甲辰年三月十九日。気温摂氏16.8/23.0度。曇。あまり何も考へず今日これ、『デ=キリコ展』東京都美術館に行かうか、と思つて午前10時の予約を済ませてゐた。今朝の新聞(朝日)を見たら本日が開幕なのださう。
大型連休初日。とんでもない人出か、と思つたが事前予約がかなり定着してゐて会場内はかなり余裕あり。デ=キリコの「形而上絵画」は何となくわかつたつもりでゐたが本日の展覧ではそれよりもむしろ「形而上会絵画以前」が面白かつた。展覧の順でいへば「山上への行列」(1910)から一連の「イタリア廣場」のうち「沈黙の像」や「大きな塔」など。デ=キリコが印象派やアルケオロジー的な古典への回帰など、時系列を超越して往来するのが何とも面白い。そして20世紀初頭のパリでの芭蕾舞リュスなど圧巻の舞台芸術。
かなり久々に不忍池辺りで弁天さまをお参り。昭和以降初めてかしら。湖畔でカンボジア正月の催事。お坊さんのテントがあつて寄進募つてゐたので募金したらお坊さん三人が念仏を唱へてくれ頭を下げると灌頂を施された。仲通りで早めのお昼。中学生のときに馬生師匠と相席して以来の蕎麦屋は老舗。先代の親方と女将さんが出来た蕎麦を運び会計まで忙しい。客も高齢の夫婦が注文を二度してしまつたりで何だか見てゐておちつかない。ついほんの昔ならご亭主が倅に家督を譲れば隠居で女将さんとたまの芝居見物を楽しみにしたりとのんびり暮らしてゐたもの。せい/\ご亭主が帳場で来店の客に「いらっしゃいまし」でお会計で「まいどありぃ」と店内を見渡しながらの采配。帳場から亭主が見てゐれば店に牛久からお運びに入つた娘が少しずつ店に慣れると機転もきくし客あしらひも上手くなり亭主はその娘を「倅の嫁に」と思つてゐたが、そんな親の気づかひも何とやら倅はその娘を湯島の天神様の縁日に誘ひ倅と娘は互に惚れたと気づいたときには、もう祝言をいつにするかの段取りとなり(志ん朝師匠の語りが聞こえてきそう)……そんなものだつたが。同じ仲通りの有職組紐道明に寄り家人にと誂へた組紐のピアスを受け取り。一寸時間があつたので銀座へ。まるでポテトを洗ふかのやうな外国人観光客。あちこちで店舗に入るにも行列あり。
やたら広東語もうるさいところだがイースター、そしてもうすぐのメーデーの連休でも香港から100万人単位の市民が出境するさうで、その6割くらゐは日本に来るのではないかしら。銀座に寄つたのは箸の夏野が一番確実なのだけど『銀座百点』5月号入手のため。それを済ませて何気に菊水煙草店に寄つたら菊水のトートバッグが店頭にディスプレイされてゐて隣のユニクロ銀座店で販売中なのださう。大混雑の店舗を11階の UT Store に上がれば銀座に老舗、人気店のTシャツやトートバッグなど並び思はず列買ひしたいほど。
【大人のユニクロ】銀座の老舗10屋号、全部分かる?「銀座店のご近所さんTシャツ」20柄全部見せ! | UOMO
菊水と鳩居堂のトートバッグを購入。家人に銀座ライオンのTシャツ。英国人のT君に観世能楽堂トートバッグも購入。ユニクロに『銀座百点』が並んでゐるのも何だか不思議な感じ。
神楽坂矢来町。矢来町といへば新潮社。その新潮社の横を曲がれば矢来町の能楽堂。入り口を入ると能楽堂の傍に観世喜之の表札の掛かつたお家あり(矢来観世家 )。戦争で焼失のあと昭和27年に再建した能楽堂。昼間で自然光も入り何だかとても良い空間。本日はあ列4番といふ絶好のお席が充てがはれた。
本日は喜多流で香川靖嗣師の會。能楽師 香川靖嗣公式HP
