陰暦正月廿二日。朝起きたら昨日は幾分溶けたかと思つた雪が市街を厚く覆つてゐる。
金沢は激しい雪で3時間に21cm積雪急増 日本海側は大雪警戒 - ウェザーニュース
ホテルの展望風呂から見る外は雪で視界がホワイトアウトしかねないほど。そのなかを何百、何千といふ全身が黒い鳥、カラスにしては少し小柄で椋鳥?が展望風呂の大きなガラス窓の前を西から東に飛んできて延々と続くそれが大雪のなかで幻想的。大雪から逃げてゐるのかしら。朝7時のNHKニュースが報道の中に割り込みで金澤の大雪と石川県に「顕著な大雪に関する気象情報」発表したと報じてゐる。朝の7時迄の3時間に21cmの積雪があり2月の観測では最大の降雪になつたのだとか。本日の金澤は気温摂氏▲1/3.9度。積雪は37cmとなる。
雪もピークはすぎてゐるやうなので散歩に出かける。尾山神社。この神社は明治6年に創建され前田利家公と妻の芳春院(まつ)を祀る。旧社格は別格官幣社で明治初期に全国にできた藩祖祀る神社の一つ(水戸なら偕楽園の常盤神社)。百万石通りからも目立つ神門が個性的だが支那趣味ももつ擬洋風の意匠で明治8年の建設は当時、参拝客の数が奮はず奇抜な意匠になつたのだとか。尾山町を歩き大谷廟所へ。1471年に蓮如上人により建立され父の存如上人の遺骨があるのださう。その遺骨は元々はその後の金沢城内になる本源寺(後の尾山御坊)に埋葬され利家公入城で、その塚が手厚くされ明治14年に陸軍(第9師団)が金沢城跡を占有する際に尾山町のこの地に移されたのだといふ。
ホテルの宿泊パッケージで近江町市場の買ひ物券(2千円相当)貰つてゐて昨晩の回転寿司で使ひ忘れ近江町市場でお昼の焼き鯖押し寿司と金澤珈琲の豆で2千円使ふ。ホテルに戻り荷物を受け取り雪のひどいなか公共バスで金澤驛へ。一昨日の雪もなかつた好天が嘘のやう。この数時間後から天気が崩れた。金澤驛構内の〈黒百合〉でおでん。お酒は鶴来(白山市)の萬歳樂。昔の驛舎のステーションデパートの時からこの黒百合はあつて、今は〈あんと〉のなかに。金沢の味つけにもかなり慣れた気がする。
本日はこれで旅を終へるかといへばさにあらず。和倉温泉へ。七尾線は各駅停車でもJR西日本の521系のシートはアブレスト配列で快適なのだが折角だから北陸本線から乗り入れの1日に1往復だけのサンダーバード(17号)に乗る予定が大雪の影響で北陸本線のダイヤがかなり乱れてゐるといふ。大阪からの特急は1時間以上の遅れ。それなのに17号は金沢驛を定刻で発車だといふので何が起きたのか。JR西日本は本来の17号がまだ金澤に着く前に別の1編成で金澤発和倉温泉行きの17号を出すのだといふ。同じ時間に2本のサンダーバード17号が北陸本線と七尾線を走つてゐるといふ西村京太郎の鉄道推理小説のやう。それににしても金澤から多くの七尾、和倉温泉行きの乗客がゐるのならまだしも金澤からこの特別運行列車に乗つたのは20人ほどであつた。いずれにせよ、この列車を走らせてしまふことで遅れてきた本当の17号は金澤止まりとして和倉温泉に行く客は後続の特急かがり火とかに回せばよいか。おかでて予定通り和倉温泉着。
