癸卯年九月晦日。大阪へ。新大阪の駅から家人とは別行動。今日の予定を考へると京阪電車の天満橋駅に荷物を置くと良いので御堂筋線で淀屋橋に往き京阪電車で天満橋へ。地下鉄で梅田→東梅田乗換へ(改札外乗り継ぎ)で谷町線で天満橋のコースが楽だし地下鉄料金だけで行けるのだが乗り鉄のアタシにとつては京阪電車にお初なので始発の淀屋橋から天満橋を乗つておかないといけない。それにしても車両の本当に豪華な京阪電車。大阪〜京都間でJR(新快速)や阪急に比べ時間はかゝるが淀川に沿ひ風光明媚な上に豪華車両が京阪電車の売りである。
こんな車両に普通運賃だけで乗れるのだから京阪沿線の住民は幸せもの。谷町六丁目から空堀通に向け路地を抜ける。文字通り谷町がどれほど谷にあるか歩いてゐて実感。狭い路地をあみだくじのやうに抜けてゆくのも面白い。
空堀商店街は日曜昼でもランチで人気店がいくつも開いてゐる。一番人気は咖喱の旧ヤム邸だらうが折角大阪に来たのだからうどんの人気店からほりきぬ川に昼前で行列なしで入れた。
海老天ととり天のぶっかけうどん。とり天は東では食べられない。
大槻能楽堂でのお能までまだ少しだけ時間があつたので空堀通から五十軒通を抜けて龍造寺町通。昔の大阪の住宅棟が見事に保存されてゐる。自転車も通り抜けられないやうな路地から路地を抜けて上町へ。この上町と谷町の高低差は今でも十分に面白いが秀吉の時代の大阪城から見たら東南のこの台地と低地の高低差はじつに見事なものだつたでせう。
大槻能楽堂。本日の文蔵裕一の会は文蔵師ご尊父・秀夫三十三回忌追善。観世ご宗家と御曹司、狂言は野村万作家から三代と豪華な顔ぶれで囃子方も申し分ない。舞囃子で文蔵師〈安宅〉に続いて狂言は万作師〈川上〉でもはや崇高なる世界。ご宗家の一調〈江口〉は亀井忠雄先生が予定されてゐたもの(哭)。
そして裕一君が〈道成寺〉を披く。観世流で御曹司(三郎太)が今年六月に道成寺披かれてゐて(清門別会)何うしてもそれに比べられるが本日の裕一さんはそれをまことに立派に勤めあげられた。前半の上ゲ歌(月は程なくいりしほの……)、大鼓(広忠)とのアシライ、源次郎師渾身の小鼓と饗応の乱拍子、急ノ舞から鐘入りまで。そして後シテのシテ柱への絡みの悶絶、幕への飛び込みまでの懸命。萬斎、裕基君のアイも面白い。二人して道成寺の寺男なのだが萬斎は寺で誰よりも異次元からの使者で、アドアイの裕基君はシテの鐘入りの時の騒ぎしか仕事はないのだがシテ裕一君の熱演に負けじと見事な身体表現を見せてくれる。本当に印象に残る道成寺となつた。
能楽堂から淀屋橋まで歩く。谷町へ下る急な階段は高所恐怖症のアタシには下るのも怖い。
京都まで京阪特急のプレミアム車両のシート予約してあつたので期待の初乗り。500円で天満橋から三条まで45分余りで本当に勿体ないほど。
京阪電車は京都競馬場の傍らを通る。本日はこちらでエリザベス女王杯(G1)。昨年の女王ジェラルディーナが連覇といふ声も聞くところ、まだ実力も見据ゑられないが新馬戦からの4戦で総じて上がりの時計が最速の◎ブレイディヴィェーグ(ルメール騎手)1番人気で今回は現れる夢まで見てしまつて1番人気。◎に勝たせたいメイクドラーマ。結果◎のあまりの走り、それにルメール騎手の走行調整も大したもの。安定した勝利に。京阪三条に着き鴨川を渡り姉小路通に入り京都サンボア。反サントリーでブラックニッカのハイボール注文するとウチはブラックニッカはありません、と言はれニッカだとスーパーニッカで。寺町サンボアは確か昨年9月に上洛のときはもう閉まつてゐたが、それがいつこちらで再開されてゐたのか。今日は大阪でお能のあとにサンボアでハイボールを飲んで京都へと思つてゐたが日曜日の大阪はヒルトンホテル除くとサンボアはみんな休業。黒豆甘煮の岸澤屋も日曜定休だつたが。で京都サンボアへ。夜の6時半すぎで客はおらず。前回、寺町で寄つたのがもう何年前なのか今晩も殆ど一見さんだつたがサントリーかニッカか、の話からマスターと面白可笑しく話す。三井ガーデンホテル(三条)に下榻。午後遅くには先に着いてゐた家人から前回、アタシが隣部屋が遅くまでうるさいとクレームしたとかレコードがあつたさうで今回は最上階の角部屋用意しました由。お気遣ひ深謝だが神経質な配慮要する客と思はれてゐないかしら。夜になると摂氏9度ほどなのかかなり冷える。家人が夕方の散歩で通りかかつた蛸薬師通の居酒屋が気軽で良ささうといふのでそちらへ(居酒屋ニュータコヤクシ)。
若いスタッフが本当に気持ちよく働いてゐて好感度高。本日のおすゝめから生のセンマイ頼んだらラスト一人前といはれたのだが実際には売り切れてゐたやうで、そんなこと何うでも良いのに「さきほどはすみません」と海鮮キムチをサービスで供された。