八月八日(水)雨。母と福島市内の親戚亡祖母の弟家族を訪ねるが抜打ちにて不在。菊屋の羊羹、太陽堂の麦煎餅を市内にて贖う。飯坂温泉まで走りあかいなる銘酒蔵、温泉にて高校野球楽しむ大叔父と父に浦霞からくち、栄川(エイセンではなくさくえがわ)、香港に持ち帰るニッカシングルモルト仙台12年yo、温泉にて飲もうと同じくニッカ竹鶴12yoを贖う。医王寺参拝、此処は義経千本桜でお馴染佐藤忠信の菩提寺、義経が欧州に逃げ延びし折立ち寄り忠信、その兄継信の功を追悼す。また芭蕉も奥の細道の行脚で立ち寄り「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」おいもたちもさつきにかざれかみのぼりと詠む。松平定信は
轉聴医王山寺昔 医王の山寺が昔を伝え聴けば
源公逃世不平等 源公世の不平等を逃れ
可憐孤鶴離群涙 可憐なる孤鶴群を離れ涙しが
緑竹斑然般若枝 緑竹の般若が枝は斑然とす (富柏村訳)
と詠む。医王寺門前の木鶏なる軍鶏料理屋にて軍鶏南蛮とせいろ。フルーツラインなる左右に果樹園、桃が盛りの道、玉子湯へと戻れば、高校野球開幕戦にて地元の高校が大勝したと大叔父と父が祝杯。吉右衛門自伝にてのちの喜劇役者曽我廼家十郎が父歌六の弟子にて若き吉右衛門の子守役だったと知る、読了。朝訪れし市内の大伯母より電話あり子息Y氏と温泉来訪、夕食を共にす。
羽傷むつばめ立ち寄り硫黄泉 富柏村
東京都にて養護学校の一部にて扶桑社の歴史公民教科書採択される。栃木での採択が否定され兎に角採用の実績を作ることが先決と、それで利用されしが養護学校か。東京都が実績作れば右にならえで愛媛県も同じく養護学校にて採択、石原以上に馬鹿な愛媛県知事曰く「外国には不快感を示す国もあろうが日本は外国の教科書に不快感を示しません」と。マスコミに取り囲まれた自民党の政治家曰く「キミたちも日本人だろう」と。