甲辰年七月初八。25.4/36.6度。晴。水府で今夏9度目の猛暑日。水戸市にも公共施設など各地にクーリングシェルター*1あり或る施設に立ち寄るとロビーの大型テレビで巴里五輪の女子マラソンが中継されてゐた。巴里市役所前広場をスタートしてセーヌ川に沿ひ巴里の代表的な建造物などを眺めながら丘陵を越えてのヴェルサイユ宮殿までの往復とは。
Les parcours officiels du Marathon Pour Tous 2024
紐育シティマラソンも景色の変化に富んだ本当に楽しめるルートではあつたがやはり巴里は圧巻。それも結構、道幅の狭い曲がりくねつた道路も通る上に「五輪のマラソン史上最難関」ださう、丘陵の急な上り坂が20km、30kmすぎに二箇所もあり。
台風5号が東北地方に接近中。太平洋から東北を直撃の台風はこれまでの観測史上で2回しかないのださう。夕方、東空に虹が見えた。
陋宅に還ると居間のテーブルの上にアタシの折畳み傘(小宮商店)の傘袋がある。家人が洗濯をしてゐてアタシの台北でも穿いてゐた膝丈のズボンの尻ポケットに入つてゐたのださう。台北でこの袋を落としたと思ひ込んでゐたがポケットに入れたまゝで何度か洗濯しても気づかず。小宮商店に注文して代替品を入手してゐたので袋が二つに。
(昨日の松戸戸定邸について補記)徳川昭武が水戸徳川家の家督を兄(慶篤)の遺児である篤敬に譲つたのが明治16年。昭武は齢三十にして隠居。それに合はせ松戸に別邸を設へたことになる。倅の武定が明治25年に子爵となり松戸徳川家の創設。武貞は昭和26年に戸定邸を松戸市に物納して、その離れに居住したのださう。この戸定の公園内にある松戸市の歴史資料館で眺めて感嘆は明治になつてからの華族たる徳川家のまぁ皆さま筆豆で絵葉書一枚から凝るに凝ること。当時は外遊や留学で英語やフランス語でのやりとりも盛ん。勿論、そこには昭武が幕末に慶喜の命で13歳で渡欧、フランスに5年も留学といふ実績あつてのことなのだが。