甲辰年七月初九。気温摂氏27.0/36.5度。猛暑日は今年10度目。晴。家人と自家用車で千葉の佐倉へ。一昨日は鉄道でこゝを通つてゐる。家人の父は猛暑で外に出る選択もなくテレビで高校野球と東北に上陸の台風5号の状況を見てゐる。福島の伊達出身なのだが終戦後、これでもかといふほど大型の台風に襲はれたと当時を思ひ出してゐた。阿武隈川の氾濫なども治水が進んでゐなかつたから被害甚大なのだつたらう。午後遅く佐倉からの復路はいつものやうに東関道を鹿嶋へ。そこから北浦を西に眺めながらのドライブ。旧大洋村札にある大黒屋といふ和菓子屋に寄る。創業慶應3年なんださう。みうらじゅん的には “Since 1867” である。まもなく創業150年とは。今でこそ「なぜこんなところで?」だがかつて北浦が水運で栄てゐた当時は日持ち、腹持ちの良い饅頭や団子など盛んに売れたのでせう。国道50号に出て旧旭村のウエダベースキャンプで食材調達。
店の女将にとつて入力内容が複雑になつたレジ操作で手順を上手にこなす東南アジア系のスタッフのやりとりが微笑ましい。
岸田政権は「核抑止」への依存を強めている。「核の傘」を含む米国の戦力で日本の安全を守る「拡大抑止」について、日米首脳会談で重要性を確認し、初の閣僚級会合を開いた。日本が米国の「核の傘」の下にあるのは事実だが、現状の追認にとどまらず、国際社会に核廃絶への明確なメッセージを発していく。その決意と実行が、唯一の戦争被爆国のトップに求められている。試金石になるのは、核兵器禁止条約への対応である。