甲辰年十月十五日。気温12.8/18.0度。雨(8.5mm)のち晴。日暮れて雲が晴れて十五夜の月を愛でる。
本日、国立能楽堂にて野村萬師の狂言〈箕被〉と大槻文蔵師の復曲能〈実方〉の公演あり。「万難を排して」といひたいところだつたが本日は水府でどうしても外せぬ低レベルの案件が2つあり千駄ヶ谷に参れず。畏友村上湛君が平成19年の復曲にあたり演出補綴/監修をされた〈実方〉拝見できずまことに残念。見巧者たちのまことに感嘆の報を拝見。殊に若いときは美貌と才覚溢れた実方が水鏡に自らを映し老いを悟る場面は面がもはや文蔵師シテ方そのものの体現となり見事だつたさう。
木村草太『増補版 自衛隊と憲法 危機の時代の憲法論議のために』(晶文社)読む。草太先生といふとリベラルで護憲派で、それだとこの著作は改憲批判か、といふとさにあらず。憲法学者として冷静に改憲について考へる。晋三による安保法制(2015年)も憲政史上に残る暴挙であつたが自公絶対多数の暴政のなかでも参議院で比較的小規模な三党(日本を元気にする会、新党改革、次世代の党)提出の修正案に対して政府与党は法文修正までは譲歩しなかつたものゝ自公単独ではなく少しでも野党の協力得るためとして三党案に基づく附帯決議と閣議決定を合意したのださう。
これによつて「自衛隊の活動中に国会に対して報告・説明をすること」「国会が活動停止を決議した場合には即時停止すること」「活動後には国会の特別委員会で事後的な検証をすること」など国会の関与強める項目が盛り込まれ、また後方支援についても弾薬の提供の条件を制限し自衛隊の活動も非武装地域に限るとして、存立危機事態*1条項では集団的自衛権を行使する場合には「例外なく」国会の事前承認が必要とするもの。附帯決議なので拘束力には限界があり立法化が望まれるところだが、いずれにせよ一強の晋三政権はこの国民にも不人気だつた安保法制の実現のためじつはこんな足枷をはめてしまつてゐたといふこと。そして草太先生は「自衛隊明記改憲の難しさ」についてかう述べてゐる(こゝが本書の白眉かもしれない)。晋三にとつては「改憲ありき」だつたのに結果論だが集団的自衛権含む安保法制の改正急いだため改憲をむしろ難しくしてしまつた。そもそも憲法に「自衛隊を設置してもよい」と書くだけでは「自衛隊を明記」に当たらず。なぜならこれでは「自衛隊が何をやる組織なのか」が全くわからぬゆゑ。国民のなかには自衛隊の災害復興支援に重きをおく者もゐれば自衛権の行使でも個別に限定なのか集団的を容認なのか、外国の軍隊と同じ組織と見做すのか……かうした百家争鳴では収拾つかず自衛隊違憲論に終止符は打てず。何よりも自衛権について
① 日本が武力攻撃を受けた場合に防衛のための武力の行使を認めるかどうか
② 日本と密接な関係にある他の国が武力攻撃を受けた場合に一定の条件の下で武力行使を認めるかどうか
の2点について国民の判断を問ふべき。護憲派、個別自衛権に制限派、集団的自衛権派で意見が分かれ、もし②が否決された場合は2015年の安保法制の修正も必要になるところ。つまり自衛隊明記改憲に挑むと、かなり論議から混乱は明白。さてそこでどう改憲を実現するか。結局のところ実はまともな戦略すらシミュレーションできないのが現実なのでせう。草太先生が憲法学者として若くして名人芸の域なのは護憲か改憲か、ではなく憲法といふもの、憲法改正といふ発議について現実的にどうなのよ?といふ点をゲーム理論のやうに分析してみせる器量なのでせう。