和倉温泉といへば加賀屋。だがアタシたちはまず温泉のあの旅館の夕食の盛りだくさんが苦手で固形燃料で温められた鍋やナントカ牛にうんざり。なので夕食なしといふ宿泊コースをさがさなければいけない。今回の和倉温泉で夕食なしがあつたのが七尾湾に面した寿苑といふ宿だつたが先日電話があつて寿苑の宿泊者が数組のため営業を系列の他のホテル(仙宝閣)にまとめたいといふ。それに応じて仙宝閣になつたのだが系列にはもう一軒、大正期の和風建築の遂月庵といふ宿もあり、たゞそちらは夕食付きで宿泊料も加賀屋に勝るとも劣らずて体よく、そちらへの宿泊は断られた。この宿(仙宝閣)は和倉温泉の総湯(元湯)にも近く古い宿で温泉の水質はかなり良いさうだが建物も昭和の小さな温泉旅館のまゝ。それでも一番眺めの良い部屋を宛はれる。喜劇駅前旅館シリーズにでも登場しさうな根っからの温泉宿の客室係然とした老給仕(大ちゃん)。今晩の宿泊はアタシらと夕食もつける4人一組と素泊まりの一組だけなのださう。
金澤で尾山町を歩いてゐてホテルのすぐ裏に古い和菓子屋があるのに気づいた。間口の半分以上を自販機が占めてゐて店内をよく覗いてみて開業中だとわかつた。千登世といふ。上生菓子、どら焼き、蒸し菓子など数点が並んでゐて老いたご主人が出てこられた。上生を購め和倉の温泉に着いてから、このお菓子で一服。金澤は森六ばかりが和菓子屋ではない。
宿のお風呂も和倉温泉の塩度の高いお湯で少しぬるめでも身体はとても温まりお肌もぬるぬるすべすべで満足。総湯にも出かけてみたが水質は同等。それにしても和倉がなぜ全国三大温泉と称されるまでになつたのか。旅館の大ちゃんの話などまとめると高度経済成長期の観光開発で能登もブームとなり七尾線が単線のまゝ電化といふ快挙で大阪(雷鳥)や名古屋(しらさぎ)、東京からは上越新幹線の開通で越後湯沢から乗り換へで特急(はくたか)が和倉直通となり加賀屋など大規模な高級温泉宿の競合で全国にその名が知れ渡つたのだといふ。北陸新幹線の金澤開業後の一時が、その隆盛のピークだつたか。
夕食なしの温泉宿で夜は外に出ることになるのだが古呂奈で温泉地は疲弊して飲食店など休業補償で開いてゐる食肆も早終ひ。家人がいつもの直感で「福ちゃん」といふ魚介がよいといふ肆を見つけて、そちらが午後5時から開いてゐるといふのでお邪魔する。お酒は能登の〈竹葉〉。写真(右上)は能登のモミイカ。〈竹葉〉は「ちくえふ」ではなく「ちくは」と重箱読みだが、それでも同名のご縁で東京銀座の鰻屋もこのお酒を供してゐるとか。
この刺身の盛り合はせは魚介のすべてが七尾の天然もの。それを福ちゃんのご亭主がお客に出すタイミングを見計らいながら(新鮮ならその日のうちに、がけして美味いわけではないといふ)見事な包丁さばきで魚介を割くので魚介の味が本当にあまみがあるといふか旨味たっぷり。お世辞抜きでアタシがこれまでの人生で食べた刺身のなかで一番美味しいといへる。甘口の能登醤油もたしかにこれに合ふ。刺身といふと水っぽい印象もあるが、これほどこってりと重厚な味はひの刺身はお目にかかつたこともなかつた。
スペインはサンセバスティアンの某ミシュラン3つ星レストランのオーナーシェフが能登を訪れた際に数回こちらで刺身を堪能したさう。この刺身で最も脂ののつた鰤は少しヅケのやうにして最後、能登美味しい米飯をいたゞいて、それで鰤を頬張る。もう絶頂であつた。お酒は最後こってりとで珍しく大吟醸でもOKだと思ひご主人の勧める能登の〈大慶〉。
和倉温泉の歓楽街も火が消えてゴーストタウンのやう。宿に戻り本日4度目のお風呂につかる。