癸卯年七月十七日。気温摂氏24.8/34.9度。晴。高田文夫先生がラヂオ(ビバリー)でバスケやラグビーなど何かと大きなニュースが飛び込んでくるけど「ジャニーズも社長が7日に会見だってな」とさらりと触れてから100年前は大震災で高田先生の大正4年生まれの母親は小学校の2学期の始業式が終はつて家に帰り昼食を食べようとした瞬間に大きな揺れで仏壇が倒れてきて仏壇だから良かつたもので家具だつたら下敷きになつて命落としてゐたかも知れず仏壇の中で、そのあとの罹災と食糧難など思へば仏壇の中でお昼ご飯のシャケと白飯を食べておけば良かつたと何度も話してゐた、と。
この記事を貼って問題視する投稿をした人に対して「今更騒ぐなよ」「日本を貶める」とコメントをしている人がいた。政府の対応はこういう声を育てる。(武田砂鉄)
そして、さういふコメントをする人たちが自民党を支へてゐる。
原武史(歴史のダイヤグラム)清水幾太郎と関東大震災:朝日新聞
清水幾太郎少年は本所柳島で被災して家族と亀戸の方に逃げ一夜を過ごし翌日、市川の国府台に向かふ。陸軍の兵営が避難所となつた。
夜、芝生や馬小屋に寝ていると、大勢の兵隊が隊伍を組んで帰って来ます。尋ねてみると、東京の焼跡から帰って来た、と言います。私が驚いたのは、洗面所のようなところで、その兵隊たちが銃剣の血を洗っていることです。誰を殺したのか、と聞いてみると、得意気に、朝鮮人さ、と言います。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂に聞いていましたが、兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした。(私の心の遍歴)
「アリラン」を共に歌った…朝鮮人虐殺追悼式に日本の政治家が初めて出席 | 中央日報
この日の行事には鳩山由紀夫元首相、山口那津男公明党代表、福島瑞穂社会民主党党首、逢坂誠二立憲民主党代表代行、武田良太日韓議員連盟幹事長ら10人余りの日本の政治家が出席し朝鮮人犠牲者を追悼して献花した。
三日の茨城新聞の大震災報道記事を読んでゐたら「新吉原も全滅」と記事あり。こんな大災害のときに不謹慎と思つたが地方から吉原に出てゐる女子も少なからず。廓など昼間とはいへ容易には逃げられぬ状況にあつたことだらう。