富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

中村伸郎『おれのことなら放つといて』

癸卯年五月五日。端午節。気温摂氏16.0/22.3度。終日雨歇まず水府の雨量(72mm)は室戸岬の100mm超を除くと主要観測点では最高だつたやう。

おれのことなら放つといて (ハヤカワ文庫NF)

小津安二郎から里見弴の流れで中村伸郎おれのことなら放つといて』(ハヤカワ文庫NF)読む。文学座から演劇集団「円」のベテラン俳優だが随筆も上手い。里見弴が経済的に恵まれた環境で育つたやうに伸郎も父親(養父)が小松製作所の社長で伸郎本人も親の傘下で会社経営に重役として参画してゐたのだから*1呑気な時代である。終戦の頃の随筆(戦争と私)も実にあっけらかん。漆を敵陣の真上から散布して敵兵を漆に被れるさせやうなんて当時は考へてゐたことを書いてゐる。文学座に弟子入りした青年には「新劇で食べてはゆけない」と告げると青年は実家が寺で二つあり生活には困らないと宣はれ伸郎は青年の名前から「皇后陛下は君の親戚ですか?」と尋ねると「はい、伯母です」。皇后は昭和天皇妃で久邇宮、お寺はさしづめ門跡で興福寺一乗院と京都の青蓮院だつたのかしら。その青年に舞台の大道具で使ふのか釘を買ひに行かせ「何本買つてきませうか?」に「釘は何本ぢゃねぇ、目方で買ふものだ」と叱つたり。この文庫本の解説(矢野誠一)も味があるが表題(おれのことなら放つといて)は伸郎の持句

 除夜の鐘おれのことなら放つといて

からとつたものださう。この句を里見弴が絶賛したのだとか。伸郎の随筆の上手さを、この『おれのことなら』が単行本で刊行されたとき矢野誠一が書評(東京新聞)で「役者にこんないい文章を書かれては困る」と書いたところ伸郎は「役者っくらい古今東西のいろんな名文にふれる機会の多い商売もない」と嘯いたんだとか。大した役者である。ところで図書館で借りたこの文庫本を読んでゐたら頁間に直近でなのだらう2年前にこの本を借りた方の図書館からのレシートが挟まつたまゝだつた。利用者番号もプリントされてゐるので本来は図書館でも図書の返却があつたらウソでも頁を捲つてそんなものが挟まつてゐないか確認すべきだが、その借り手がこの伸郎『おれのことなら』と一緒に借りたのが『我、拗ね者として生涯を閉ず』で本田靖春である。この二冊を借りるあたりでどんな御仁なのか想像すると何だか可笑しなもので酒でも飲みながら暇つぶしにこんなのを読んでゐたのだらう……アタシと同類か。

*1:昭和20年4月に戦時下での文学座女の一生〉初演時も伸郎は父親が社長の小松製作所の子会社(大孫商会)の代表取締役だつた由。