狂言は山本東次郎師の〈磁石〉。東次郎師は昭和12年生まれ。声も姿勢も動きもまだ/\衰へを知らず。万作先生、東次郎先生らの晩年の舞台に自分が間に合つたことに本当にありがたいと思はされる。この能舞台だと最前列は本当に1.5mほどのところが舞台の前端で、そこに能狂言師が立つと恐れ入るばかり。靖嗣師は〈高砂〉。今年正月に大阪(大槻能楽堂)で観世御宗家の高砂を拝見。その際に大鼓が亀井広忠さんで笛(杉信太朗)と併せ随分と賑やかだつた印象が残るところ本日も小屋としては音響の随分と柔らかい能楽堂にあつても広忠さんの大鼓の鋭角的な音がアタシには酷しい。本日の〈高砂〉の「神舞」も同様にかなりビートの走るパンクのやうであつた。その大鼓について大槻文蔵裕一の会(二月、観世能楽堂)で裕一〈融〉につき『能楽タイムズ』四月号にかういふ評あり。
問題だつたのは[早舞]の後半。大鼓(亀井広忠)が、もの凄い速さで[急ノ舞]に突入する。他の囃子方はどうにか間を外さず奏し、シテも舞台を足早に廻るなど精一杯対応するが、公家らしい雅さはカケラもなかった。悠然と昔を思い返し、興に乗って舞返す趣向であるのに舞台がまるで運動場になったかのような情緒のなさ。そこまで速いテンポで囃す必要があったのだろうか。曲趣を考えてのスピードとは到底思えず、どれだけ速く演奏できるか、ひたすら競うような姿勢が感じられたのが残念だった。(高桑いづみ)
かなり辛辣ではあるが、かう書かれて同感とすら思へたものだつた。それにしても御年傘寿の靖嗣師の動きの安定、手足の先での緊張、声の張りのまことに安定。敬服。後半はまるで住吉大神が目の前の至近距離に座すやう。ワキは常三師。目の前で美声に酔ひたかつたが本日は喉の調子芳しからず舞台で咳き込むほど。例の「高砂や」の謳ひでも声が出ず。そこを見事に補つたのがワキツレ(館田善博)で常三師の声の出ぬところを見事に紡ぎつながれた。謡ひの地頭は友枝昭世師。そのリードがとてもクリアに聞こえてくる。つい/\観世流で御宗家や大槻文蔵師がシテの能を見る機会が多いが畏友(湛君)にいはせれば「カラヤンの伯林ばかり聴いて」は勉強にならない。本日はカラヤンの伯林に対してオケでいへば市俄古交響楽団でバレンボイムかムーティの指揮といつたところかしら。期待以上に満足のお能の会となつた。
神楽坂は午後早くから開いてゐるバーが少なからず。歯車が筆頭にあるが矢来能楽堂からすぐのところにあるバーがサンルーカルバー(14時開店)。ドライマティーニ一盞。一見の客なのに、さらっと親しくしていたゞきありがたい。次の機会にまた。神楽坂に来たのだから上野の道明の神楽坂の出店“The Shop of DOMYO”に立ち寄る。
ネクタイだとかピアスだとか組紐の派生の商品はこちらによるもの。道明が青山に出店してそこでネクタイ購入したことがあるとお店の方に話したらもう十数年前の由。今晩は水府に戻り家人と夕食の予定で頃合ひも良く神楽坂から地下鉄(東西線)に潜るとJR中央線の東小金井で人身事故あり中央線快速が不通、東西線も遅れといふ。4分遅れで大手町から東京駅に歩く時間見積もつても大丈夫……のはずが次の飯田橋駅で地震のため運転見合はせだといふ。スマホで見たら鳥島!で震度2である。なんて慎重すぎるのかしら。唖然。4分ほどして地下鉄は動き出したが、その結果、座席指定してゐた常磐線の特急(ひたち)に乗れずスマホ(えきねっと)で次の特急(ときわ)に乗変。東京駅で少し時間ありはせがわ酒店で日本酒(茨城の来福)一盞。特急の車中で大丸地下で買ひ求めた弁末のお弁当(蛸めし🐙)をいたゞく。
水戸の駅まで自動車で迎へに来てくれた家人への献上品がこちら。我ながら、この紅色を選んだのはなか/\の思ひつきだつたと思ふ。