に想定してしまってまるで戦争ゲームをするみたいにテレビ 映画を見るみたいに簡単に戦争の雰囲気を享受できる人たちが生まれてしまった。だからそういう国防キッズや新しい歴史教科書が好きな人のために一曲。
 1 戦争が終わって僕等は生まれた
   戦争を知らずに僕等は育った
   おとなになって戦いはじめる治安の歌をくちずさみながら
   僕等の名前を覚えてほしい戦争を知らない子供たち
 2 歴史の見直ししてみーたいなら
   日本が強いと感じーたいなら
   今の私に残っているのはアメリカと一緒に戦うことだけさ
   僕等の名前を覚えてほしい戦争を知らない子供たち
 3 戦車が好きでプラモが好きで
   いつでもテーロを憎む人なら
   誰でも一緒に戦ってゆこうよ悪の枢軸はびこる世界を
   僕等の名前を覚えてほしい戦争を知らない子供たち
国防キッズの筆頭の代議士は総選挙初出馬のとき初めての演説が終わると傍らで控えていた母親に「ママ、これ でよかった?」と尋ねたとか、某軍事産業メーカーから戦闘機のプラモをもらって喜んで飾ってあるとか、マジだろうか。かういふ人が日本の軍事に采配を揮う 立場にあると思うとマジに怖い、怖い。
▼検索で偶然に鳥取の或る小学校の校長先生の書かれたものを 読む。いい先生だ。そう、相手の人権を犯してはいけない、だから悪の枢軸などと言ってはいけないパレスチナも占領できない。
▼昨日、香港特区行政長官董建華君の施政方針演説あり。廃話。自らを含め政府高官の給与削減は美徳のようで いてあの程度の能力では当然。董建華、もともと自ら経営する船会社の倒産の危機を北京資本により救済された恩義あり北京に忠実なる下僕にて、その恩義思え ば無給でも公務に尽すべきなれど、無給でも市民はその無策無能ぶりは赦すまい。寧ろ在任中は本人から慰謝料請求するとか。財政赤字分を補填していたら行政 長官に据えておくことも許可、と。それにしてもたかだか人口700万弱の「地方自治体」である香港で一割削減しても董建華が391万円、(これ以下が実際 の公務員系列のため董建華より高い)Donald曽Chief Secretaryが476万、財務長官Antony Leungが460万、司法長官の梁愛詩で444万、その他11名の局長で430万は高すぎ。